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エマヌエル・メッテル先生降臨。

今日は私的にもかなりぐっとくる内容の「ブギウギ」でした。旧Twitterで興奮しすぎて放送中から騒いでしまった。
いよいよスズ子ちゃんが覚醒しはじめた回という意味でもとても大切だったし、そこに至るまでに松永さんが影響していたり、家族と一緒でいつもと違う羽鳥先生だったり、麻里さんだったり、カツオ君だったり・・・もういろいろ。情報量が多すぎました。羽鳥家でスイッチが入ったスズ子ちゃんの「ラッパと娘」覚醒第一弾は素晴らしかったー。

そんな大事な大事な回で私がうわーとなったのが羽鳥先生の仕事部屋でピアノの上に置いてあった写真がクローズアップしたシーン。
服部良一さんに詳しい方はご存知だけれど、恐らくほとんどの人が「誰。」ってなったこの写真。恩師メッテル先生の写真です。服部良一は生涯この写真を仕事場の見えるところに飾っていました。

エマヌエルメッテル先生サインとメッセージ入

ローマ字で「すきなでしのはっとりりょういちさんに・・」と書いてあります。
もともとこの写真を羽鳥さんの部屋のどこかに飾りますというお話は伺っていたので、今日の回はちょっと楽しみにしていました。探さなきゃって。
そしたらなんと探す必要なかった。ウクライナ人のエマヌエルメッテル。
私が書くまでもなく、服部良一はこの先生に見いだされ、和声学をはじめ、クラシックの基礎をそれは厳しく叩きこまれました。私が勝手に思っている事だけれど、晩年にシンフォニックな曲を沢山作ったのもメッテル先生が師匠だからっていうのもあるのかなと。そして、大阪から東京に行った服部良一さんはメッテル先生に教えてもらった事を他の若い音楽家に教えていきます。戦争中上海に行った良一さんは中国の音楽家にも音楽を教えました。あの戦争中に上海でです。

ここらへんの事は本当にエピソードとしてとても面白いので、宣伝だと思われるのは大変に不本意ではございますが。

ここらへんに書いてございます。ぼくの音楽人生にはメッテル先生の章も。
そんな服部良一の音楽人生に欠かせないメッテル先生の写真を使ってくれた事、もちろん制作者の遊び心もあったかもしれませんが。朝からとても嬉しかったです。

そんな服部良一とメッテル先生の別れのエピソードが私は大好きなのです。
先生が日本を離れる事になり、見送りに行った服部良一たちに船のデッキからハンカチを三拍子で振りながら「ハットリサン、テンポ、テンポ!」と船が見えなくなるまで三拍子を振り続け、それを見送る服部良一も同じようにハンカチで三拍子を振り続けたそうです。その後だいぶ経ってから。船に乗ってパリに留学する長男・克久にも同じ事をした良一さんの姿がありました。

祖父がいなくなった今でもわが家にはメッテル先生の写真が祖父母の写真と一緒に飾ってあります。ずっと服部家を見守り続けているあの写真をどこかに片づけてしまうという事が私にはできなくて。
今でも祖父が取り上げられる番組になると「メッテル先生の写真ありますか。」と必ず聞かれるこの写真。想像しなかった存在感で「ブギウギ」の羽鳥善一さんのお家にいてくれた事がとてもとても嬉しかったのでした。


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