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子どもに好きなだけYouTubeやゲームさせる? それとも勉強させる?

「子どもが勉強もしないし、本も読まない。YouTubeばかり見てる。ゲームばかりして困ってる」

こんなお悩みありますよね。

一方、こんな考えもあります。

「YouTubeも、ゲームもやりたいだけやらせたらいい」

さて……

子どもには、

YouTubeやゲームをさせたらいいの?
ちゃんと勉強させたらいいの?

いったいどっちが正しいの?

これも、「YouTube、ゲーム vs 勉強」という理解しやすい2択で考えたくなりますが、もう少し掘り下げてみましょう。

勉強をしなくなると成績が悪くなり、将来の進路に差し支える。今のシステムではそれはその通りだと思うけど、向かってる進路がどこなのかまで考えるのは難しいですよね。

ただ目の前のテストの成績をよくしても、昭和的な未来へ進んでいくだけで、令和的な未来では役に立たないかもしれません(どうやらその確率はかなり高そうですが……)

昭和な世界では、解決しなきゃいけない問題が山積みでした。ざっくり言うと、貧しかったから、皆が物質的豊かさを求めていた。問題も答えも明確!!

答えがハッキリしてたから、何も考えずにただそれをやることが大正解。

ところが、

令和な世界では、価値観がバラバラすぎて(ある意味、豊かになったことで)ハッキリした答えが見つかりません。答えどころか、なにが問題なのかすらハッキリしてません。「何のために」「何をすればいい」のか、誰にもわからなくなりました。

これから求められているのは、「問題」を発見し、「答え」を見つける力。

よくある魚釣りでたとえるなら、

昭和は、皆が魚をほしいから、魚を釣ってる人のところに行き、魚をもらってくるのが正解。魚のもらい方を覚えるのが勉強でした。

令和は、そもそも皆がほしいものがわからない。魚なのか、猫なのか、家なのか、ちんぷんかんぷん。魚のもらい方を学んでも、役に立たない可能性大。わからないから、想像していろいろ試してみるしかない。この試行錯誤が勉強。

まとめると、

これまでは、問題も答えも与えてもらうのが勉強。
これからは、問題も答えも自分たちでつくるのが勉強。

ひと口に勉強と言っても、役に立つ勉強と、役に立たない勉強があるということですね。

YouTubeやゲームはどうでしょう?
いわゆる勉強じゃないというだけで、人生の役に立たないと切り捨てていいのでしょうか?

問題も答えも与えてもらうだけだったら役に立たないただの娯楽(ま、個人的にはそれもいいと思ってるんだけど。基本ぐーたら人間なので)でも、問題も答えも自分たちでつくるのであれば、YouTubeやゲームも役に立つ勉強にすることができます。

僕の小学生時代の話ですが、

『パックマン』というゲームの家庭用ゲーム機がありました。

1面クリアするごとに、ランダムに迷路が変わり、しかもどんどんスピードアップする。100面クリアできたら終了。たしか、そんなゲーム機だったと記憶。

100面クリアした小学生くっきー🍪は、なにを思ったのか、「どんな迷路もクリアできるたった1つのルートがあるんじゃないか?」と思ったんです。どんな迷路でも右に3マス進んで上に5マス上がって左1下7左4上2右3みたいに。

そこから研究の毎日のはじまりです(笑)

最初の2つの面では、右に3マス進めても、3面になると壁で進めなかったりモンスターと出会って死んじゃったりして、最初からやりなおし。むちゃくちゃ地味な試行錯誤の日々(なんでこんなことやろうと思ったんだろうね、汗)

数えきれないほどの試行錯誤の結果、

はたして、100面クリアできるたった1つのルートはあったのか??

研究の結果は、

ありました!!

どんな迷路になってもバッチリ!!
完璧にクリアできました!!

もう決まったルートをたどるだけなので、最終的には画面を見る必要すらなくなりました。マンガを読みながら、片手でクリア(笑)

このゴールデンルートを見つけたときは、飛び上がるくらい嬉しかったですよ!!

子どもの頃の僕、こんな謎チャレンジけっこう好きでした。ゴルフゲームで百発百中でホールインワンを出す方法を研究するとか(これも見つけた!99%くらいいけた!!)

仮説をたて、やってみて、結果をフィードバック。謎チャレンジの数々、むちゃくちゃ学びでしたね。

パックマンやゴルフゲームが、学びとして使えるのであれば、

YouTubeやゲームも、自分たちで問題や答えをつくる勉強として使えるということです!!

つまり、

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