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映画『94歳のゲイ』からLGBTと生きづらさについて考える

LGBT

近年、よく耳にするワード。

正直、マジョリティー側が「私たちは、あなたたちを受け入れますよー」のようなポーズに見られる。

もっと斜めからみると自分たちが気持ちよくなるために利用しているようにも感じてしまう。

私自身は異性愛者である。

そのため、LGBTを概念としては理解しているが、それ以上のことは正直何とも言えない。

当事者でもないのに分かったような態度をとるのは、どうしても偽善に思えてしまう。

なぜ映画『94歳のゲイ』を観ようと思ったか

94歳、いわゆる高齢者にスポットを当てていることだ。

近頃では同性愛を題材にしたコンテンツが、地上波でも当たりまえのように流れている。

ほとんどの登場人物は、学生あるいは社会人の設定のため、高齢者のケースは見たことがない。

94歳が生きてきた時代と、今では同性愛にたいする考えかたが大きく異なる。

信じられないかもしれないが、かつて同性愛者は“変態性欲”と言われ「治療が可能な精神疾患」として位置付けられていた。

1994年にWHO(世界保健機関)や日本精神神経学会などが同性愛を「精神疾患」の対象から除外したものの、病人扱いされた同性愛者の方々はどれだけ胸を痛めたことだろうか。

本作でインタビューを受ける長谷忠さんは、誰かと交際したことも性交渉の経験もない。

ましてや同性愛者であることをカミングアウトすることもできなかった。

長谷さんは「本当に生きづらかったよ」と、カメラに向けて強く訴えかける。

このように苦しい思いをしながらも、自分たちの存在を世の中に訴え続け、闘い血を流してきた人たちがいるからこそ今があるのではないか。

男性同性愛者向けの雑誌『薔薇族』の存在

「自分は普通ではない・・・」と苦悩した多くの男性同性愛者の心の支えになったのが『薔薇族』だ。

今のようにSNSで簡単に人とは繋がれなかった時代。そんな中『薔薇族』は、同志がいることを肌で感じられる貴重な役割を担ってくれた。

この世に自分と近い価値感を持った人がいる。
それが分かるだけで、どれだけ救われることだろうか。

生きていれば、きっといいことがある。

苦しい思いを抱えながら生きている人にとっては、きっと生ぬるい言葉でしょう。

しかし、長谷さんは生き抜いたからこそ、かけがえのない理解者たちと出逢うことができた。

ハッキリ言って人間関係は、面倒なことの方が圧倒的に多い。

だけど、心をときめかせてくれるのも、温かい気持ちにさせてくれるのも、間違いなく人との繋がり。


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