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知りたいことがたくさん。

さて、風邪を引く前にひろうすさんの記事のコメントでやりとりしていたことからの派生記事です。
ひろうすさんもそのことで記事を書いてくださいました。こちら。

楽しめる・読まない・観ない|ひろうす #note

こちらの記事のコメントでも回答させていただいているんですが、私の方でも記事にさせていただこうと思います。
簡単に説明しますと、自分と似たような経験(主に辛い出来事)を本の中の登場人物がしていた時、読み進めるのが容易か容易でないか、というようなことから話題が膨らみまして、ひろうすさんがタイプ分けの質問を作ってくださいました。
その質問部分を引用させていただきます。

スーパーウルトラハイパーシンプルドラゴンアンケート
(90年代風タイトル)

質問1
(始まってますよ!)
あなたは自分が抱えている悩みや問題と同じ、あるいは似たような事柄が、不意に作品(小説、映画、漫画、エッセイなど)に出てきた時、楽しめますか?

以下の2つの選択肢から選べ。

①楽しめる
②楽しめない

質問2
(これで最後!頑張って!)
あなたはご自分のごく身近な人が病気や障害を持つなど急な環境の変化に見舞われた時、そのことについてのフィクション及びノンフィクション、経験者による体験記を読みあさりますか?
また、映画やドラマ、ドキュメンタリーなどを観まくりますか?
(必要に迫られていたり、資格を取るための勉強は除く)

以下の2つの選択肢から選べ。

①読みあさる・観まくる
②読まない・観ない


読みあさるけど観ない人もいるか。
その場合は「読みあさる」「読まない」の方基準でお願いします。

ひろうすさんの記事より

この質問に対して私の答えは、どちらも①でした。楽しめる、というと語弊があるかもしれませんが、この作者(登場人物)はこの局面で何を思いどう行動するのかに興味を惹かれて引き込まれる派です。
言語化するのがとっても難しい感情なので、支離滅裂になるかもしれませんが、お付き合いいただけると幸いです。

ひろうすさんへのコメントでも書いたんですが、多分私は究極に小心者なんだと思っています。
悪いことであれ良いことであれ、わからない、ということに落ち着かなくて不安を感じてしまうんです。
大切な人をもしかしたら失うかもしれない、そのことの恐怖も確かにありますし、最悪だと思います。その事柄を調べたり学んだりというのはとても辛いし心も痛い。でも、もしもいろんなケースを知っていたら、失うにしてもそう悪くはなかったと思えるような失い方ができるかもしれない、そう思うんです。
これはもしかしたら自己満足であって、自分の心の覚悟の決め方でしか無いのかも知れませんが、オロオロと右往左往しながら失うよりも、最悪のケースまで想定してその人に自分のできる限りのことをしたい。そうすることで、自分の中の不安や恐怖と折り合いをつけることができるから知りたいんだろうな、と思います。
昔の人が、よくわからない恐ろしい自然現象を妖怪や怨霊の仕業にしたのは、それが起こるメカニズムが全くわからないから恐ろしい、だから名前を与えて妖怪や怨霊の仕業ということにとりあえずしてしまえば、説明のつく事象になり、調伏や退治、または祀ったりすればいいという解決方法が提示されて得体の知れない恐怖からは解放されるからそうした、というのに似ている考えだと思います。

