Chie_Matsui
noteでも自分が参加、出品している展覧会や、気になる展覧会をお知らせしようかなとマガジンを作りました。
「どうして期日前にならないと、制作できないのか」 自分に甘く他人に辛くを戒めるべく、日常のさめざめを呟きます。
ふと思いをよぎることを、メモのように気楽に書いています。
気恥ずかしい、言葉遊びの数々です。 自己表出など、終えたつもりでいましたが、黒鍵を叩いているようにキーボードを打っていると、何か出てきて本人もびっくり!
まだまだ紙媒体が盛んだった頃に短いエッセイを書いたものを読むと、あれまあ恥ずかしいことです。少し直したり変えたりして掲載しています。これからのものは、また別マガジンを発行予定ですのでどうぞお楽しみに。
気になっていた、京都国立博物館の「雪舟伝説」=雪舟とその仲間たち展へ、最終日前日に観にいく。 雪舟の作品が少しばかり。 国宝の出品が目玉なのでしょうか。 企画意図が見えない展覧会だった。 もちろん、雪舟の作品は、良いものでした。 しかしながら、展示作品のほとんどは、その後活躍する光琳、等伯、蒼白、若冲などなど、綺羅星の如く著名な画家が模写した雪舟の作品がやたらと並ぶ。自ずと全体の質が高いのは、当たり前。しかし、いっこうにときめかず。私の感性が老化したのか。と
あれは、2012年だったと思う、彼女のバレエ教室のオープンクラスに初めて行ったのは。 教室は同年代の友人の学校で、家から徒歩8分のところにあった。教室は高槻と茨木にもあり、彼女はあっちもこっちも移動して教えていた。バレエ教室というと、とても豪華な雰囲気を想像するかもしれないが、家の近くのスタジオは広いが冬は寒く夏は暑い。更衣室など気の利いたものはなく、必要最低限の設備だった。 はじめは土曜日の午前中に通い出したが、気がつくと平日の夜も含め週二日間通うようになってい
今日は五月九日だ。 4月の終わりの週から、三日間の連休が始まった。 三日間の平日を挟んで今度は四日間の連続休暇。 「昭和の日」「憲法記念日」「みどりの日」「こどもの日」「振替休日」 それらに土曜日曜が加わって、カレンダーは赤い文字がずらっと並ぶ。 今年は、各地で観光客が再び桜を愛で、日本のハイ&アサブカルチャーを楽しみ、お土産をいっぱい手にして楽しそうな風景が続いていた。 一年前は、まだソロソロと少し用心しながら、イベントが始まって海外との往来が再開された頃か。
作品を持ち帰って倉庫に入れる作業と掃除で、昨日は終わった。 いつも通り「浦島太郎症候群」が始まる。 作品とそれにまつわる言葉で埋まっていた7ヶ月間の日常から、徐々に離れていく感じがしている。 でも、まだ身体はあの鏡ように、どこかに置き去りにされた感じがしている。 絵の中なのか。それとも時間の中なのか。言葉の中なのか。 今回は、ギャラリーの工房で制作していたので、規則正しく出勤していた。帰宅するとホッとするなんて当たり前なのに、その感覚はとても新鮮で、とうに忘れてた
個展も残すところあと四日 始まった頃は寒くて雨が多い三月の終わり お客様もダウンコートを着て 暖かいお茶を出していた。 昨日も今日もどんどん陽射しが強くなり 半袖でもいいくらいの午後 桜のことを忘れてしまうには まだ早いか? 昨年末から 四ヶ月間、同じルーティンを繰り返してきた。 一日一日が 絵の具と一緒に層になり 季節の時間とは異なった時を過ごしてきた 最終日は輪唱のような朗読をする 123枚の積層した時間を 声によってときほぐして 春の夜に
風柔らかく花びらはゆっくり落ちてゆく。 夏将軍は幕間で準備に余念がない。 「さて、今年の春の踊り子たちもよく舞ってくれることよ」と、 冬将軍は重い衣装をぬいで汗を拭う。 少年たちはボールを 投げる 蹴る 打つ 「結婚おめでとう」と少年たちはゲームの画面を見ながら和気藹々 そろそろ虫たちも動き出し、晴れた空に羽虫も踊る。 南の国では秋の姫が山登りを始めたと、鳩が告げて飛び立った。 ©️松井智惠 2024年4月14日筆
個展が始まって、明日で二週間。 4月もどんどん日にちが過ぎて、すっかり桜が満開に近くなった。 1日に、そんなにたくさんのお客さまが来られるわけではないのだが、 いらっしゃった方は、じっくり作品を見てくださっている。 鏡を突き抜けた架空の場所を設定し、そこでは生者も死者も、その二つに分別することのできない両義性を含んだ輩がモノタイプの紙片となってあちこちで蠢いている。 透明度の高い色彩にしたので、どの画面も軽く明るい。 あの苦しさも、不甲斐なさも、何もかもなかったよう
