ひとりごと

「信じる」とは。

人は何をもって対象の相手を信じると言い切る事ができるのだろうか。
「信じる事」をテーマにした作品にはいくつか触れてきた。
印象に残っているもので小説や映画化もされた
“怒り“という作品を例に挙げる。
私はこの作品が大好きで小説も映画も何度もインプットしている。

信じていたのに裏切られた
信じてくれたのに裏切ってしまった
最後まで信じきることができなかった

3人のそれぞれを描いたストーリー。
どの“信じる“も胸が痛んだ。
印象に残っている言葉は

お前俺の何を見てはなから俺のこと信じられんの

という犯人のセリフ。うろ覚えなので多少言葉の差異はあるだろうがそれはご愛嬌。
この言葉の通りその人の何を見れば全てが分かるというのだろうか。
容姿?言動?過去?
もちろんそのどれもが判断材料にはなり得るだろうが本当にそれを見ればその人を取り込んでしまっても良いのか。

BUMP OF CHICKENの飴玉の唄でも信じる事について綴られている。

僕は君を信じたからもう裏切られる事はない
だってもし裏切られてもそれが分からないから

という歌詞。初めて聴いた時は衝撃だった。
信じるという事はこれ程までの事なのかと。
裏切られる事にも気づけない程信じるという事が“信じる“なのか。
自分はここまで人を信じられた事があるだろうか。
人を信じる為の材料も知らず人を本気で信じた経験があるかどうかもあやふやな状態に少し落胆した。

あなたのことを信じてる
私の事を信じてね

なんて言葉はただの薄っぺらい口約束で、それを破る事も破られる事も容易い。
それをするか否か、されるか否かは自分にも相手にも分からないのではないか。
そうなると余計に信じるという行為が分からなくなる。
信じるという言葉の輪郭がぼやけたままただただ裏切られる事への恐怖心を抱く人間は世の中に溢れている。
寂しい世の中だなと思う。


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