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小さい頃のお話し。

普段より読んでくださる方が多いので。なぜ私がこんなに良一さんの事で熱くなってしまうかというその原点のお話し。祖父は本当に楽しい事が大好きで。母が子どもの頃は本当によくパーティーをしていたそうです。集まるメンバーもすごい人たちばかり。今でも母や叔母たちが楽しかった事としてその頃の話をしてくれます。パーティーの余興は良一さんの子どもたち5人の役目だったようで、事前にお弟子さんたちが曲を作り、お稽古を重ねてそれをパーティで披露したそうです。

そしてそれから数十年後。良一さんの孫は全部で10人。誕生日・正月・クリスマスにみんなで集まってワイワイするのが最大の楽しみでした。そして孫たちも毎回「音楽会」をやる事になるのです。事前にそれぞれが2曲選曲し、練習して当日発表。子どもたちでプログラムを作成し、持ち回りで司会をやり。審査員長はもちろん服部良一。副審査委員長は服部克久。そしてみんなの親が審査員でした。開会宣言はもちろん服部良一。回を重ねるごとに絵が得意な子はプログラムのイラスト担当、思春期を迎えて音楽会は開催されなくなりますが、後半にはギターで弾き語りなんていうのも。隆之君はすでに入場用のテーマ曲作曲していました。

力作のプログラムと細長いポスター

審査委員がいるからにはもちろん順位も決定します。
ただ子どもですから、ほぼ1位は順番でした。それでも一等賞はめちゃめちゃ嬉しかった。そして音楽会の選曲時期になると毎回母親におじいちゃまの曲を歌えと言われるのですが、そこは子どもでなんだか恥ずかしくてついに一度も歌わなかった事を思い出します。ジャングルブギ歌ったら絶対受けるから!って言われてかなり練習したけれど、あの曲はハードルが高かったー。でも絶対孫たちが歌ったら祖父は嬉しかっただろうなと40年以上経って反省する私。

祖父が何かのエッセイで今までもらった表彰状の中で1番嬉しかったという表彰状があります。

表彰状!

私たち孫世代は祖父というと音楽祭の審査員をやっている姿が1番強くて。だからこの賞状をおじいちゃまにあげよう!となったんだと思いますが。こんな遙か昔の事なのに、あの時の嬉しそうな姿は今でもはっきりと覚えています。大切に袋に入れて取っておいてくれていました。

こういう楽しい経験をさせてもらった孫たちは作曲家、テレビマン、サラリーマン、ホテルマン、父親のマネージャー・・・それぞれの世界でみんな頑張っています。私はというと小さい頃から本当に歌が好きで。1日中歌っているような子どもでした。ある日祖父から「そんなに好きならちゃんと勉強しなさい。」と言われて、言われるがままに音大を受験し、声楽の勉強をはじめましたが、祖父と違って根が努力家じゃなかったし、歌を勉強するという事にどうにも馴染む事ができず。歌手という道は早々に断念し、逃げてしまいました。それでも今テレビ制作の裏の裏の裏みたいなお仕事を細々とやりながら祖父のいろいろを整理したり、祖父の事を伝えたりしているのは大好きな作業の1つです。沢山の素敵な出会いもありますし。克久伯父に良一さん担当を任せてもらえた事にも繋がったので、おじいちゃん子バンザイです。

音楽会のカセットテープが今でも残っているのですが、そのうちデータ化して大人になった孫たちにあげようかな。

音楽会。

トップに貼った家族の写真は私たちは本当に愛情を沢山もらって育ってきたんだなとこの年になって見ると泣きそうになる写真の1枚です。

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