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母の遺言、達成。

生前、母に「FPを受けなさい」と言われた。
当時私は就労ができず(今もだが)、家で猫とウネウネするしかやることがなかったので、その意見を受け容れ、資格勉強を始めた。
FP3級合格を伝える前に母は急死したが、これは遺言だと思い、私はFP2級まで取得しようと決意を固めたのであった。

正直、簡単に取得できるものでは無かった。

上記の通り、私は精神的に具合が悪いと、文章を読むことがかなり厳しくなってしまう。
そのためひたすら書き、文字を指で辿りながら読み直し、理解力が乏しくなってしまっている脳みそに叩き込むという、低スペックのPCで3DCGを動かすみたいな現象が発生していた。
マジな話、かなり苦しかった。
勉強が受け付けなくなり1度目の試験は不合格。
「これ、本当に受かるのか…?」という疑問を抱えながら、岐阜駅前で酒を飲んで帰宅した。

母がFPをオススメしたのは、仕事に活用できるから、というよりは「社会とお金の仕組みを少しでも理解できれば」という親心だったのだと思う。
実際、FPを取得したところで、率先力になれるわけでもなく、仕事が見つかるわけでもなかった。
「どうしてニートなのに資格を取るのですか?」と言われたこともあった。
私だって、資格を取ったところで全てが解決するなんて思っていない。
働くのが難しいという自覚と、働いていない私は社会に無益だという自覚が何度もせめぎ合い、周囲からの冷たい視線も相まって、ここ数年は本当に苦しい思いをしている。
家族と数少ない友人からの理解があるおかげで、辛うじて生きているようなものだ。
「ニートなら、資格を取って仕事を探そう!」という謳い文句の記事も何個か読んだが、資格勉強できるくらいタフなニートは、多分その時点でフリーターにはなっている。
働かないからではなく、働けないからニートである人々の存在がそこにはある。
似たような障害を抱えてもなお、就労できている知り合いたちには本当に頭が上がらない。
というか…仕事ができる人には尊敬しかない。

周囲から見れば無益な事でも、FP2級の完全合格の文字を見た時は、やはり嬉しかった。
300時間程度の勉強時間が無駄ではなかったと肯定された気分だった。
文字が上手に読めなくても、理解力が限りなく落ちていても、できることはあるのだと。
ペーパーテストくらいなら、今のやり方は通用すると実感した。

遅くなってしまったが、母の写真に向かって報告した。
母は喜んでいるだろうか。
でも、外野からしたら無意味な行いだったとしても、母に吉報を届けられたのは良かったと思う。
直接伝えられなかったのは残念だが、遺言は果たせた。

さて、また明日から新たな資格勉強を始める。
理由は「勉強をしている間は不毛な考え事をしないから」だ。
「資格をたくさん取得する奴はバカだ」なんて声も聞くが、私は私なりのやり方でやっていくしかない。
生きることに関してはとことん不器用だから。
まあ、資格が無駄だとしても、知識が無駄になることはないだろう。
そして知識の積み重ねが、人を成熟させていくのだ。

母がいない夏がまたやってくる。
今年も暑い夏になりそうだ。


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