言わずもガーナ_50_その名も廃るNostalgia
日本からガーナにやってきて1年が経ち、ぼくはひとつ年をとった。
ぼくが17歳になる少し前にサリンジャーが死に、ぼくはそれ以来心の中にホールデン・コールフィールド少年を飼っている。
練習試合に向かう途中の地下鉄の中に、試合で使うフェンシングの道具一式すべて置き忘れても人生は続いていく、世の中そういうメンタルが大切である。
さて最近のガーナの日常であるが、停電の頻度と期間が悪化している。
原因は電気料金の滞納である。
誰が誰に滞納しているか、というのは少し複雑な問題で説明を要するかもしれない。
ガーナの電力は約63%が火力、34%が水力発電で賄われている。
それぞれの発電所はその電力をGRIDOCoという会社を通してガーナ電力公社に販売し、ガーナ電力公社がそれを家庭・事業所に供給する。
地域ごとに多少事情は異なるが、だいたいそういった流れでぼくのおうちの電灯が灯るわけである。
そして今回の問題の発端は、その電力公社による電気代の回収がうまくいっておらず、発電事業者への未払金・滞納金額が16億米ドル相当にのぼってしまったことらしい。
現在のレートで日本円になおすと約2600億円に相当する。
オータニサンの詐欺被害額の100倍の金額である。
話がダイナミックでいいね。
ガーナでは停電のことを現地語で「dumsor」と呼ぶ。
オンとオフを繰り返すことの意で、突発的に電気がついたり消えたりすることを指す言葉だ。
こんな言葉があるくらいだから停電は日常の中にあるもので、近年では2012年から2016年にかけての5年間、深刻な電力不足に見舞われていたらしい。
そしてそこから約10年、問題は再発している。
ガーナのテレビや新聞では
「前回の大規模停電の際は、計画停電のタイムテーブルが公表されていたが、今回は本当に急に前触れもなく停電してしまう。せめて事前に予定を共有してほしい」
と批判する声が多い。
ぼくが思うにそんな計画性があればそもそも問題はここまで深刻化していないはずで、今回もその場その場のノリで停電時間と地域を決めているに違いない。
いったい貴方方は何年ガーナ人をやっているのかと問いたくなる。
ふと大学のゼミで、19世紀とグローバル化に関する本の翻訳に取り組んだときのことを思い出した。
その著者によれば「なんだかんだ言って未来はきっとよくなるはず」という観念が広く共有されたのは19世紀以降のことで、それまでは多くの人が「昔はよかったッピ」と考えて暮らしていたのだそうだ。
たしかに現代のぼくたちは漠然と、時代を経るごとに労働時間は短縮されジェンダー間の格差はなくなりシュクメルリだのマッサマンカレーだの昆布水つけ麺だの新しいグルメが楽しめるようになるのだと信じている。
仮に現実のぼくくんは深夜残業に苦しみ男性性の呪縛に悩み毎日トーストにジャムを薄く塗って糊口をしのぐ日々を過ごしていたとしても。
いつかガーナ全土に安定した電力供給がなされ、エアコンの効いた部屋でおねんねする日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
時間の流れは本来中立的なもので、そこに未来がよくなるだの過去はよかっただの質的な判断が入り込む余地は元々存在しないのだ。
高い希望は抱かずに人生を生きよう。
雨期のはじまり、ガーナの街角では小さなマンゴーが売りに出されるようになる。
大変安価なくせに濃厚な甘みと酸味があって美味しいのだが、繊維質が多くて歯に詰まりやすいのが難点である。
ガーナの港町でひとり過ごす誕生日の夜、ぼくはマンゴーの皮を細かく刻んでから砂糖と煮て、瓶詰のジャムにした。
それでもやっぱり歯に詰まった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?