明日から、いよいよ個展が始まります。 ほとんど展示が終わった会場に収まった作品は、今日までは私が独占して見ることができます。今は一番贅沢で、緊張が抜けてきた時間かもしれません。展覧会がいざ始まると、観客の視線に作品は耐えなければならないのです。 昨年の八月頃から、会場になるギャラリーノマルの工房で作り始めた、モノタイプの版画。最初は月に二回くらい通ってテストアンドエラーを繰り返しつつ、秋を過ぎて冬になった頃には、月に4回工房人入り、今年に入ってからは、週に二、三日工房
「その道に入るんやったら、親や家族の死に目には会えぬと思え」「頂いたお座敷は断るべからず」とは、卒業後に亡父が言った言葉。流石に、年齢と共にペースが変わり最近は、時々お断りすることが出てきた。 時代遅れに響く今日頃ごろだけれども、確かに父はそのような生き方をしていたなあと思い出した。決して善人ではなかったし、裏も表があるええかっこしいのところを、私は見事に受け継いでいる。と思えば、母の田舎風味の割り切れなさも、しっかりあるので、都会の田舎暮らしも自然の成り行きなのかもし
「鏡を貸してくれ。もし息で表が曇るなら,それなら,これは生きているのだ」 狂乱に陥ったリヤ王の悲惨な最後に出てくるこの一節がもたらす事象をすっかり私は忘れていた。銭湯の鏡でどれだけ遊んだことだろう。まさに息を思いきり吹きかけて、広がる曇りが消え去る前に急いで指で絵を書いたのだ。「鏡」の役割りはいつしか私を映すものに変わり、シャッターを押す暗箱の中に入り、世界を写すことに変わっていった。 コーデリアに差し出された鏡 そう、幾多の鏡が世界中に細かな破片も含めて一体いくつ
先日、とても懐かしい友人とオンラインで会った。 10年以上、いやもっと長い間合っていなかったかもしれない。 その間メールニュースで自分の活動を送ってくれていた。 彼女の紡ぎ出す表現はどのようなものであれ、いつも自然な慈愛に満ちている。 メールの最後に、いつも”Sunny Love”と記されたその一言で、 ほっとすることが度々あった。 だから、時々サイト見たりして思い出していた。 画面に映った彼女は、変わりなく、柔らかな大阪ことばを紡ぐ。 本当に久しぶりの対面だっ
連休土曜日の午前は雨も上がって、自転車で眼科医へ検診に行く。来月には個展を控えているので、平日に行くことがなかなかできない。仕事に出ている殆どの人はそうなのだと思い、混んでいても仕方ないと待合のソファで珍しく本を読む。 このところ、左の眼の端が瞬時、眩しくなるときがある。目を使う仕事なので、画面の見過ぎが応えているのだろうか。痛みはないが、半年ぶりに、瞳孔を開いた状態にして、眼の奥まで観てもらう検査をする。随分前だが、網膜剥離をした時の痛みのせいで、時々眼が心配になる
ベルリン国際アート映画祭長編最高賞を受賞した『道 パッサカリア』。 伴田良輔さんの作品を初めて知る。関西方面で上映されないだろうか。 ウクライナのダンサーの名前に続いて、針山愛美さんや最上和子さんの名前も見える。 ダムタイプその他の多彩な音楽活動で知られる山中透さんも、音楽を担当し、イタリア映画賞のサウンドトラック賞を受賞。旧知でありながら、現在の山中さんの音楽と伴田さんの映像は予告編を観ると、すでに美しい。 久しぶりの美しい映像と音像の調和。 東京では、すでに
栗が胡桃に問う 私もあなたも、もうすぐ枝からもがれるのね。 そうよ 栗のあなたは、体の周りにたくさんの針をつけているわね。 ええ、だから私は地面におちたところを拾われるの。 あなたによく似た生き物が海にもいるって、カモメが言っていたわ。 あなたの何倍もの長さの、ピカピカの棘を持っているそうよ。 あら、それは初耳ね。私に似た生き物が海にいるなんて。 そもそも、私たち、海を見たことがあるかしら? 私もあなたも、ずっと枝にくっついたまま。空模様を見ては、鳥に食べられやしな
もうすぐ、京都市京セラ美術館で村上隆さんの展覧会が始まる。滅多に日本では見ることのできなかった、あの強力な作品が並ぶのだろう。とても楽しみだ。嵐の前触れのように、節分祭を前に、古都は静まり返っているような気がする。否、数多くの美術大学の卒業展でそれどころではないのか。 村上隆さんという作家はは日本現代美術界の「踏み絵」なのかと思う時がある。作品の好みや噂の数々を聞くと、決して物分かりが良い作家ではない。 奇異に聞こえるかもしれないが、私は、草間彌生さんと村上隆
ヒマラヤまでは ひとっ走りね ひだまりの草 ヒバリも鳴いている ひとりで歩いて ひとりで食べて ひとりで眠って ひとりで見てたら ヒッパラれてたわ ヒリヒリ痛い ひらいた傷口 ひらいた目 ひらかないもの ひとつある それ ヒマラヤ山脈 陽が落ちて ヒッパラれてったら 秘仏があったわ ヒットパレード聞こえてくるけど 光り輝くネオンで一杯 ひっく 日頃の何かが ひっくり返って ヒステリックでグラマラス 彼岸の向こうで綱渡り 2002年筆 テキスト作品(壁に発行生