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大学生活振り返り編2

こんにちは、とんです。

Advent Calendar 3日目になります。
まだまだ大学1年生です。

2016年10月〜12月

大学1年生の冬学期に入りました。だんだん大学生活にも慣れてきて、夏学期のALESSのつらさを忘れてワクワクしながら新学期を迎えます。

必修の実験が始まり、クラスの半分ずつ物理と化学に分けられるのですが、クラスに4人いた女子のうち私ひとりだけ物理になってしまいました。女子が多いのがしんどかったのでこれはすごくよかったところです。この物理学実験を機にけっこう周りと仲良くなれた気がします。ペアが有能だったのでそんなに困りはせず毎回定時には帰れてました。ありがとう相方。

授業もこの頃はちゃんと行っていて、英語の会話の授業(FLOW)もちゃんと行けてました。最後のディベートのとこでトチって制限時間の後ろの半分くらい無言になってしまったんですが、先生が「他の人がフォローしないと」と言ってくれてなんとか単位がもらえたのはほんとに助かったし低レベルのとこ選んでおいて良かったと思ってます。ぜひ皆さんも身の程にあったクラス選択をしてください。

博報堂の方々が来てくださるゼミがあって、広告志望の私はぜひと思って参加してました。これが東大での大きな出会いの1つだったかなあと思います。
まず博報堂の講師の一人なんですが、中学時代東京に修学旅行に来た時に、アポイントをとってお会いした方の一人でした。詳しくは8日の記事に書きます。その方からまた勉強させてもらえるとなって、俄然はりきりました。
途中からグループ活動になって、与えられたテーマについて調べ物とアイデアの発表会があるのですが、メンバーとうまくやれなくてちょっときつかったです。グループに一人めちゃくちゃ富裕層の生まれの人がいて、テーマが「買い物」にも拘らずここで金銭的価値観がずれにずれまくっていました。別に悪いとかそういう話じゃなくて。
しかも彼にはちょっとわがままな、自分の意見しか通したくない的な思考があって、グループワークがうまくいきませんでした。メンバーもそんなに参加しなくなり、一人は講義そのものを切ってグループを抜けちゃう子もいました。今なら私も、もうちょっとグループをうまく回したりもうちょっとうまく意見のすり合わせが出来ただろうなあと思いますし、グループワークについてこのときの反省を活かして得たものはかなり大きかったです。

それと、この頃までは引き続き、毎日母親に連絡をとっていたのですが、みんなで飲みに行った際に「あんまり遅くなると母親に怒られるから」と言って抜けようとしたら「別に一人暮らしなら断る必要なくない?」とその子に言われたのが自分にとってめちゃくちゃ大きな転機でした。
ここで、「あれ、私って母親に依存してる?」「親離れできてない?」という違和感が生まれて、その後母親からの連絡をわざと絶ったりして、自分と母親との距離感について考えるようになりました。
精神を病み始めてる時期でしたが、それが親との関係性のせいなんじゃないかと疑い始め、親と精神との関連について精神医学や心理学の本を漁るようになりました。その本についてはまた偶数日のどこかでご紹介します。
簡潔に書いてしまえば、たぶん私は母親を安全基地(cf. ボウルビィ、岡田尊司)と思えていなくて、父親はかなりクズなので、それが精神の不安定の理由だったんじゃないかなと考察しています。その後しばらく母親のことが嫌いになる時期も経ますが、今はそんなに嫌いじゃないです。

10月、東京ラーメン巡りみたいなのを本格的に始めました。
神奈川にある台湾まぜそば屋さんをいろいろ行ってみたり、駒沢公園でのラーメン祭りみたいなのにも行って、食費にお金を使い始めました。
ちなみにまだ毎日弁当は作っていましたが、みんなが学食で毎日あたたかいものをあたたかい場所で食べている中、教室で1人冷たい弁当を食べることが悲しかったです。昼食を買うという発想がそもそもなくて、月の食費は普通に1万円前後だったと思います。

村上春樹が好きなのでノーベル文学賞待機をしていたのですが、この年はボブ・ディランが受賞して、「歌詞って文学なんだなあ」というのを実感しました。歌詞解釈とかするときに文学的な視点をちゃんと取り込めるのはこの時の受賞があったからだと思ってます。ちゃんと意識することってかなり大事だと思います。

11月、好きな作家さんの講演会&サイン会が京都であるということで、その土日に神戸大の学祭もあったので関西に遊びにいくことにしました。立命館でサインをもらった次の日、神戸大に行った同期と学祭を巡ったりしてめちゃくちゃ充実した2日間でした。
ちなみにこの2日間の送り迎えは全て母親の運転です。ひとりで行けると言ったのに心配だからと送ってくれました。

