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「癒し」についての考察と重要性

この記事では、今までずっと書きたかったのだけれど、なぜかなかなか書ききることができなかった「癒し」について、いつもとは違う側面から書いていければと思います。

私は、「癒し」はすべての人に必要不可欠で、絶対に避けては通れないものだと思っています。
「癒し」こそ、学校で先生たちが教えるべき事柄だし、「癒し」こそ、家庭の中で、家族全員が学び、身に着け、そして実践しているべきことだとおもうのです。さらに、世界をより良い場所にするため、平和と愛に満ちた世界にするために必要なたったひとつのことも「癒し」であると確信しています。

なぜ、「癒し」がそれほどまでに大切なのか。
なぜ、「癒し」が幸せの根底にあるものだと明言しているのか。
なぜ、「癒し」が世界平和に直結していると確信があるのか。
なぜ、「癒し」がすべての人にとって必要だと思っているのか。
なぜ、「癒し」について、これほどまでに発信を続けているのか。

このようなことを、少しでも考えたことがある人に、ぜひ読んで頂きたいと思います。


「癒し」とは、そもそもなんなのか

「癒し」とは、そもそもなんなのでしょうか。

「癒し」という言葉を辞書で引いてみると、

肉体疲れ精神悩み苦しみを何かに頼って解消したりやわらげたりすること。
[補説] 昭和60年1985)頃からはやりだしたか。

デジタル大辞泉

と書かれています。「癒し」という表現がポピュラーになったのは、最近のようです。「癒し」の原形である「癒す」という言葉も調べてみると、

〔他サ五(四)病気、傷、飢え苦しみ悩みなど不健全な状態をなおす。治療する。

精選版 日本国語大辞典

という意味があります。

英語では、「癒し」とは、"heal"です。これも辞書で意味を調べてみると、

1.
a. transitive. To make whole or sound in bodily condition; to free from disease or ailment, restore to health or soundness; to cure (of a disease or wound).
b. absol. To perform or effect a cure.
c. spec. To touch for the ‘king's evil’.

2. To cure (a disease); to restore to soundness (a wound); also heal up, heal over. Also absol.

3.
a. figurative. To restore (a person, etc.) from some evil condition or affection (as sin, grief, disrepair, unwholesomeness, danger, destruction); to save, purify, cleanse, repair, mend.
b. To cure, repair, amend (any evil condition compared to a disease or wound).

4. intransitive (for reflexive). To become whole or sound; to recover from sickness or a wound; to get well. (Said of the person, of the part affected, or of a wound or sore.)

Oxford Dictionary

どちらにも共通していることは「癒す」という言葉には、肉体だけではく、精神や魂、心の状態などすべて含めて「ホリスティックに」あるべき状態に戻っていくというニュアンスが含まれています。

「癒し」とは、一言で言うならば、「あるべき完全な状態に還っていくこと」であると言えるでしょう。

「癒し」がすべての人に必要である理由

「癒し」という言葉を使うとき、なにか壊れたものがあって、それを治してあげないといけない、矯正しないといけない、といった印象を持つ人もいるかと思います。

そのため、「私に癒しは必要ない」とか、「癒さなければと思ってしまうと、より多くの癒しを必要とする傷ついた人を創造してしまうのでは?」と考える人もいるかと思います。
※特に二つ目は、引き寄せやエネルギーの観点から観て、とても深い内容です。これも、どこかで記事にまとめたいと思います。

私が「癒し」という言葉を使うとき、イメージとして持っているのは、「壊れた何かを治す(直す)」のではなく、「長年にわたり付着してしまったホコリや汚れを優しくふき取って、もともとあった完璧な状態と輝きに戻っていく」ということです。

「癒し」というものが「壊れた何かを治す(直す)」作業であるとするならば、「私は壊れてなんかいないから、癒しは不要である」という意見もあると思います。
しかし、「癒し」が長年生きていたら自然と付着する汚れやホコリを払っていくものであるのなら...。この地球上で生きている全ての人にとって、「癒し」が必要なものであることは、なんとなく理解していただけるのではないかと思います。

「癒し」が起こることで、何が変わるのか?

「癒し」がなぜ大切なのか。なぜ、すべての人にとって、「癒される」ということが必要なのか。このことを理解するためには、まず、逆説的に「癒されていない状態」がどんな状態なのか、説明したいと思います。

「癒されていない状態」の人生とは「本質の自分」で生きていない状態のこと

「癒されていない」状態の人生とは、どのような状態なのでしょうか?

私自身、癒されていない状態、つまり「生まれたときの完全・完璧な魂としての自分の状態」、言い換えると「ありのままの自分」「本質の自分」で生きていなかった時というのは、非常に生きづらさや孤独感、苦しみを抱えていました。

自分自身であることが、世界から否定されているような感覚。社会のルールや規則、常識に従って生きていけばいくほど、どんどん心は苦しくなって、つらくなって、体調を崩したり、心のバランスを崩したりしてしまう。ふとしたことで、生きるのをやめたくなったり、自分の頭のなかで自分を責める声がずっと聞こえてきたり。

「なんとなく身体がだるい」「生きることに楽しさを見いだせない」「理由はないけど、なんだかしんどい」「いつも身体を引きずって生きているような感覚がある」「生きていることに対してつらさや苦しさはないけど、別に楽しくもない」

そんな感覚を感じながら生きている人は、意外と多いのではないでしょうか?