わからないことが怖い、と言いながら、一方で私は自分のことだってわからないことがあるのに、他人のことなんてわかるわけないと思っている部分もあります。わかるわけないと思っているのに知ろうとするのは何故か?
知ろうとする行為が相手との関係性を作り、本質的な理解に至らないまでも共感はしうるかもしれないと思うからです。
興味を持つこと、知ろうとすること、それが大事で、たとえわからなくても共感できなくても、こういう考えの人もいる、と知ることで、ずいぶんと生きやすくなる気がします。
大変卑小な例で申し訳ないんですが、私は職場では心臓に剛毛が生えているとか鉄の心とか言われています。なぜかというと、ほとんどクレームに動じないからです。接客業について20年、最初の3年はちょっと客質が悪いと言われる店にいたんですが、そりゃもういろんな無茶振りクレーマーに出会いました。でもですね、オリジナリティのあるクレームって案外少ないんですよ。モンスターカスタマーみたいなのも意外とバリエーションない(笑)。なんなら最終的には「この一言言わせられたら警備員呼んでもらって出禁にできる……!!」で誘導したりしてました。経験やらクレーム研修やらの賜物でして、知らなかった時は私ももちろん怖かったし傷ついたりしました。でも大体のケースに当たって、対処の仕方さえ知ってしまえば、特に怖くもなければ傷つきもしません。だってどうすればいいか知っているから。
私にとってみれば、辛いこと、嫌なこと、怖いこと、そうしたことの色んなケースを知ることは、RPGで言うところのレベル上げと装備品のグレードアップなのです。
私に子供はいませんが、甥っ子や姪っ子から「なぜ勉強しないといけないの?」と訊かれたら、レベル1でひのきのぼうしか持ってない状態でドラクエクリアしようと思うか?と言うかな、と思います。
知らないことだらけの世界で生きるより、全部を知ることができなくても少しでも物事を知っている方が格段に生きやすくなる。この世の中は意外とそんなこと知ってて何の役にたつのか、ということの積み重ねで出来ているな、と思う今日この頃です。もちろん、知ってすぐに役に立つ知識もあるけど、一見なんの役にも立ちそうにないことでも世間と繋がっていることってありますよねえ。レベル上げと装備品大事。
事柄に対してもそうですが、人間関係においてもそうです。同じ事柄に面しても、人それぞれ思うことは違うし、快不快の基準も違う。違う、と言うことを知ってさえいれば、言い方や伝え方を考えることもできるし、相手の感情を受け取った時に、ちゃんと謝ることができる。自分はそうは思わない、ではなく、あなたはそう思うんだ、そしたら私の言い方は良くなかったよね、と受け入れることが少し容易になると思います。
明確なリアクションがなかったとしても、相手のその後の微妙な反応から慮ることができることもあったり、物語を通して色んな人物の色んな感情を知ることで、少しは相手のことを想像することができるようになったかなあと思ったり。
でもだからって、合う合わないはまたそれとは別の話ですから、自分を消耗してまで不毛な人付き合いはしないんですけど💦そういう人もいるよね〜という割り切りは必要です(笑)
そういう割り切り方ももしかしたら物語の中から教えてもらったのかも知れない。
自分の人生を生きているだけだと、その中で起きることしか知ることはできないけれど、物語の中にはいく通りもの人生があって、自分が出会える以上の人たちがいる。実際に自分が経験できることには限りがあるけれど、物語の中の人物たちは多種多様な経験を私に教えてくれます。
学生時代にレポートを書いた時に出会った仏教の考え方ですが、経験は大事だけれど、自分が経験していなかったとしても、書物や絵から何かの事柄を知ることは経験することと同じであるという考え方が大乗仏教にあるそうで(なんていう考え方か忘れてしまった……)、これは私にとってはなんともしっくりくる考え方でした。
余談ですが、逆に『薔薇の名前』では知識とは神のものであり、知識欲も欲にすぎず罪であるとされてたりと、宗教によって随分違うものですねえ。秘密の迷宮図書館にワクワクする私はバスカヴィルのウィリアムと同じく罪深い人間です(笑)
長い上にまとまりがなくなってきましたよ〜💦
ちゃんとアンサー記事になっているかどうかはなはだ不安ですが、私の知りたい欲の根っこはなんとなく伝わりましたでしょうか😅
モヤモヤ不安で怖いという感情から逃れたくて知ろうとする、長々書きましたがそれが本質ですので、やっぱり私は小心者です。
鉄の心じゃねえよ〜、心臓もツルッツルやし!と主張したいところですが、装備品が増えたせいかそうは見えないようで(笑)

さてさて皆様はどんなタイプでしょうか?
(無理やりな〆🤣)

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