駒場祭では、所属していた書道サークルで初めて書道パフォーマンスに参加しました。この時の練習で同期や先輩と話す機会がたくさん増えて、同期の友達もちゃんとできてすごく楽しかったです。五月祭では当日のスタッフとしてだけの参加だったし全然知らない人だらけだったので、ここでやっとサークルに馴染めてきたなあという感じでした。
当日は雨か雪かですごい寒い日だったんですが私は傘を持ってくるのを忘れていて、搬出の時に同期の男の子2人が傘を貸してくれたのを憶えています。2つの傘に3人で入っている様子を「ベン図」と言って笑っていました。あの日が大学生活のモテ期ピークでした。

駒場祭には地元にいる高校同期も遊びに来てて、たまたま久しぶりに会えて楽しかったです。神戸のさっきの同期も遊びに来てて、一緒に巡ったりしました。
この時期も高校同期とけっこう会っていて、泊まってみんなで麻雀したり鍋パしたり、新宿でおしゃれなご飯食べたり、いろんなことしてました。ちなみにこのとき同期に勧められてスマホの脱出ゲームにハマり始めます。本当に高校同期しか友達がいなくて、クラスの子とご飯とかはおろか、サークルの子ともそんなに遊びに行ったことがなかったです。一回だけサークルの女子3人でご飯に行ったかな?
ちなみに駒場祭には母親が車で来てて、雨の中帰るのがかわいそうだと大学まで迎えに来てくれて家まで送ってくれました。

本当に人の話し声が苦手で、授業中とかの話し声は当然として放課の笑い声なんか全然耳がキンキンしてすごく嫌でした。ずっとウォークマンしてました。電車の中での会話とかも煩くて、それで外出したくなくて閉じこもるとかもしょっちゅうでした。
また道に迷うのがすごく苦手で、新宿駅の出口がわからなくて30分迷った末に壁際でひとりで泣き出してそのまま帰るとかも何回もやったことあります。道にひとりで迷ったときのストレスが半端じゃなくて、本気で建物全て破壊して一直線に行きたいってイライラするくらいでした。
それでイライラしてムカムカして、そんな自分に腹が立ってつらくなって、泣き出してしまうみたいな、そんな状態でした。

この頃高校生の家庭教師も始めたんですが、推薦をもらうために一回のテストだけ良い点を取りたいみたいな子で、前回のテストの内容が分かってないと次しんどいのにその復習をやりたがらないのがネックでした。ですがそれなりに成績は上がってきて勉強時間も増やしてあげることができて、ちゃんと成果が出せてよかったかなと思っています。
もう一人の引き続き教えている小学生の子も成績が上がって学校で褒められたらしく、親御さんがすごく喜んでくれました。ただ子供は子供なりにストレスを感じていたみたいで親御さんへの不満とかも持っていて、それが親との関係性に悩む自分と重なっていたので「どうにかしてあげたいなあ」という気持ちがありました。これによって教育とか子供時代の正しい過ごし方みたいな本にも手を出し始めます。

進学振り分けを来年に控え、前期の点数が思ったより低かったことにも悩んでいました。
けっこう今期で点数を上げたい気持ちと、大学での勉強の仕方が分からないという悩みもあって結構大変でしたが、なんとか理数系を頑張って、この時で確か点数が10点くらい上がった気がします。
進学先は、入学前から気になっていた教養学部と上のような理由からきた教育学部、あとは理系だったので理学部工学部の中で迷っていました。8日の記事で書くような経済学部という選択肢はこの頃には消えていました。初心を忘れやすいタイプなんです。

今期の講義でテレビ系のものもいくつか取っていて、その中で東大に「情報学環」という部署があるのを知りました。マスコミ系の研究を行っているところで、学部2年生から研究生という形で授業を受けられるシステムがあって、それを目指し始めます。
博報堂のゼミで、1つ上の先輩にそこに通ってる方がいて、その方からいろいろ話を伺ったりして対策を始めました。たしか1月から2月くらいにかけて(ちょっとあやふや)、小論文と面接があって、それまでに本を読んだり志望動機書を見て何書こうか考えたりしてました。そこに通うなら学部はどこにしようかなあとかも考えてました。


つづき↓

寒くなってきて、年末に実家に帰ってあったかい鍋を囲めることがすごく幸せに感じました。ですがこの年、大好きだったSMAPが正式に解散してしまいます。これについても詳しくは8日に書きます。

明日のAdvent Calendarは「東京生活ランキング第9位」です。引き続きよろしくお願いします。



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