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月の砂漠のかぐや姫 第312話

 母親がどのような答えを出すのだろうかと、精霊に祈るような思いで濃い青色の球体を見つめていた羽磋も、王柔と同じように理亜の方に向き直りました。「理亜の身体の中に『母を待つ少女』の心が半分入っている」と言ったのはこの羽磋でしたが、本人も認めているように、それは結果である現在の状態から原因はそれしか無いと考えたもので、どのようにしてそのような状態になったのかは想像すらできないというのが正直なところでした。
 ですから、母親が理亜に投げつけた問いは、羽磋が知りたいと思っていることと全く同じだったのでした。理亜を見つめる羽磋の顔にも、「ヤルダンで一体何があったのか、理亜は語ってくれるのだろうか」と言う興味が、はっきりと浮かんでいるのでした。
 「母を待つ少女」の母親に対して羽磋が必死に説明をしている間、理亜は彼の邪魔をしないように、その後方で口をつぐんでいました。
 小さな理亜には、羽磋が話している内容が全て理解できているわけではありませんでした。でも、自分の心がこの濃青色の球体という異形を「お母さん」だと思っていることを、羽磋が母親に対して説明していることはわかりましたから、彼女は心の中で「そうダヨ、羽磋殿の言うとおりダヨッ。お母さん、信じてっ」と強く念じながら、胸の前でギュッと両手を握っていました。
 その理亜へ、急に母親から大きな声で問いが投げつけられ、さらには、王柔や羽磋からの視線が集中したのです。彼女は自分が何か悪いことでもして皆を怒らせてしまったのかと思い、慌てて王柔の顔を見上げました。
「大丈夫だよ、理亜。誰も怒ってやしないよ。わからないことがあって、理亜に聞きたいなって、そう思っているだけだよ」
 理亜の表情を見ただけで、彼女が何を思っているのかが王柔にはわかりました。大の大人の自分でさえ緊張で身体が震えるような状況なのです。小さな女の子が怯えを見せても、全く当たり前です。王柔は膝を折って理亜と視線の高さを合せ、ギュッと組み合わされた彼女の両手を自分の両手で包みました。そして、優しく、短い言葉で、少しずつ話し、彼女の心を落ち着かせていくのでした。
「ほら、あの『母を待つ少女』のお母さんも、理亜に何かしてきたりしてないだろう?」
「うん・・・・・・」
「お母さんは、わからないことがあって、大きな声を出しちゃっただけなんだよ。それは、羽磋殿も僕もわからないなって思っていたことだったから、僕たちも急に理亜の方を見ちゃったんだ。びっくりさせてしまったね。ごめんね、理亜。だけど、本当だよ。理亜のことを怒っている人なんて、いないんだよ」
 王柔の言葉を確かめるように、理亜は緊張を貼り付けた面持ちのままで、王柔の顔、羽磋の顔、そして、濃青色の球体を、順繰りに見つめました。王柔と羽磋は、理亜を安心させるように笑顔でそれに応えました。「母を待つ少女」の母親の方も、自分の問いの答えを得るには、この少女を落ち着かせるのが必要だと考えたのか、それ以上の問いを投げかけることなく、濃青色の外殻を細かに震わせながら宙に浮かんでいました。
 一通り皆の様子を確認することで安心できたのか、理亜の表情から怯えの色が薄くなっていきました。それでも、理亜が王柔に話した声はとても小さなものでした。彼女は、自分が何を問われているのかよくわかっておらず、どのように答えて良いのか戸惑っていたのでした。
「え、えと・・・・・・。オージュ、オカーサン、なんて言ったノ?」
「それは、つまり・・・・・・」
 王柔は始め、理亜がしっかりとした答えを返せるように、詳細な説明をしようとしました。でも、それは直ぐに止めてしまいました。大人の自分でさえ、ついていけているのかわからないほど込み入った話です。それに、理亜自身も、なんとなく心に浮かんだので「半分こ」の唄を歌っていたと話していたように、いまの自分の状態をはっきりと理解しているわけではないのです。
 「母を待つ少女」の母親は、理亜の身体の中に彼女の娘の心が半分入っているというのは本当か、それが本当と言うのならどうしてそれができたのか、と理亜に対して叫びましたが、とても理亜がその意味を理解して、自分の中から答えを探すことができるなどとは思えません。
 そこで、王柔は母親が叫んだ問いをそのまま繰り返すのではなく、理亜が答えやすいように、「何があったのか」という質問に変えることにしました。
「あのね、理亜。ヤルダンの中には『母を待つ少女』って呼ばれる女の子の形をした岩の像があるんだけど、理亜はそれを見たことがあるのかな。もし、あったとしたら、その時に何か変わったことがあったかな」
 そもそも、羽磋が言うとおり、理亜の心の半分と「母を待つ少女」の心の半分が入れ替わっているとしても、理亜がそれを自覚していないのですから、彼女に「どうしてそれが起こり得たのか」と聞いても仕方がありません。ですから、王柔が理亜に聞いたのは、彼女が「母を待つ少女」の奇岩を見たことがあったか、何か変わったことが無かったかという、記憶として残りやすい「出来事」についてでした。
「ん、と・・・・・・」
 王柔の考えたとおり、この質問は理亜にも理解できたようで、王柔の手に包まれていた両手を引き抜いてそっと両頬に当てると、真剣な面持ちで記憶を遡り始めました。
「り・・・・・・、いや」
 「あの時はどうかな」、「この時はどうだろう」と、思い出す手助けをしようと王柔は口を動かしかけましたが、理亜の一生懸命な様子を見ると黙ってしまいました。還ってそれが理亜の邪魔になるように思えたのです。羽磋も、「母を待つ少女」の母親も、息を殺して理亜の答えを待っています。王柔も彼らに倣って、じっと黙って理亜を見守ることにしましたが、口や体を動かしている時よりも、よほど時間の経過が遅く感じられるのでした。





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