感想:映画『チーム・バチスタの栄光』「医局ドラマ」の陰にあるもの

【製作:日本 2008年公開】

大学病院の不定愁訴外来で働く医師・田口公子は、院長にある調査を依頼される。
それは、「チーム・バチスタ」と呼ばれる外科チームの相次ぐ手術失敗の原因を調べること。
米国で経験を積んだ助教授・桐生を執刀医とした同チームは、成功率60%といわれる左心室形成手術(バチスタ手術)を25回以上続けて成功させ、一躍名を馳せた。ところが、ある時から手術の失敗が続くようになる。
一度心臓を停止させた状態で行うこの手術の失敗は患者の死を意味する。病院の威信に関わる国際情勢に絡んだバチスタ手術を控え、田口はチームメンバーにヒアリングを行うが、調査は難航。上述の手術は成功したものの、失敗の原因は掴めないままだった。
そんな膠着状態の中、田口のもとに厚生労働省技官の白鳥が現れ……。

大学病院を舞台にした医療ミステリーであるこの映画は、同名小説のメディアミックス作品だ。
医療や病院の構造に関する知識に乏しい鑑賞者に向けて事件の背景を説明する構成や、"二重底"構造の事件の真相など、スペクタクルとしてはよくできていたと思う。一方で、本作に内在する、華やかなポスト争いの陰で軽視されやすい立場の医者がいることを強調した「医局ドラマ」へのアンチテーゼとしての側面はうまく表現できていない点もあると感じた。

主人公の田口が勤務する不定愁訴外来は、原因の判別がつかない体調不良を訴える患者からヒアリングを行い、治療を図る科である(作中では不満や違和感の捌け口のない患者の"愚痴"を聞く仕事、と位置付けられている)
外科が専門外であり、ポスト争いに伴う利害関係にも組み込まれない田口は、作中の役割に加え、鑑賞者の視点が投影される立場にあり、メタ的な意味でもオブザーバーであるといえる。
バチスタ手術についての予備知識がほぼなく、チームメンバーとの面識もない彼女が、調査にあたって情報収集を行う一連のシークエンスによって、観客に向けての用語解説と人物紹介がスムースに行われる。
特に、チームの躍進を受けて制作された体裁のドキュメンタリー番組によってバチスタ手術の概要を鑑賞者に伝えている点が印象的で、事件の真相を踏まえると、数多くのスタッフの仕事によって成り立つ医療の華やかな面のみをセンセーショナルに切り取ることへの批判的なまなざしも窺えた。

ただ、田口がチーム・バチスタのメンバーに聞き取り調査を行う際のメモの取り方など、平易に表現しすぎてヒアリング・カウンセリングを軽視しているようにみえる描写もあったが……(私的な記録とはいえ、医師のメモが高校生の悪口ノートと大差ない語彙・表現なのはどうかと思う)

本作の真相のうちひとつは、執刀医の桐生が緑内障で視野が欠けていることを伏せ、病理医・鳴海のサポートによって施術を続けていたことである。
彼が自らの病状を隠したのは、成功率が極めて高い彼のチームの治療に望みを託し、手術を待つ患者が数多くいる中で、体調不良を理由にメスを置く訳にはいかないため、というものである。
この動機については、後に明かされるもうひとつの真相との比較もあり、比較的肯定的に描かれているが、このようなプライドを重んじるまなざしはやや医療者の立場に偏っているように感じた。
一度心臓を止め、失敗したら確実に命を落とす手術を受ける患者からすれば、実績があるとはいえ手元に不安のある医師にその身を預けたいとは思わないのではと感じる。正直に告白する方がよほど患者に対して誠実ではないだろうか(チームの名声のため後に引けなかった、という動機の方が腑に落ちる)
桐生の起こした事故によって外科医の道を絶たれた鳴海が、彼に高名な外科医になるという野望を背負わせ、緑内障の告白を躊躇う要因となる構図も同様である。前述のもうひとつの真相が医療者としての職業倫理を問うものであるため、このふたりに対する作中での処遇の甘さは気になった。

桐生の緑内障は、作中で連続して起こった手術失敗の直接的な原因ではない。
本作の終盤で、ある時からチームの麻酔医・氷室が故意に患者を死に至らしめる細工(本来気化させる必要のある麻酔薬を液体のまま投与し、脳にダメージを与える)を行っていたことが明かされる。
彼は患者ひとりひとりの生死を重大なことだと捉えておらず、患者を殺害する行為を「ゲーム」、バチスタ手術失敗に伴うチームのパニックを「カーニバル」と喩えるなど、認知や倫理観の歪んだ人物として描かれる。
一方で、彼がそのような状態に至った経緯も作中では示唆される。
規模の大小を問わず、手術において麻酔投与は必要不可欠なプロセスであり、麻酔医は複数の現場を掛け持ちして患者の全身管理を行う。序盤のメンバーへの聞き取り調査の際も、氷室が激務であることが強調され、液体とアイスクリームしか受け付けないなど、肉体的な疲労が相当のものであることにも触れられる。
しかし、職務の重要性や忙しさに比して、麻酔医は患者やメディアはおろか同僚にも「そこにいて当たり前の存在」とみなされる傾向にある(チーム内の人間関係が取り沙汰される中、唯一他のメンバーから何もコメントがなかったのが氷室である)
心身の限界を超えて多数の患者を受け持つ一方で、ひときわ目立つ症例やその執刀医ばかりが持て囃される状況が彼の歪みを招いたと考えられる。「閑職」と揶揄される立場にいながら、ステレオタイプに囚われず個々の症例と向き合う田口に対し、氷室が「みんなが見落とすようなことにも気づく」と評価するのもその表れだろう。
氷室について、「常軌を逸した人物」というわかりやすい造形を採用せず、医療従事者の労働問題や医療のセンセーショナリズムへの批判を介在させるのは優れた描写だと思う。
ただ、文庫版では上下巻に分かれる分量の作品を2時間弱に収めているためストーリーが駆け足であり、彼の人物像の描写もあまり多くなく、上述の問題意識にも直截的には言及されない。
田口と白鳥のソフトボールのシーンなど、物語上あまり重要な役割を持たないコメディに割く時間でもう少し丁寧に動機を描写できたのではと思う。

なお、第二の真相解明においては、オートプシー・イメージング(死亡時画像病理診断)が重要な役割を担っている。原作の著者が本作を通じてこの手法の啓蒙を行おうとしていることもあり、見せ方がやや強引に感じたが、医者の目視や推測のみを根拠とせず、物理的な解剖を行わずに客観的なデータを収集できるという意義については理解できた。

また、医療の世界におけるジェンダーバランスの不均衡を如実に示す作品でもあり、チーム・バチスタの女性メンバーは看護師ひとりのみで、唯一の女性医師である田口も原作では男性である。
結婚退職した星野、気が弱い一方で嘘泣きをする大友、前述の通り幼稚なメモを取る田口と、人物像にもジェンダーバイアスが垣間見え、2000年代の作品とはいえこの点はいまいちだと感じた。

医療をテーマにした作品についてはあまり鑑賞経験がないため、時代を問わず観て勉強していこうと思う。

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