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「全員がそうだと思うなよ?」ということが言いたい。

本屋で本を買う時にまず目に入る「帯」。売る側としては何とかして消費者に手に取ってもらえるよう、あの狭いスペースにあの手この手を加えて、魅力ある商品に仕立て上げようと工夫をこらしている。

オールナイトニッポンリスナーの私としては、帯に「オードリー若林正恭氏推薦」「佐久間宣行氏推薦」なんて書かれちゃうと、すぐ飛びついちゃう。若林正恭氏による帯がついた『暇と退屈の倫理学』なんて、めちゃくちゃ面白かった。

一方で、タイトルや表紙を見て、読みたい!と思ったのに、帯に書かれた文言のせいで、そっと棚に戻してしまうようなものもある。

「涙腺崩壊!」「衝撃の結末!」「大どんでん返し!」などという押し付けがましい文言が書かれているものは、ちょっとわたしには合わない…。

「涙腺崩壊!」と書かれたものを読んで、もし自分が涙腺崩壊しなかった場合、読了後にもやもやするはず。そう思ってしまうと内容に集中できない。読みながら「あれ?俺まだ泣かねえぞ?終わりまで少ないぞ?あれ?泣かないの?」とか余計なこと考えちゃう。

わたしがこれを読んで涙するかどうかはわたしが決めることなんだから、涙腺崩壊を押し付けないで欲しい。何も事前情報なく、読みたい。そして素直に感動したい。

「全員がそうだと思うなよ?」ということが言いたいんだろうな。これを読んで全員が涙すると思うなよ、決めつけないでほしい、と。

雨が降ることを喜ぶ人もいるのだから「あいにくの曇り空ですね」というアナウンスをしないよう配慮している話が有名だが、教員もこの手のことをよく考える。

教員として子どもの前で話をするときに「冬休みが楽しみだね」とは言わない。家庭が楽しくない子どもが一定数いるからだ。ゲームやおもちゃの話もしない。「僕は買ってもらえないんだ」と悲しい顔になる子もいるからだ。「お母さん」「お父さん」という言葉も使わない。「おうちの人」が正解。様々な家庭環境があるからだ。

今から自分の口から発する言葉が、クラスの子ども全員に、無事に届く言葉なのかを考える。一人でも顔が曇る話題なのであれば、避ける。日々そんな姿勢でいるもんだから、勝手に本の帯にもそれを求めてしまっているのだろうな。


「衝撃の結末!」「大どんでん返し!」と書かれている本は、「ああ、この小説の中で今起きていることとは反対の事象がこの後起こるのね」という、ひねくれた読み方になってしまう。たとえその予想が外れたとしても、「大どんでん返しが起こる本なんだ」と思いながら進める読書はあまり好きではない…。

乾くるみさんによる小説『イニシエーション・ラブ』のレビューを見た。「最後の~…というコピーを見て楽しみにして読んだけど、大したこと無かった!」と、怒っている人がいた。そりゃあそうでしょう。「最後の~…」を知ってしまってから読むのと、全く知らないで読むのでは、感じ方が全く違うお話でしょうよ、と思う。こう書いてしまうことで、わたしもそのネタバレに加担してしまっているのだが…。

まあでも、本を売る側としても、仕方ないことなのだとは思う。何とかして消費者に手を取ってもらいたいだけなんだから。あの帯ひとつにも、多くの大人の試行錯誤や思いが詰まっているはず。様々ある娯楽の中で、本を手に取らせるための苦肉の策なのかもしれない。みんながamazonで買っちゃうからとか、電子書籍がどうだとか、わたしには見えない様々な事情があるのかもしれない。

こんなこと偉そうに書いてるけれど、きっとわたしも、仮にも〜しもこのnoteを本にして売るとしたら「読んだら本屋に行きたくなる!」とか書いちゃってるはず。ゴリゴリの太字で。

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