悔しい

生きてる意味は?何のために生きてる?

そう聞かれた。
少し前まではBUMP OF CHICKENが生きる意味でライブに行く為に生きていると答えていた。

でも最近は違うなと。
過去に何度か自殺未遂を起こしている。
結論死ぬ勇気がないのだ。
BUMPのライブが決まれば「その日まで生きる」と言いふらしそれを死なない理由ではなく死ねない言い訳にしていた。

昨日BUMPのライブを終えた今、じゃあ今から死ねるかと問われたら口籠る。

ただ格好つけてライブを良い口実にしていただけだ。
その事に最近気づいて自分の臆病さに呆れていたが、昨日のライブ中に思った。

口実でもいいじゃないか。
この目の前の4人を勇気も度胸もない臆病者の私の死ねない理由にしよう。
生きて欲しいと真剣に思ってくれている人が有難い事に数人はいるのだから。

そしてもし死ねる時が来てもその時はBUMPは口実にしない。
自分の意思だ。

目の前に神様がいる気分はさぞ気持ちの良いものだった。
目の前の藤原基央の喉から溢れ出す一つ一つの音が全てしっかり私の全身を浸してくれた。

結成28年記念なんて他のアーティストからすれば端切れのいい数字ではないと思う。
BUMP OF CHICKENだからこそ意味を持つこの数字に愛を受け取った。

ただ一つ今私は絶望の中にいる。
ツアー2日目の今日のセトリがどうしても受け入れられない。
その曲を聴く為にこのツアーに期待を込めて足を運んだ。
何年も前からいつか生で聴けたらどんなにいいかと待ち望んでいた。
私が行った初日ではやらなかったあの曲を2日目に持ってきた事に何の意味を持つのか。

悔しくて悔しくて堪らない。

ツアーファイナルのトレードを勝ち取ってやると半ば意地だが決めた。
誰か出品してくれ。
遊び半分で当たって喜んでる人は今すぐ私にそのチケットをくれ。
性格悪いかもしれないがあの曲は生半可には聴かれたくない。
あの曲を愛している。
土下座でも何でもするので私に聴かせて下さい。
臓器売ってもいいし体のどこをもがれてもいいので目と耳さえ残してどうか。

今日のライブを楽しんできた友人らには愚痴れないのでここで。

あーーーーーーーーーー悔しい。

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