「大人になるって、社会人になるって、そういうことでしょ?」「大人なんだから、自分の気持ち云々じゃなくて、やりたくなくてもやらないといけないことは、やっていかなきゃいけないじゃん」

そんな言葉を、自分にも周りにも言い聞かせている人が、この国では非常に多いように思います。

「大変なのは、みんな一緒」「頑張ってるのは、みんな一緒」「つらいのは自分だけじゃないから」「生きるって、そういうことだから」

そんな風に、あきらめにも似たような感覚を抱いて、心の奥底では「ナニカがオカシイ」「生きるって、こんなことじゃないはず」って小さなささやき声が聞こえてくるんだけれど、でもその声に耳を澄ましてしまったら、もう普通に毎日生きていくことができなくなるから。だから、聞こえないフリをする。

これを書いていて、「アナと雪の女王2」の最初の方でエルサが歌っている歌が頭に浮かんできました。

"you are not a voice(あなたは呼び声なんかじゃない)
You're just a ringing in my ear(ただの耳鳴りよ)
And if I heard you, which I don't (あなたの声が聞こえたとして--何も聞こえてなんかいないけど)
I'm spoken for I fear(話しかけられていること、恐れているの)
Everyone I've ever loved is here within these walls(今までに愛したすべての人たちがこの城の中にいる)
I'm sorry,  secret siren, I'm blocking out your calls(サイレーンさん、申し訳ないけど、あなたの呼び声はブロックさせてもらうわ)
I've had my adventure, I don't need something new(冒険はもう経験済みなの。新しいものなんて、もういらない)
I'm afraid of what I'm risking if I follow you (なにを失ってしまうのか、それが怖いのよ)
Into the unknown(未知の世界へと、あなたを追っていくことで)"

into the unknown by Frozen 2

エルサはそうやって、「新しいものなんて欲しくない」「今のままの生活で幸せなんだから、惑わさないで」と耳を塞ごうとします。でも、歌の後半では、「私の居場所はここじゃない」「本当は、自分の本当の心を追い求めて未知の世界へと行きたい」と歌います。(そして、アナ雪2の冒険が始まるわけです)

「本質の自分」「ありのままの自分」で生きていないとき、私たちの魂は苦しいのです。つらいのです。それが、日々の思考や、体力、気力、体調にも現れ出てきます。

「本質の自分」と繋がって、魂とアラインして生きていない状態。これが、「癒されていない状態」で生きている時の、人生の表れの一側面です。

「癒されていない状態」のもうひとつの側面

「癒されていない状態」のもうひとつの側面。それは、自分の肉体、そして目に見えないエネルギーレベルの身体の中で、感情や感覚、記憶が凍りついた状態で蓄積されてしまっているときに起こります。

適切にケアされなかった感情は、肉体に記憶される

私たちは、多面的な存在です。目に見えて、触れることのできる「肉体」としての自分の他に、目には見えないし、触れることもできないけれど、確かにそこに存在している「ライトボディ」としての自分が存在しています。例えば、オーラやチャクラは、ライトボディ(エネルギーボディとも呼ばれます)のひとつの表れです。

肉体と、精神と、そして心が密接に繋がりあい、影響しあっていることは、現在の科学や生物学でも周知されています。肉体レベルで、私たちはトラウマや記憶を貯蓄しますし、肉体が骨折などの大けがから回復した後も、エネルギーレベルで痛みの記憶は蓄積されます。

そして、わたしたちが幼少期から経験した出来事というのは、それが大きな事件であれ、日常にあふれた些細な出来事であれ、適切なケアをされることがないと、エネルギーレベルで次元と時空を超えて、私たちの肉体、そしてエネルギーレベルで蓄積されていくのです。

これが、いわゆる「インナーチャイルドの傷」と呼ばれるものです。

「インナーチャイルドの傷」は、例えば虐待などの大きなトラウマを抱えている人だけが持っているものではなく、すべての人が多かれ少なかれ、自分の内に抱いている「凍り付いてしまった感情」のことです。言い換えると、「適切にケアされることのなかった、悲しかった経験やつらかった経験」のことです。

このような感情というのは、無意識や潜在的なレベルで、似たような経験を引き寄せてしまいます。これは、引き寄せの法則の観点から読み解いていくことも、「魂からのメッセージ」としてチャクラの観点から読み解くこともできます。

エネルギーレベルで課題を凍り付かせてしまうことで起こる出来事たち

「適切にケアされることのなかった、悲しかった経験やつらかった経験」は、私たちの肉体・エネルギーレベルで蓄積され、それが似たような事象を引き寄せると述べました。

これは、人生レベルで見たときに、どのような状態なのでしょうか?

