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春学期9週目 とうとう四月、迫り来る終わりと共に今を生きる 

四月一日、月曜日からこのnoteを始めます。残り1ヶ月の学期を前にして、夕暮れを見て一日の終わりを察する時と同じような心地です。


私を救う日常の儀式的な行為

先週の木曜日に日本で死んだペットのうさぎ・月次とアメリカで生きる私をつなぐのは、1週間は黒い服を着るという自分で決めた儀式的な行為だった。ホーム画面には、月次の棺の写真。白黒にしていて、その写真に気づいたのは一人の友達だけだった。この心にある痛みを、特に仲良くない人に話そうとは思わないし、悲しいムードムンムンでいようとも思わない。でも、その心の痛みは今は月次へと続く唯一の道で、それを忘れてしまうことが、何よりもつらい。だから1週間は黒い服を着て、月次の喪に服すと決めた。服に関して褒められたり、何か聞かれた時にだけこのことを伝えている。洋服は、いつしか月次や家族から遠くに住む自分へのリマインダーとして機能するようになっていた。

少し前から聞いているポッドキャスト、New York TimesのModern Loveにて、お気に入りのエピソードがこんなことを言っていた。

Grief for me has meant, as years has passed, it becomes harder and harder to remember what it felt to be loved like that. (私にとって悲しみとは、その人に愛されることがどんな心地だったかを、思い出すのがどんどん難しくなること)

Modern Love, "I married to my subway crush"より

あのもふもふと、体の温かさと、トゥットゥッとなり続ける鼓動の響き。ポリポリと野菜や苺を食べるあの音。月次も私と同じで夜型だったな、とか。時と共に、思い出すのがどんどん難しくなってゆく。それも人生、それも別れか。悲しみの意味と、その色鮮やかさ。喜びは、白一色しかない。

小さな山を少しずつ超えていたら、気づいたら大きな山を登っていた

5ページのエッセイを、締め切りの一日前に始めること。ポリティカルサイエンスの論文を十個読んで、レビューを作ること。フラタニティのメンバーにインタビューすること。毎週月曜日には120ページの文献を読むこと。あげたらキリがないくらいに、私の毎日は困難に溢れていて、よく視界が霞んで暗く見えてしまう。その度に、メイクしたり、髪にリボンをつけてみたり、制約はあれどおしゃれしたり、友達とお喋りしたりハグしたり、袖を捲ってとにかく取り掛かったりして、なんとかやってきた。友達に、"hustler(頑張り屋)"だと言ってもらったことがある。日々困難なことばかりで、それが一つ一つ完璧にこなせないことで自己肯定感は毎日下がりがちなんだけど、周りからはそう見てもらっているのか、と救われるような気持ちだった。

そしてICUの友達のインスタの投稿を久しぶりに見た。私がアメリカに発つ前、久しぶりに3人で再会したとき。それぞれの道に進んでいった私たち。友達は私のことを、「学問への情熱を追求するためにボストンに発つ」と表現してくれた。実際こっちにきて、大変であれば大変であるほど、本当に勉強が楽しいと思ったし、もっと続けたい、もっと社会に還元できるような何かを築きたいと、涙が出るほどに強く感じた。地元のあの香りと、自分の部屋と家族と、美味しくて安いご飯と、少し平和ボケするくらいの安心感を最近すこぶる恋しく感じると同時に、もう、元の自分には戻れないなぁと、そんな確信が頬をかすってゆく。

こうやって一個ずつ困難を超えていくうちに、自分では日々気付かないくらいの変化を少しずつしていて、時が経った時には大きく変わっているんだろう。小さな山を超えているうちに、大きな山を超えていた、なんてね。

嬉しい連絡集

最近Gmailのインボックスを見るのが楽しみだ。それは日々いろんなメールをいろんなところに投げているからで、開いたら一個くらいは嬉しい知らせが届いている、的なところがある。最近嬉しかったのは、私のバイブル的な本「真にダイバーシティな社会をめざして〜特権に無自覚なマジョリティのための公正教育〜」の著者であるダイアン・グッドマンさんから返信が返ってきたこと。zoom chatのお願いに、来週以降ならいいよ〜と快諾してくれた。
先週お話ししたオーストラリアで男性に向けたアクティビズムをするBob、とUMassで長い間男性アクティビズムを牽引したTom、Tomに紹介してもらったオレゴンの日系アメリカ人アクティビストのPeggy、インターン先のボスに繋いでもらったNGOメンバーCraig、インタビューを受けてくれることになったフラタニティのメンバーのNathan。全部、ビビり散らかしながらお願いのメールを書いた時間と、飛び跳ねるほど嬉しい返信を経て、成り立った出会いだった。
それと、インスタのDMだったけど、私のこのnoteを読んでくれた来年留学予定の子から連絡が来たこと。あくまで私の経験や感覚を書き溜めているnoteだったけど、アマーストの生活を知るのに役立てていてくれたみたいで、とても嬉しかった。ちょっと緊張しながらメッセージをしてくれたのが伝わってきた。自分がメールを送りまくる側だったのが、こうして連絡先を探し出してコンタクトしてもらう側になるとは。ちょっと感慨深い瞬間だった。

見える世界

こうだったらよかったのになとか、こんな限界があるな、とか。「たられば」や不安が今の鮮やかさを奪ってゆく。これだけで十分なのになぁ、と時々BASIみたいなことを思ったりする。

