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一寸先は闇 黄色い家 川上未映子

十七歳の夏、親もとを出て「黄色い家」に集った少女たちは、生きていくためにカード犯罪の出し子というシノギに手を染める。危ういバランスで成り立っていた共同生活は、ある女性の死をきっかけに瓦解し……。人はなぜ罪を犯すのか。世界が注目する作家が初めて挑む、圧巻のクライム・サスペンス。

Amazon商品ページより

正直に言うと、私は川上未映子の本はあまり読んだことがない。『乳と卵』と『すべて真夜中の恋人たち』ぐらいか。
川上未映子氏は少し歳上だが、ほぼ同世代の作家だ。私だけかもしれないが、一時期同世代の作家に苦手意識を持つ時期があった。なんとなくだが、その同時代性ゆえに描かれている内容が身に迫りすぎるのだろう、読むのがしんどい、という意識があった。
一周回って最近は同世代やもっと若い世代の作品も抵抗なく読めるようになった。
そんな時に書店で出会ったこの本。クライムノベルは好きだし、帯と冒頭部分の立ち読みで、尼崎事件を扱ったのかと早とちりして買ったのだが、違っていた。
スナック勤めで子供のような母と2人、貧しい暮らしをする花。ある日母の友人の黄美子が家にやってきて、しばらく一緒に暮らしていた。黄美子は家を掃除してくれ、花に片付いた居心地のいい家を教えてくれる。母が帰ってこなくなっても黄美子が一緒にいてくれた。学校で貧乏をネタにからかわれていたが、黄美子がコンビニの前でからかう同級生と打ち解けたため、そのからかいも少し減ったりと、花にとって黄美子は母よりも頼れる気がする大人だった。黄色は金運の色だと教えてくれた黄美子。その黄美子はある日突然帰ってくるようになった母と入れ替わりに消えてしまう。
花は高校を出たら一人暮らしをしようと、バイトに明け暮れるが、その金も母の男に持ち逃げされ、自暴自棄になりかけているところに黄美子と再会する。黄美子に一緒に連れて行ってくれと頼み、家出をして黄美子と共に三軒茶屋で年齢を偽ってスナックを始める。黄美子の友人映水と琴美の助力もあって、それなりの売上もたち、稼ぐことの喜びを感じる花。
そんな中で知り合った蘭と桃子も加わり、やがて4人の共同生活が始まる。何もかも順調にいっているように思われたが、あることがきっかけでスナックを失くしてしまった花はズルズルと危ない仕事に踏み込んでいってしまう。なりゆきで蘭と桃子も同じ道に引き込むことになるが、金を手にしたことで関係が崩れ始めていくのだが……。
ここで描かれるのは単なる弱者や社会から零れ落ちた者ではない。花以外の3人はおよそ先というものが考えられない人間なのだ。
そもそも花が頼りにした黄美子からして、先のことや金勘定は考えられない人間なのだ。計画性という言葉とは無縁で生きている。今しか目に入らず、歳を重ねて行った先のことなど爪の先ほども考えていない。不安定な身分、保証のない生活。
それは蘭も桃子も同じことだ。どうにかして金策をしなければならない時でも、なんとかなるよね、などといいながら、不安でも動こうとはしない。花の周りにはそんな人間しかいない。母も同じだった。
なんの保証もない以上、金以上に頼りになるものはない。自分が方策を考えて動かなくては、何もどうにもならない。花がそう思い詰めるのも無理はない。花にとっては初めて手に入れた友人と呼べる仲間だから。
花に危ないシノギをくれるヴィヴィアンが、1人で店の再開のめどをつけようとしている花にいう言葉が強烈だ。

「世の中は、できるやつがぜんぶやることになってるんだから、考えたってしかたないよ。無駄無駄。頭を使えるやつが苦労することになってるんだよ。でもそれでいいじゃんか」
「苦労するのはいいことなんですか」
「いいことだとは言ってないよ。しょうがないってこと。でも苦労もできないばかよかましでしょ。あいつらは幸せかもしれないけど、馬鹿だよ。あんた、幸せになんかなりたい?」
「わかりません、幸せっていうのがどういう感じか」
「幸せな人間っていうのは、たしかにいるんだよ。でもそれは金があるから、仕事があるから、幸せなんじゃないよ。あいつらは考えないから幸せなんだよ」

