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あの日と同じ場所、別の人間 チャンギ空港

ヒトが持つ細胞は60兆個あり、それは7年で全てが入れ替わるという。
肉体は食べたものから作られるが心は脳から取り入れた情報や経験で作られる。

私は何も知らない10代だった。
クラスメイトのタイ人の女の子が現地の人と結婚するのでお祝いのパーティーを開くといい、私を誘ってくれた。渡されたメモに書いてある住所へ辿り着くため、LONDON AtoZを何度も開いては閉じ、やっとのことでタフネルパークのフラットへ到着した。当時はスマホというものがなく、どこへ行くにも350gはあろう地図1冊と勘だけが頼りだった。
続々と到着するヨーロピアン達は皆ワインを手土産に持ってきていた。
『そっか、お土産…』私は目的地へ無事に到着することにばかり気を取られ、手ぶらできてしまった自分に心の中で青ざめながら、テレビから流れるフットボールマッチの喧騒を聴いていた。テレビから歌が流れ始めた。「これ何の歌かわかる?」とイギリス人が聞く。私とタイ人の女の子は顔を見合わせ首を傾げた。
「国家だよ!」… そうだったんだ!私は国歌も知らないで、友達のパーティーへはワインも持たず、ふらふらと訪れてしまうような子供(18)だったのだ…(笑)
正直に言えば、人に招かれてお家へ行くという経験がなかったので手土産について全く考えていなかった。(今思えば不思議な話だ。そのタイの女の子とイギリス人の家には家具がほとんどなく、がらんとした部屋で床にポテチを置いてパーティーをした。あの二人は一体何だったのだろう…)

自分が何も知らないタイプの人間だと初めて知ったその頃、初めて自分の意思で社会についての勉強を始めた。
学校へ行く資金はないので全てが独学の手探り人生がここから始まる。
そんな私がイギリスへ行く際に経由した空港、そこがチャンギ空港だった。
直通で行けば12時間、しかし何を選択するにもまずはお金が第一関門だったため一番安く、過酷な経路での夜間トランジット10時間越えコースのフライトを選んだのであった。

その当時と同じチャンギ空港経由で今回はマレーシアへやって来た。
同じ場所にパソコンコーナーを見つけて、あの日を思い出した。
着ている服まで思い出した。Honeysのセールコーナーから買ったピンクの秋の服。どう考えてもシンガポールの気温には暑すぎる。重いバッグを持って移動して蒸し暑さにやられているはずなのに暑いことより、無事でいるために神経を全集中させているため暑さには気がつかない。海外は危険ということで震え上がっていた私は歩き回り、座り、歩き回り、十数時間をなんとかやり過ごしのであった。

そして十数年が経ち、今回ここにいるのはもう別の自分。
「なるようになればいい」
歩き回ったり走ったりはしない。遅れる時はもう遅れてしまいたい。しかし、不思議と体内の羅針盤というか勘のようなものが磨かれて来るものなのか、足が勝手に私を然るべき場所へ連れて行ってくれる。気がつくと私はフードコートの一角で激辛チキンカレーを食べていた。 


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