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自傷的自己愛と他罰的自己愛

著者の斎藤環先生は、Twitterだと「!?」と感じる発言をチラホラ見かける。
精神科医になりたてのとき、斎藤先生の引きこもりについての本を読んで畏敬の念を抱いていたので、ちょっと失望していたが、本書を読むと、やはりこういう分野での分析はさすがだと感じるところが多かった。
(とはいえ、一部「それはどうかなぁ」と感じるものもあった)

自己愛はネガティブに否定されるようなものではない、という斎藤先生の主張には全面的に同意する。

本書の内容がグサグサ刺さる人も多いと思うので、誰にでもお勧めできる本ではない。

自傷的自己愛について軽く紹介すると、「プライドは高いが自信はない」。自分で自分をダメだと考えているが、ダメな自分のことは自分が一番分かっているのだから、自分を評価する権限は誰にも渡さない。他者からはダメ出しされたくない。そのために、先手を打って徹底的に自分をディスる。

Audibleで読んだので正確性に欠けると思うが、こんなふうに理解した。
こちらのサイトにもう少し詳しく書いてある。

プライドというのはかくあるべきという自分であり,自信は今の自分に対する無条件の肯定的感情である。

本書を読みながら、自傷的自己愛とは真逆の「他罰的」自己愛が思い浮かんだ。
こういう人たちは自傷的自己愛とは逆に「プライドはそう高くないが、自信がある」。
つまり、自傷的自己愛の人が「自分はこうあるべきという想いが強いのに、今の自分への肯定的感情がない」ために自分をディスり続けるのに対して、他罰的自己愛の人は「自分はこうあるべきという想いはあまりないが、一方で他者はこうあるべきという想いが強く(しばしば強すぎる)、自分への肯定的感情は高い(しばしば高すぎる)」ために他者を攻撃し続ける。

自傷的自己愛が「自分をディスれるのは自分だけ」とするなら、他罰的自己愛は「あいつをディスる自分はあいつより上」という感じ。
ともに外部からの修正がきかないのは共通しているが、自傷的のほうが修正によって内側に尖っていくのに対して、他罰的のほうは外側に尖っていく。

斎藤先生は、自傷的自己愛の人たちに「自身の被害者性」に気づくことを勧める。彼らは被害者であることに無自覚なことが多いからだ。ということは、他罰的自己愛の人は、自身の「加害者性」を自覚すべきとなるが、これは非常に困難というか、まず不可能だろう。

こう書くと、強い他罰的自己愛を抱くのがどういう人たちで、どういうところで出会うことが多いか、分かるのではなかろうか。
そんな他罰的自己愛な人たちへの対策はシンプルだ。

関わらない。

「他者はこうあるべきという想いが強すぎるうえに、自分への肯定的感情が高すぎる人」とは、関わっても損するだけ。


最後に、引きこもりについての名著を紹介。
いずれ引用多めで記事を書く。


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