本文 P373より

さらにヴィヴィアンは蘭と桃子のことを“幸せで、図々しい、あんたのお友達ら”と言う。
花も薄々気づいていたことを、ヴィヴィアンははっきりと言葉にするのだ。
働かなければ生活できなくなるのに仕事を辞めてしまう蘭、くだらない男に入れあげて金の工面ができずに追い込まれる桃子、スナックを失くしてから映水の持って来る金しか頼りがない黄美子。スナックを失う以前に花を訪ねてきた母はマルチで失敗して花が大切に貯めた200万を借りて行った。
花の周りには“幸せで、図々しい”者しかいないのだ。それでも花が必死で考えて稼いでこの暮らしを維持しようとするのはなぜなのか。彼女の抱えている孤独感がそうさせるのか。
目的と手段がいつの間にか入れ替わり、金を貯めることが目的になってしまった時、花も一線を超えてしまう。彼女の不安と焦りが、彼女を狂わせる。
おそらくは黄美子や蘭、桃子、そして花の母親はボーダーなのだろうと思う。差別的な表現になるので良くはないが、ネットスラングで言うところの“ギリ健”。生育環境だけでは説明がつかないと思える部分もあるので、そうなのではないかと思う。
“今”が凌げていれば、問題が目に入らない。将来のことなど考えられもしない。安易な方向を示されれば飛びついてしまう。どう考えてもヤバいことでも、後先を考えられないから焼石に水のようなことでもやってしまう。根本の問題に目が向かないのだ。
彼女たちより少し考えが回るとはいえ、花も17で“普通”からドロップアウトしてしまい、“そちら側”の人間と繋がってしまったことで、常識的な判断はできなくなってしまっているのだ。夜の世界の金の動き方に身を置いてしまった以上、数百円の時給で働いても何もかも足りないようにしか思えない。店の再会はひとまず置いておいて、3人の生活をひとまず作り直すことからしていれば、こんなことにはならなかったかもしれないのだ。
天祢涼氏の作品の感想でも書いたが、“知らない”ということが悲劇へとつながる。花はこれ以外の方法を知らなかった。中卒で身分を証明するものもない、そんな不安定な人間がまっとうに暮らすすべなど、花にはわからなかった。
単純な話だ。母と住んでいた街の役場に行って転出届を取り、三茶に転入、ついでに国保に加入するだけのことで彼女が気にしていた身分証明は手に入るのだ。だがそんな正攻法は誰も教えてくれない。家出してすぐの17なら難しかったかもしれないが、18なら黄美子に就労証明をしてもらえばできたはずだ。けれどそんなことは花の世界にはなかった。保険に加入すれば保険料がかかる。きっとスナックをやっていた頃も税金は払っていない。正攻法には金がかかるのだ。そうなれば正攻法はやぶ蛇だ。そんな世界に生きていない映水やヴィヴィアンも、知っていたところで教えはしなかっただろう。
“普通”から、社会から取りこぼされた者たちは、そこから抜け出すことができない。そんな閉塞感と焦りが花の目的をぼやけさせていく。どうにか生きていくために。4人で生き抜いていくために。そのためにしていることのはずなのに、どんどん4人の関係を歪にし、心が離れていってしまう。花の孤独は増すばかりなのだ。4人のうちの誰かが、花の心に寄り添えていたなら、花のやろうとしていることを理解できていたなら、違う結末があったかもしれない。
追い詰められ、崩壊する、金運を呼ぶはずだった“黄色い家”。彼女たちはバラバラになり、それぞれの人生を歩むことになる。その後の人生は花のもの以外は詳しくは描かれないが、お察しと言っていいだろう。
この物語の終わりをどう捉えていいのか、私にはまだわからない。
あんなことになっても、花にとってはかけがえのない場所だったのだろうか。もしかすると母と暮らした街よりも、花にとっては故郷だったのかもしれない。
花が求めていたのは、金だったのか、黄美子に見た母性だったのか、家族のように暮らす仲間だったのか。
あの“黄色い家”で暮らした日々は、幸せだったのか、そうでなかったのか。
そんなことを考え込んでしまう。
帯に「人はなぜ、金に狂い、罪を犯すのか」とあるが、それがすがることのできる確かな唯一のものに思えてしまった時、花のように一線を超えてしまうのかもしれない。
誰にだって不安はある。経済的な安定はその人の情緒的な安定にも一役買うことは確かだ。けれどそこに固執するとまた底なしの不安という沼に陥ることも知っている。
いくらあっても足りないように感じてしまったら、その焦燥感に押しつぶされてしまう。考えなくても、考えすぎてもいいことにはならない。
ほどほどに、中庸に、と言ったところで、根っこのところの安定を作るだけの能力がなければ取りこぼされてしまう。
居場所も思考力もないものが、暗いところに飲み込まれてしまう。昨今の犯罪によく見られる構図がこの物語にはある。今、書かなければ、と作者が考えたのは、この世情をみれば必然なのかもしれない。
何をどうすれば、彼女たちを取りこぼさずにすんだのか。
そんなことを考えさせられる一冊だった。

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