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MBCT Depression PracticeDay再び

こんにちは。菩提樹の広場です。
今日は、Practice Dayでした。
あ、前回の記事にリアクションして下さった方、ありがとうございます。
お礼を言いたいのですが、こちらも記事にしないと忘れそうで・・・
ここで、お礼にさせていただきます。

そう、サイレントのリトリート。今日は、他のクラスの方との合同であったので、パソコン画面上にびっしりの顔。2ページ目も顔。

知らない方もたくさんいるけど、「静かな時間を共有」「それぞれが自分の気づきと向き合う」という共通点をもっているだけでも、つながりを感じる。

そんな中での私の体験

「今日のテーマは贔屓をしない」これっていいかも。

今週の疲れが、今日出ているって感じの身体。
短いムーブメントがある。右の肩甲骨を動かすと、奥の方でゴリゴリする感覚。肩をまわす動作をしながら、そのゴリゴリにどうしたら、当たるか、回す角度を何となく調整していることに気づく。痛みで眉間にしわを寄せながら、「この痛みがないと、すっきりしない」という気持ちがあることにも気づく。
つまりは、「ゴリゴリなくなれ~」をしている。

うーん、これ、前回の記事の続きのようだが・・・

そう、「なくなれ~」していると思ったので、
次の座る瞑想で「その感覚とともにいる」をしてみることに。
でも、これも、私によく起こる体験なのだが・・・

不快な体験とともにいてみようとすると「私も」「自分だって」と他の不快な体験が強く主張してくる。

人でも一緒じゃないですか?
仕事で「ちょっと、相談いいですか」と言われて話を聞いていると、背中に他の人の視線が・・・なんてこと、よくある。

だから、注意を広げて身体全体を見てあげることにした。
その中に、色々な感覚がある。
でも、どの子も主張が小さくなる。
よし、今日のテーマは「贔屓しない」にしよう、そう決めた。

私、きっと根深い信念に「世の中は不平等だ」というのがあると思われる。
よく出てくる思考。
「私ばっかり、損している」
「私だってしているのに」
「あの人ばっかり、いい思いして」
よく出てくる感情。嫉妬。

書きながら、そうだな、と思う。

私のDNAを受け継いで(はいないでしょうが)私の感情は、私と似ているんだろう。「平等に扱って」と主張するんだろう。

外に歩きにいく「屋外歩く瞑想」の時間。
身体の痛みという小さな部分に行かなくてもいいのに、行ってしまう。
「今日は、贔屓しないよ」と視野を広げる。注意を広げる。

すると、チューリップの背の高さ、少し雨の湿気の混じった風、近くをキンキン声を出しながら自転車で通り過ぎる子供の声も、
どれも、同じくらいの大きさで入ってくる。

「贔屓をしない」これ、いいな。
これは、クラスの中でも、言われている。
「どんなものにも、オープンになる」の姿勢。


「ふるまいが先か」「気分が先か」

歩く瞑想をする。
後半の歩く瞑想は、後ろ向きで歩いたり、楽しく歩いたり、忙しそうに歩いたり・・・そうしながら、どこに注意が向いているかなど見ていった。

楽しく歩いている。注意は、頭の中。何か楽しいことをしようと探している思考に注意がいっていることに気づく。

忙しく歩く。これ日常でよくある。日常では、ときどき「何かにつまづきそう」と足先や思考に気づくことがある。
今日、見ていると、ちょっとイライラしている気分に注意がいっていることに気づく。イライラにかきたてられるように足が、ものすごい速さで「右・左」と出ている。

行動→気分もあるけど、気分→行動 もあるんだな、と思う。
行動は意識をすれば変えられるな。

今日も色々な気づきをいただいたPractice Dayでした。
そのとき、耕しているものがよく出ているように思うので、
日々の練習は大事ですね。

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