生きづらさを感じるのは、自分の人生を生きていないから
「私の存在価値は何だろう」「何のために生きているのだろうか」
「仕事ってなんでしてるの」「好きって何?」
そもそもの話、
『私は何がしたいの?』
そんなことを考え始めて、自己嫌悪の闇にのまれたことはありませんか?
それは、自分の物語を紡いでいないからです。
もう、この長ったらしい嫌なプロローグを終わらせませんか?そして、今日から全力で、自分の人生を走り始めるんです。
主人公になりましょうよ!もう、脇役で満足しなくていいじゃないですか。
自分が主人公の、自分だけの人生を歩きましょう。
僕も「人生の意味」「自分の価値」「なんで生きるのか」
そんなことを、永遠と考え続けている時がありました。今でも、時折考えています。
「生きる理由も価値もない」ことは、心の奥底で理解しているのです。
そして、「そんなことを考えても仕方ない」ことだって。
理性的な部分で、判断できているはずです。
だからこそ、「なんで生きているのか?」という問いを、問い続けるのです。不思議なことですが、無意味に自分に問いかけ続けてしまいます。
でも、その問いを持つことは悪いことではありません。
問いを持つことは、何をおいても重要です。
情報が集まり、ほかの人の生活が身近に感じられ、豊かになった現代。時間を悪い意味で持て余す僕たちには、そんなことを真剣に考える時間ができました。
そう、真剣に考えればいいんだ。
もっと、自分のことを真剣に誰よりも考えてあげればいいんだ。
今回のnoteは、そんな「生きづらさ」を感じている貴方へ。
その、生きづらさを感じない為の方法を一つ紹介したいと思います。
大事なことは、『自分の人生を生きる』ということです。
まぁ、意味が分からないですよね。具体的に解説していくので、「本気で生きづらさを解消したい」と思うのであれば、最後まで読んでください。
生きづらいという現実
社会が豊かになり、残念なことに僕たちは「生きづらさ」が増しました。
生活に必要なものが簡単に手に入り、望まなくても比較的裕福な生活ができます。そんな現代では、「私って本当に必要なの?」ということを、ツイツイ考えてしまうのです。
これは、仕方のないことなんです。
昔の偉人たちは、「社会を改善する」「人権を勝ち取る」「祖国を守る」「人類の生活を豊かにする」
野望を持って実直に取り組み、そして成果を示してきました。
そんな、英雄ともいえる主人公がたくさんいたんです。
そして、現代ではインフルエンサーや有名人がその主人公です。
しかも、その主人公は身近に感じることができるので、質が悪いですよね。
僕らは、だれもが主人公になれないから苦労しています。
なのに、その主人公たちは僕らの隣にいるような錯覚を覚えるんです。思わず、脇役な自分を甘んじて受け入れてしまいそうになります。
英雄になれない僕ら
優れた人や勉強ができる人たちは、多くの分野で活躍してきました。
その優れた能力を活用し、知識と経験で社会に貢献したのです。
ただ、現代ではそれは非常に難しいというほかないです。それは、インターネットの普及とSNSの一般化で起こりました。
各種最先端の情報を、無料または格安で入手できるようになりました。
身近な人との生活の格差が、目に見える形で明らかになりました。
人は必死に足掻かなくても、暇のない充実した人生を、当たり前に享受できるようになりました。
記憶力や知見が乏しくても、検索すれば簡単に知ることができるようになりました。
そんな、「本気で生活に困る」という事態が少ない現代。『何者か』になることは、本当に難しいです。そして、隣を見ればその「何者か」になった人がいます。
各種情報やデータが簡単に手に入り、生活水準も大幅に上昇した今。僕たちは「英雄」になれないのです。
有名人にもなれない
インフルエンサーと呼ばれる、インターネット上で人気の人たちがいます。そうでなくても、フォロワーという形で、あなたの認知度が可視化されました。
