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本屋に興味をもってしまった以上仕方がない。

あと数年で70歳になる私の父親は、学校の先生になることが夢でした。

何度も教員採用試験に挑戦しましたが、夢叶わず…幼い頃の私が何度も聞かされた話です。

「学校の先生になっていたら、違った人生だっただろうな」

そう語る両親を見て育ち、いつしか私も教員を志すようになるのです。

それは、教育に対して熱い想いがあって、という動機とは少し違う、いびつな志望動機。

「敵討ち」のようなものでした。

大学4年間で教育について学び、教員採用試験に臨みました。父の時代とは採用倍率も違います。あっさりと合格。

配属された小学校で、子供と保護者を相手に格闘の毎日。陰湿ないじめとの戦い。不登校児童にも向き合いました。

そして心身共に削られる、理不尽なクレーム。
それでも若い頃は比べるものがありませんから、そんなもんだろうとがむしゃらに乗り越えてきました。楽しい思い出も、たくさんあります。

ところが、教員生活が10年を過ぎた頃に、ふと思うのです。

「あれ?一生懸命やってきたけど、人の夢を叶えているだけじゃない?」

もっと早く気付けよ、という話ですが、わたし、夢中だったんです。

「叶わなかった親の夢を叶える親孝行な息子」であることと、

「荒波を乗り越えながら頑張る一生懸命な教員」であることに。

また、15年間続けていると、世の中の価値観の変化も感じました。

「学校は、余計なことをしなくていいから、とにかく黙って子供を安全に夕方まで預かって、読み書きそろばんをちょっと教えてくれればそれでいい。いじめはもちろんのこと、喧嘩もさせないようにしてくれ。朝家から出した子供を、そのままきれいな状態で家まで返してくれればそれでいい。一切のトラブルを起こすな、余計なことをするな!都合よく柔軟に対応しろ!」

働いていると、大なり小なりこんな強いメッセージを保護者から感じることが、多々あります。多くの人に余裕がないのだと思います。

残業代が出ない中、定時を過ぎて働く生活を続けるうちに、搾取される現状にも鈍感になっていきました。

魅力のある仕事だとは思います。なんやかんや言いながら、わたしは今も教員を続けています。

辞める勇気も、辞める実力も、まだ無い。辞めるほど病んでもいないし、何だったら、そんな環境下でもやっていけている。

もしかしたら、教員に向いているのかもしれない、とさえ思っています。

それでも、定年まで教員を続ける自信は…ありません。精神的にも、肉体的にも。

職場の定年間際の教員には、頭が下がります。よくこんなことを40年近くもやってこられたなと。ため息が出ちゃう。

じゃあもしも教員じゃない道に進むなら?

そう考えたときに一番に頭の中に浮かんだのは、「本屋さん」でした。

なぜ本屋なのか?と聞かれれば、正直困ってしまいます。

大好きだった街の書店が潰れてしまって悲しいから。

仕事や育児の不安を取り除いてくれたのはいつも本だったから。

本屋で棚を眺めるのが一番のストレス解消法だから。

一冊の本を自ら手に取ることこそが学びであると思うから。

どれも本当で、どれも嘘な気がしてしまいます。

「儲からないよ」「世間知らずの教員が商売だと?」「本屋は体力勝負だよ」いろんな声も聞こえてきます。

本屋に興味をもってしまった以上仕方がない。
本屋が元々とにかく好きなんでしょうね。理由は後付でいいはず。

例えば非常勤で講師をやりながら、午後は本屋さん…なんて生活に、教壇に立ちながら憧れているのが今のわたしです。

恐る恐る妻にそんな気持ちを伝えると、猛反対されるかと思いきや、「いいんじゃない?!」という反応。むしろ、ノリノリで、あっけにとられました。

そんな気持ちを抱えながら、現在、私設図書館「かさでら図書館」にて、夫婦で本棚オーナーをしています。

本屋と図書館は同じ本を扱いながらも違う場所。
しかし、本を中心にそこに人が集い(と言うほどお邪魔できていませんが…)、交流があるという点では同じです。

いつになるかはわかりませんが、将来の本屋デビューの練習のつもりで、参加をさせていただいています。

今回、noteという形での発信を始めたのは、岐阜のカクカクブックスさんの影響です。

カクカクブックスさんオープンまでのストーリーが読めます。約5年分の記事の、ほとんどを読んでしまいました。

どのお店にも開店前、開店後のストーリーがあって、過去と未来がちゃんと繋がっています。それが文章で読めるということに、とても魅力を感じました。

という訳で、私も真似をしたくなり、ストーリーを文章で積み重ねていこうと思います。

…書き始めてここまで2時間半。つかれた。
3日すら続かないかもしれないです。それでは。


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