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風景

 生野区にあるアトリエの近所は、大阪でも数少なくなってきた風景を残している。
 小さな町工場や商店やお寺や長屋に挟まれた、うねうねとした細い道を通ってアトリエに向かう。それぞれの家は好き勝手に大小さまざまの植木鉢やら仕事の道具を玄関口に並べ、道にはみ出していたりもする。自転車なども、さらに、その前に置かれていたりするので、車は、決してスピードをあげて走り抜けることはできない。

 昼の二時を過ぎ、今日は遅くなったなと思いながらいつものお弁当屋さんに寄ると、もう閉めるからといって、お握りをおまけにつけてくれる。お葬式の準備をしている家の前を通り、亡くなった自分の家族を思い出しながらアトリエに着くころには、洗面器をもってこれから風呂屋へと向かうおばあさんや、おじいさんとすれ違う。
 息抜きに外に出ると、学校帰りの自転車にすれ違う。夕方の六時ごろになると、仕事を終えた人々や、小さな子供を連れた家族が、内着に着替えて風呂屋からほこほこした顔付きででてくる。その頃になると、明日の朝に出荷するネギを洗う水の音が聞こえ、ネギの新しいにおいが夕方のにおいと重なってくる。
 飼い犬の散歩の時間帯も過ぎ、風呂屋も閉まる夜更けになると、近くの飲み屋から自転車で危なっかしく帰ろうとする人が、たまに道を通り過ぎていく。帰宅した自家用車の一台一台の下には、この辺りを代々縄張りにしている猫の一族が、それぞれ場所を得て、おさまっている。

 トラックが作品を取りにくる日の朝の五時頃に、もうろうとして外に出ると、散歩に出かける溌剌とした人々に会う。来年もこの風景は変わらないだろう。(現代美術作家)

©松井智惠

2022年5月18日改訂  1994年12月9日 讀賣新聞夕刊『潮音風声』掲載

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