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人に注意するなら”正しく”注意したい。正しい注意とは何だろう...

職場で仲間が家庭の愚痴か、こんな話をして来た。

昨晩、仕事から戻ると開口一番に怒られた。電気つけっぱなしで外出、更には朝起きた時もリビングが煌々だった!ちゃんと消しなよ、と。

そんな怒らなくてもいいじゃない、それぐらいで。小さなリビングなんだし、仮に12時間つけっぱなしにしても30円ぐらい。大したことない。それに年に数回しかない。なんて言ったら火に油を注ぐから我慢。ごめんなさい。今後気をつけます、と謝るのみ。帰宅早々気分悪し。

そして、さらにムカツクのが、こう付け足されたこと。

あ、でも、ひとは失敗するものだから。気にしない、気にしない。次はちゃんとう消そうと思って、そのためにどうしたらいいかを自ら考えることが成長。と言っても、それでも過ちを繰り返すのが人間だけどね、って。

どうなの、これ!? こんなこと言うなら最初から怒らないで欲しいし、怒ってから、さらに、こんな諭し型というのか、私はできるリーダーよ!みたいな言われ方されても更に気分悪し。

こんなことは不問にすべき。会話の必要もない。あるいは軽く「つけっぱなしだったよ。でんこちゃんに怒られるよん」と愛嬌もって言えばいいだけ。

そんな愚痴。

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いやぁ、なかなかの旦那さんですね。奥さんに対してうっかり怒ってしまったから、良くないとすぐ反省し、気にしないでと職場でリーダーが言うような言い回しをあえて伝えた、のか、あるいは、怒りたかっただけで、その流れで嫌味としてあえて付け加えたのか。

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で、ふと思ったのです。

”正しく”注意/指摘するって難しい、と。たぶん使う言葉の問題ではないし、怒っている/怒っていないなどのトーンの問題でもない。

ボクが思うに、正しい注意/指摘とは、「色んな考えがあるけれど、あなたがどうあると、あなたにとってどうより良い人生になるか、について、自分はこう思っている」を誠実に伝えられるか、だと思うのです。こんな注意なら素敵ですものね。

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この仲間の愚痴の例では、「奥さんが電気を消し忘れた」ことについて旦那さんか注意することに価値があるならば、それは、「奥様が今後も継続して消し忘れると、それが奥様の人生にとってなぜ悪いのか、あるいは、ちゃんと消すとどんなより良い人生が奥様にもたらされるのか」について、旦那さんが自分の考えを誠実に伝えようとするならば、価値がある、と思うのです。

ムカついたから、そのストレス解消で、ちゃんと毎回消せよ、と言ったならば不毛。電気は消すものでしょ、と思考もせずに当たり前に捉えて怒るのならばそれも不毛。そんな我が儘は自分で処理してよと思います。

ということで、小さなリビングの、年に数回の「電気つけっぱなし」問題は、人生を左右することではないはず。だから、つまり、注意/指摘するほどではない、と思うのです(戦時中や電力逼迫じゃないですしね。旦那さんや子供などが電気がつけっぱなしだとなんだか不安になる、などなら話は別ですけれども…)。

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正しく素敵な注意/指摘は、家庭円満の秘訣、でもあるかしら。。。



読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_18)


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