例えば、「いつも人間関係がうまくいかない」「気づくと、モラハラやDV気質の男性とばかり付き合っている」「家族関係がうまくいかない」「どこにいっても自分の居場所がない」「人から裏切られてばかりだ」「嘘ばかりつかれる」「いつも表面上の付き合いしかできない」「同じような問題に何度も巡り合う」「自分には悪いことばかり起こる」「自分は運が悪い」「いつも身体の特定の部分が慢性的に痛い」「恋愛依存だ」「セックスが怖い・気持ち悪い」

リストは人によって多種多様ですが、要点は伝わったでしょうか?そして、あなたにも、思い当たることがひとつかふたつ、あったのではないでしょうか?

このような出来事の共通点として、「変わる努力をしているのに、気づくといつも同じことが起こる」ということがあります。変わろうと頑張っても、変わりきることができない。変わり方がわからない。そんな悩みを抱えている方も、多いのかもしれません。

これも、「癒されていない状態」の人生で起こる、ひとつの側面です。

なぜ、「癒されていない状態」に陥るのか?

ここまでの内容で、「癒されていない状態」で人生がどのように展開していくのか、イメージを抱いていただくことができたと思います。では、そもそもどうして「癒されていない」状態になるのでしょうか?

改めて「癒された状態」を定義しましょう。「癒された状態」とは、つまり「本質の自分」と繋がって、魂とアラインして生きている状態のことです。

私たちの魂は、目的や使命、「やりたいこと」や「経験したいこと」を明確に持った状態で生まれています。そのため、幼少期というのは往々にして自分自身の魂の本質(目的や使命)を本能的に理解しています。

しかし、生きている中で、私たちは家族や学校の先生、社会から「~しなさい」「~してはいけない」「~するべきだ」など、規範やルールを教え込まれていきます。また、「そんなことをして何になる」など、子ども時代に好きだったことを否定される経験をしたことがある人も多いのではないでしょうか?

そうやって、少しずつ、でも確実に、私たちは成長する過程の中で「本質の自分」から引き離されて行ってしまいます。これが、「癒しがすべての人に必要である理由」で述べた、魂というガラス球にホコリや汚れが付着してしまっている状態なのです。

また、その過程で自分の心のうちに湧き上がる怒りや悲しみ、恐れといった感情を適切にケア・プロセスできないことで、これらの感情がエネルギーレベルでも肉体レベルでもしこりとなって、インナーチャイルドの傷となることもある、というお話は既に述べました。

つまり、私たちはこの社会の中で成長し、生きていく中で、自然と「本質の自分」を否定されたり、「本質の自分」ではない自分になろうとして、少しずつ「本質の自分」から遠ざかってしまうのです。「癒された状態」が、「本質の自分」と繋がって、魂とアラインして生きている状態のことであるならば、「本質の自分」と繋がって、魂とアラインして生きていない状態は、「癒されていない状態である」ということができるでしょう。

「癒された状態」で、人生はどう変わるのか?

では、「本質の自分」と繋がって、魂とアラインして生きている状態で生きることができているとき、私たちは、どんな人生を描いていくことができるのでしょうか?

まず、ありのままの自分とアラインして生きているので、自分軸がしっかりします。自分軸がしっかりするということは、それだけ人との適切な距離感や境界線を引くことができるようになるということでもあります。

良好な人間関係を築く上で、適切な距離感や境界線を引くことは必要不可欠です。「NO」と言うべきときに、しっかり「NO」と言えること。自分の心や気持ちにしっかりと耳を傾け、優先するべきときに自分を優先し、大切に寄り添っていけること。

このような状態が、自分自身のメンタルヘルスにとって、とても大切であることは、あえて詳細に説明しなくても、理解していただけると思います。

次に、「本質の自分」と繋がって、魂とアラインして生きている状態で生きているとき、総じて生きやすさを感じながら日々を過ごすことができます。自分自身を偽ったり、自分自身に無理をさせたりする必要がないからです。

また、魂の自分とアラインしているため、自分自身の使命や生まれてきた目的、魂レベルで本当に「やりたい」と思っていることが、どんどん明確になっていきます。(だって、魂としっかりアラインされているわけですから)

自分の使命や生まれてきた目的が明確になれば、それに向かって必然的に行動していくことができます。そして、魂が本質的に求めるものや事象は、宇宙レベルでサポートされたり、後押しされたり、導かれていくものです。それは、あなた自身が自分の魂を輝かせて生きてくれることが、宇宙にとってもポジティブな結果となるから。

なので、自分の使命や生まれてきた目的が明確になることで、どんどん人生の大いなる流れに乗って、フロー状態で心地よく、直感を信じながら生きていくことができるようになっていきます。

それだけではありません。
自分自身の内側でエネルギーレベルで凍り付いてしまっている様々な感情や記憶が癒されていくと、人生の中でどんなに努力してもなぜか抜け出すことができなかったネガティブなサイクルから抜け出していくことができるようになります。人間関係や環境そのものがガラッと変わったり、家族関係やパートナーシップが大きく改善したり、今までの自分では想像もできなかった人たちのコミュニティの中に属すことができるようになったり…。

自分を癒していくことで、文字通り、人生が確実に変容していくのです。


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