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ハードボイルド書店員日記【185】

こんなお客さんがいた。

「ここ本なくね?」

大学生らしきふたり組の男性。ビジネス書の棚を眺めながらひとりがつぶやく。もうひとりは「本屋なんてこんなもんだろ」と仁王立ち。

おそらく十数年前の自分も、周囲の大人にいまの私が彼らに抱いているような印象を与えていた。与えた側は無自覚。でもいつか客観的に振り返り、それと認識するに違いない。思い出し赤面の案件だ。

「すいません」
資格書のエリアで品出しを続ける。棚を眺めていた小柄な方が声を掛けてきた。
「いらっしゃいませ」
「『メモの魔力』ありますか?」
「そちらにございます」
「ホリエモンの『ゼロ」は?」
「そこですね」
「はやっ!」
もうひとりが大袈裟に仰け反る。長身で目を円くしているので仁王感が増した。

小柄な方が二冊を携えてレジへ向かう。仁王像が頭を掻きながら「あの」と近寄ってきた。
「はい」
「さっきは生意気なこと言ってスイマセン」
「ん?」
「いや、ここ本ないなとか本屋なんてこんなもんとか。俺らが探せなかっただけなのに」
「お気になさらず。むしろ慧眼かと」
「ケイガン?」
「鋭いということです。いままさに棚に置く本の数を少しずつ絞り込んでいるので」
「え、なんでですか?」

ひとつは夏に控える棚卸のため。売り場の本に関しては量が膨大なので、カウントを業者に頼む。一冊いくらだから数を少なくすれば出費を抑えられる。だがこれはお客さんに話す必要はない。
「選りすぐったいい本をお届けしたい。そういう趣旨です」
「へえ」
感心している風に見えるが、どうでもよさそうでもある。
「本屋にはよく?」
「いやあまり。必要なものは生協で買えますから。マンガとかも正直アマゾンの方が便利だし」
やはり大学生だった。

っていうか、と仁王像が遠慮がちにもう一歩近づいてくる。
「ひとつ訊いていいですか?」
「どうぞ」
「俺、古文の授業が大嫌いだったんです。そもそも読みにくいし、何の役に立つのかわからないから」
少し前にそんなネットニュースを見た。
「でも大河ドラマの影響なのか、周りでちょっとした古典ブームが起きてまして」
「わかる気がします」
「それ系の本、売れてますか?」
「ぼちぼちですね。そこまで爆発的には」
ですよね。安心したように笑う。

ただ、と言葉を繋いだ。
「古文、というか異なる時代に書かれた名作に触れることには意味があると考えています」
エッセイの棚へ移動し、一冊の本を引き抜いて戻る。みすず書房から出ている「長い読書」を手渡した。著者は島田潤一郎。ひとり出版社「夏葉社」の創業者である。「何度も、読み返される本を。」というスローガンに従い、絶版となった名著を多く復刊している。

「ぜひ187ページと188ページを」
そこにはこんなことが書かれている。

「要するに、いまの時代にぴったりとあった文章がリーダブルなのだ。そこに書かれている内容もまた、我々にとって身近なことについて書かれているわけだから、読みにくいわけがない」
「けれど、それは同じ時代の流れのなかで、その流れに身をまかせながらものを見るということであり、結局はなにをも見ることができていないのではないか、と思う」

「ちょっとわからないです」
「当事者じゃない方がより事態を客観的に見られるケースもあるということかと。ちょうどお客様が『ここは本がない』と看破したように」
「え、けどそれは店員さんなら普通に」
「同僚の多くは気づいていません。自分の仕事で手一杯ゆえ視野が狭まり、担当外の棚で起きている細かい変化まで目が向かない。私も同じです。コミックやラノベのことなどわからない。でもお客様はけっこう敏感に察してくれるものなのです」
「なるほど」
「そしてそういう視点を気づかぬうちに育んでくれるのが、異なる時代や他の国の言語、あるいは昔の言葉で書かれた本を読む行為だと思っています」

太い眉をひそめて考え込んでいる。
「……慣れ親しんだ環境にだけいると感性が鈍る?」
「おそらく」
見事な応用力だ。

相方と入れ替わり、仁王像がレジへ向かう。
「珍しいなあ。あいつが本屋で買うなんて」
「光栄です」
「いつもネットと生協ですべて手に入るって豪語してますから」

万人向けの尤もらしい「答え」で溢れ返っている情報化社会。だが己のうちに潜む何かを見出すためには、切実で個人的な「問い」が欠かせない。ネットや生協だけで手に入れるのはたぶん難しい。まだ見ぬ自分と出会える空間を本屋のなかに広げていく。

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