まだまだやりたいことだらけ

この短い交換留学、最後まで暴れてやろう、と本気で思っている。その証拠に、四月には4つのイベントが待っている。まず、友達がやってるアートの展示への出展(返事待ち)、もう一つ英語と別の言語で表現したアート展への出展(もうすぐ応募)大学院生の友達が主催するアートプロジェクトのアシスタント、そして学部生カンファレンスでの自分のペーパーの執筆と発表。ついでにインターンもちょくちょく入るのと、授業はそろそろ終わりに向けて学びが分厚くなっていく。
でもちょっと気を抜くと「寂しい」とか「誰かに私の価値を肯定してほしい」っていう他人基準のモードに入ってしまうので、自分のことを自分でケアしつつ、時に暴れ時に潰れながら残り時間を全うしようと思う。具体的に決めたルールは、①毎日シャワーを浴びること、②メディテーション、③ご飯の前には感謝の言葉を頭の中で唱えること。私の中で、リセットと感謝は極力病まないためにとっても大事な要素だ。

なかなかうまくいかない、でもそれでいい

いろんなことが待ち受けていてワクワクしていた四月だけど、アートの展示への応募は落ちてしまったようだ。最終的に残った作品たちは確かにとても素敵で、自分が出したものはきっと審査側にとって鮮やかさに欠けたんだろうな、と客観的に腑落ちはしている。でもやっぱり残念なものは残念だ。特に何の連絡もなく、インスタグラムの投稿に受かった作品たちが乗り、自分のがなかったことで落ちたと悟ったのは少し物悲しかった。
今週土曜のカンファレンスのために必死に書き上げていたペーパーは、実は提出不要だと知り、これもどぎゃん?となった。なんだい、ちくしょーと思いながら、もっと質の高いペーパーが出せるってことだろうと思ってよしとする。

他にもあったな。最近仲良くしていた人が自分と異なることを求めていると分かった最近、真夜中のキャンパスホテル最上階に一緒に忍び込んで、電気を真っ暗にしてキャンパスの夜景を見ながら話し合って、お互いができるだけ傷つかない合意に達したこと。これも世知辛い結論ではあったけど、自分を守るために、自分がありたい自分でい続けるために、必要なプロセスだった。そして何より、疲れる作業ではあったけど、自分の感じたことや考えていることを相手の前で言語化して、詰まりながらも英語で伝え上げたこと。きっとこっちにきた頃にはできなかったことだろう。それは自分がこういう話をするくらいに人と深く関係を構築したこと、英語で思いを伝えることに慣れたこと、何より、行き違いが生まれたときに、逃げずに相手と話して結論に至ったこと。少し寂しい気もするけど、きっと1ヶ月後には、自分や相手に感謝しているだろう。

色々やらなきゃいけない日ほど、朝は体が起きるのを拒否すること。後から困るってのに、やってられんや。日曜は結局3時まで二度寝をしていた。きっと心が疲れていたんだろう、とか思うけど、流石に寝過ぎて頭が痛かった。

宝物みたいな友達

すごくたまに巡り合える、ものすごく良質な関係を築ける友達っているじゃん、私は幸せなことに、そんな友達をここで何人も見つけることができた。日曜にはそんな友達二人と寮で一緒に料理をして、美味しいねって言いながら食べた。最初友達の部屋に行ってみたら、長かった髪を刈り上げた友達の姿。え〜だれ〜〜!と思わず叫んでしまう。気を取り直してキッチンで私が作ったのは、日本でよく食べていたお鍋をポトフ風にしたやつ。仕上げにまるちゃんラーメンを追加して締めラーメンも味わってもらった。友達は、彼のオハコのオーツレーズンクッキーを生地から家で用意してきてくれた。ちなみにジューシーでめちゃうまだった。もう一人の友達はめちゃうまなピザを頼んでくれて、はち切れるくらいにいっぱいになったお腹を鏡で見ては、「唯一欲しい苦しみは、食べすぎて苦しいことだね」とかいいながら笑っていた。

一人は明日仕事があるから先に帰り、残った二人は部屋に行ってAKIRAを見た。なんてこった、これはかなりファッショナブルにトラウマを植え付けていくじゃないか。1980年代に書き上げられた「ネオ東京」のレトロさと近未来感。私は見たことも感じたこともないものに懐かしさを感じていた。ラストが怒涛すぎて、友達と二人で口をあんぐりさせていたら終わっていた。途中で友達のルームメイトが帰ってきて、なんかずっとガサゴソしたり、男の人と電話している。その子がトイレに行った時、携帯が机の前に置きっぱなしで、その画面いっぱいに男の人の顔が写っていた時はちょっと流石にビビった。
夜も更けて、私は帰り支度を始めた。その友達はタッパーにピザやお鍋の残りを入れてくれて、帰り際にたくさんハグしてくれた。スペイン語が母語なその子は、"Te quiero, Sari"と言ってくれる。溢れるくらいの愛を受け取った私は、帰り道の寒さがなぜか辛くなかった。課題は終わっていないが、プライスレスないい時間を過ごしたなと、それだけは確信していた。はぁ〜、あったかい。今日会ったこの二人は、みんな忙しくてなかなか集まることはできないんだけど、それぞれのクオリティというか、優しさとユーモアがすごくて、会えたらすごく楽しい時間が過ごせるし、それまでの時間が関係ないみたいだ。

終わりって

終わりを意識すればするほど、目の前が霞んでゆく。終わりを意識しないと、気づいたら終わっている気がする。こんなにも、何かの終わりを感じたことはあっただろうか。自分の生活を自分一人で成り立たせることも、自分のありたい像や自分自身を模索し表現したことも、20年住んだ国を離れて母国語以外を話すことも、何もかも初めてだった。大丈夫、日本に帰っても、この9ヶ月、必死に頑張って踏ん張って時に潰れて、その中で築き上げた誇りは、消えることはないよ。きっとそう。(詩を英訳した時、「きっと」という言葉は、私の中で"defenitely"となっていたことに気づいた。必ずそうなる、という願い。だから、私の中で「きっと大丈夫」と言うときは、必ず大丈夫だよ、という願いなんだな。)

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