やっぱり「選択と集中」が人生のあるべき姿のような・・・。
今日、仲間が転職した会社にお邪魔。転職当時の3年前は社員4人。今は12人。雑居ビルの小さなオフィスから、駅直結の最新ビルの高層階にお引っ越し。まだまだ厳しいけど、がんばってやっているよ、とのこと。ちょっとは余裕が出て来た。でも、アレもコレもなんて余裕はない。3年前と同じ、1つのサービスを集中してやっている。この領域で社会の役に立とうと思って始めたんだから、これ以外をどうしてやるの?って感じ。
そして、同じく一緒に営業していた別の仲間が創業した会社の話題になる。6年前のこと。彼もこんなことを言っていた:
コロナでつぶれそうになった。自らの給料はゼロにしてなんとか耐えた。しんどかった。でも、今、社員は20名を超えたよ。6年前と同じことをやっている。同じITサービスを同じ業界の同じ課題を抱えるひとに。売り方や課金方法、サービスの質は変化しているけど、事業の原則は同じ。そして、やっと単年で黒字になった。悪くない数字だ。
で、余裕が出ると部下が違う事業をやりたがる。でも、ダメ。一点突破。一点集中。そう言い聞かせている。黒字とは言え、まだまだ脆弱。あせってアレコレは絶対にダメだ、絶対に。そう思っている。
一方で、アレもコレもやっているベンチャーもある。社長が創業者ではなくなり、創業の想いなんて蚊帳の外。稼ぐことが目的と言い切る。。。で、ちょっとやってダメなら、はい次。そんな感じでアレもコレもを30点でやるから、上手くいく訳がない。。。
大谷翔平選手は二刀流。だけど、野球しかやっていない。大学時代はアメフト、プロで野球にシフトした、あるいは、野球をしていたけどゴルフでプロになる、という選手はあちこちいるけれど、プロでアレコレやっているなんて一流はいない。あ、平野歩夢さん? でもスノボとスケボーも似ているスポーツ。。。ということで一括り。。。
スポーツと比較する意味は別にないのだけど、アレもコレもはやっぱりだめだと思うのだ。「アレもコレも症候群」はダメなのだ。「二兎追うものは一兎をも得ず」なのだ。
あ、でも、もちろん「一石二鳥」もありえる。「一挙両得」「一挙両全」なんてことわざも。
だけど、一瞬、時折、偶発的に経験することと、人として/会社として、人生にどう取り組むかという長期的な姿勢は別モノ。「一石二鳥」などは人生を表現してはいない。点の話。線の話ではない。人生や、会社なるものは、やっぱり「選択と集中」で取り組むべきと思うのです。
コングロマリット・ディスカウントと言う言葉があります。小売りの輪、という言葉もあります。アレもコレもを揶揄しています。
(小売りの輪は正確には「アレもコレも」を揶揄していませんが、革新的競合の登場に抗うために既存小売りが不慣れな「品揃え」を増やし、更に自らの首を締める点にここでは着目しています)
1つの事業が上手くいったら、経営は自分達の報酬や資産を増やすために、他の事業を買ったり、進出したりします。現場で働く社員の給料は増えないし、会社全体の収益率は下がるかもしれないけど、規模が増えるから、ピラミッドの頂点にいるTOP層の「取り分」は増えるのです。つまみ食いできる小鉢の量が増えるのだもの。だから他の事業に足を踏み入れたくなる。
株主は立場が違います。規模が増えても株価や配当がどうなるかは別問題。株主が儲かるかというとそれはわかりません。なので、「コングロマリット・ディスカウントは避けろ! 餅は餅屋でアレコレするな!」と戒める株主もいます。
でも、それでも経営は上述を理由にアレもコレもやりたくなる。報酬・資産増を夢見るとは、つまり、既存事業を成長させる計画を立てて実行する難しさは既に認識しているから夢にはならないけど、新しい領域は白紙だから、まだその困難さを実感していないから、夢になりえる。。。
人間心理ですかしらね。。。弱いのか、しょうがないのか。上手くいくかもしれませんからね。。。未知・未来には希望が持ててしまう。。。
いずれにせよ、大きな会社でないならば、代代のお金持ちの家に生まれた資産家でないならば、「選択と集中」かなと。何かを成し遂げたり、達成感を感じたり、幸せを感じたり、社会や大切な人の役に立つには。。。
分かれ道。歩める道はひとつだけですもの。
読んで頂きましてありがとうございます。
(v8_3)
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