これは、「自分がどれだけ認知されているか」の指標になりました。ただ、一方でその数を比較したり、自分の投稿への反応を見て、後悔することも増えていきます。
それは、「私は誰にも認知されていない」という虚構を生み出しました。
SNSやインターネットがなければ、それは親兄弟と、身近な友人だけの関係だったはずです。でも、今は現実よりもネット上の関係を意識して、そこに居場所を求める時代です。
そして、普通の人が、古来の英雄のような、有名人になれるのです。その現実を前に、さらに孤独感を感じてしまうようになりました。
隣を見れば、有名人がいる。しかも、インターネットで簡単に交流できる分、その存在は本当に身近に感じることができてしまう。
手を伸ばせばそこにいるようなのに、泡のように消えては現れる。
自分は、そんな彼らに手が届かない。彼ら彼女らのように、誰かに求められることも、認められるようなこともない。
そう思ってしまうと、「本当になんで生きているんだろう」と思ってしまいます。
言いようもない生きづらさ
生きる大義名分もなければ、人から認知されている実感もない。
そもそも、何を目標としてこの人生を謳歌したらいいのかすら見えてこない。
自分と同じような人が、ネット上では人気を得ている。でも、自分は成功しない。同じようなことすら、できない。
ああ、やっぱり自分はダメなんだなと自己嫌悪する毎日。
無意識なのか、意識下なのか。
この、言い表すことができない生きづらさを感じてしまう。
「自分の存在を賭けてのレベルで生きづらさ」を感じているのだと、ようやく実感しました。
死んだように生きる僕たち
僕は今現在、22歳です。特に、特徴もなければ、面白みのない平凡な人生を送ってきたつもりです。ただ、僕とかかわった人は口を揃えて、「お前は普通じゃない」と、そういいます。
この、「お前は普通じゃない」という言葉は、僕を縛り付ける楔になりました。いわれるたび、小さな決して癒されることのない傷が入るのです。
生きづらさを感じるのも、これと同じようなものです。一度実感してしまうと、その小さな楔は、何度も悪夢のように自分に襲い掛かります。
経歴がすべてじゃなかった
「一流の大学を、卒業。そして、一流企業に就職して、問題なく活躍している」
一見すると、憧れるような経歴です。僕だって、素直にうらやましいなと感じてしまいます。僕は、大学に行きたかったですが、親から解放されたい一心で、就職を選択したので。あと二年間、我慢できそうになかったですね。
ただ、そんな羨ましい経歴の持ち主でも「生きてていいのかわからない」といいます。華やかな経歴で、未来が明るい人でも「なんで生きているのか」で悩んでしまうのです。
話を聞いてみれば、「自分に自信が欲しい」「今の地位にしがみつくので必死だ」「お金があっても何もできない」「何のために毎日を過ごしているのか、わからない」と、悩みが山のように出てくるのです。
自分に自信が持てない
「私が生きてていいと思えない」
「何のために、頑張ってきたんだろう。これまでの人生も、努力も、無意味だった」
「幸せになれるイメージが沸かない」
この悩みを潜在的に抱えている人が、多いように思います。
生きる目標も、生きる理由も、自分の存在も。
そのすべてが、「無意味」「無価値」に感じてしまうんです。
それは、『自分に自信が持てない』ということに起因していると思います。
誰もが感じるこの生きづらさは、「自分を認めること」ができないから。
だから、感じてしまうものです。
とはいえ、「自分に自信を持つ」なんてそう簡単にできることか?
絶対ムリです。簡単にできれば、生きづらさなんて感じずに、簡単に生きることができたんですよ。
自分の人生の意味
自分に自信を持つことが難しい理由は、非常に簡単だ。
『自分の人生を自分の足で歩かないから』
これにほかなりません。
自分の人生の意味や、今頑張る理由を自分にできているのですか?
本当に、自分のための人生を歩いていますか?
自分自身の物語を、自信をもって紡ぐことができていますか?
あなたが生きている理由を、他人にゆだねないでください。
もしも、これまで自分の人生を自分で歩けていなかったのなら、ここから始めましょう。自分の、あなただけの人生を今始めないといけないんです。
自分ではない誰かの人生
誰かの感情のための生活
心ここにあらずな毎日
自分が気付かない間に起こっている、この三重苦。一つでも当てはまると、言いようもない、表現できないようなもどかしさと、生きづらさを感じます。
もしも、この三重苦に当てはまることが一つでもあるなら、今スグに行動を変える必要があります。そうしなければ、先の見えない、終わりのない苦しみと、葛藤し続けて戦い続ける必要があります。
見栄すら比較でしかない
僕たちの、「この人は幸せそう」「うらやましい」と感じる姿は、変わっていないのです。これって、本当に不思議ですよね。
誰もが「金が欲しい」と願いながら、「金があれば何をする」と聞かれて、次のような姿を思い浮かべる。
旅行
高級レストラン
高級車
外車
ブランド品
そして、それを所有して満足しないのだ。自分よりも、より多くのものを持っている人や、高級品を持っている人がいれば、「不幸だ」と思ってしまう。
幸せの可視化は、自分の幸せと比較できるようになってしまった。しかも、その形は「目に見えるもの」でしか判断できないのだ。これは、日本人特有なのかもしれないが。
「ただ生きているだけで幸せだ」と感じることができない。自分自身を肯定する手段を知らないからだ。そして、自分を肯定しようにも「自分よりも~」と思って、比較した瞬間ダメになるんだ。
どれだけ見栄を張って、幸せを演出しても、幸せになれないんだ。さっきの経歴もそうだけど、自分のための行動ではないからだ。
初めに話した「英雄」「有名人」というのも、同じなんだ。
根幹には「だれかとの比較」「誰かのための人生」という、どう頑張っても自分が幸せになれないロジックが存在している。
自分の人生を走る
幸せになるには「自分だけの人生を歩く」必要があります。
特別でなくていいんです、比較する必要もないんです。
ただ、「自分の物語を自分の意志で紡いでいく」だけでいいはずなんです。
自分に嘘をつく必要だってない。
いろんな人に、いろんな形で必要とされる必要もない。
感じる必要のない、孤独を感じる必要なんて、本当はないんです。
自分の人生を走ることができれば。
ありのままの自分を認める
ありのままの自分を認めて、愛してあげる。
これが、感じている生きづらさを改善するための、唯一無二の方法です。
でも、ありのままの自分を認めるのは本当に難しい。だって、自分のコンプレックスは、自分だけが知っているから。それに、自分が一番自分のことを大嫌いだからですね。
だから、今の自分と徹底的に向き合うしかないんだ。
できるできない、ではない。
時間をとって、ゆっくりと対話していく必要が絶対にあるんだ。これは、もう避けることができない段階なんだ。
だって、生きづらいんだから。
自分のことを、認められないんだから。
好きになれ、なんて言わない。それは無理だ。
僕だって、自分のことは大嫌いです。でも、自分のことは肯定している。
自分の物語を、自分で肯定していくことはできるから。
自分の「今」この瞬間に、全霊で向き合うことが必要なんです。
そこに、他人との比較なんて必要ありません。むしろ、比較して上下をつけて、勝手に自己嫌悪している。
そんな、傲慢な行いをやめたほうがいいです。
自分の為だけの、最高の人生を紡いでいきましょう。
最後に
僕は、本を読んで生きづらさを、克服しました。
多くの物語の登場人物たちが、僕に生き方を示してくれたんです。
物語の構成は、基本的に同じだ。
でも、そこにどれだけのオリジナリティを持たせて、リアルさを持たせるのか。そして、葛藤の深さや表現の方法で、無限大の可能性を示してくれる。
現実を生きている僕らだって、同じはずなんだ。
星の数ほどもいる人類が、同じように星の数ほどの人生を送っているんだから。
だから、自信をもって自分の人生を歩めばいいんです。
本を読む、物語に触れるというのは、この生きづらさを意識して感じてしまう現代では、一番必要だと思っています。
もしも、生きづらさを感じているのであれば。
自分の人生を変えたいと思っているのであれば。
今からでも遅くないんです、動き出してみませんか?
レイに関して
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