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プレイヤーズヒストリー~籔内涼也~

湘南生まれ、湘南育ち。海の似合う若者が、山に囲まれながら武者修行に励んでいる。湘南ベルマーレから期限付き移籍で加わった籔内涼也だ。下部組織も含めて13年間在籍したチームを離れ、自身初となるF2リーグで戦う今季。F1復帰に向けた“助っ人”として、最年少ながら存在感を放っている。

小学1年生から友人の誘いを受けて、湘南の下部組織であるS.B.F.C.LONDRINAへ。6年時にバーモントカップ(全日本U-12フットサル選手権大会)でベスト16入りを果たす。中学まではサッカーとフットサルを並行していたが、3年時にフットサルの道を決意。「個人的にはサッカーよりも、フットサルの試合のほうが楽しかった」と理由を挙げる。

小学生時の籔内選手(前列の真ん中)

それだけではない。4歳上の先輩に当たる植松晃都(2019-2020シーズン限りで引退)が、高校生ながらトップチームに特別指定選手として加入。15歳でFリーグデビューを果たすなど、異彩を放っていた。彼の後を追いかけるように、籔内も高校2年で特別指定の枠をつかむ。初の実戦となったトレーニングマッチで、早速ゴールを決めた。

順調にステップアップを遂げる一方、「大学に行こうか行かないか悩んでいた」とも話す。当時の指揮官である奥村敬人監督からは、「大学でやりたいことがあるなら行ったほうがいい。もしやりたいことがなければ、フットサルに打ち込んだほうがいいんじゃないか」と助言を得たという。それを受けて「大学で何か資格を取りたいわけでもなかった。進学をやめて、フットサルに打ち込む道を選んだ」。

特別指定で過ごした2シーズンは、出場機会が限られた。そこから高校卒業を経て、2021-22シーズンに正式にトップ昇格。メンバーが少ない状況下で、開幕からコンスタントに出番を重ねる。「F1はレベルが高くて、スピード感にあまり慣れていない部分もあった」と当時を振り返る。それでも世代別日本代表候補にも選ばれるなど、徐々に頭角を現していった。

奥村監督からの期待も大きかったようだ。トップ昇格後、いきなり副キャプテンに就任。「監督から電話がかかってきた。若手を巻き込むリーダーとして、副キャプテンを頼まれた」と経緯を示す。昨季まで2シーズンにわたって、経験が浅いながらもチームを引っ張った。

愛くるしいルックスとは裏腹に、ピッチ上では鋭いドリブルが牙を向く。その礎となったのは、“湘南のマジシャン”と称された刈込真人(2019-2020シーズン限りで引退)の存在だ。S.B.F.C.LONDRINAで中学まで指導を受けたのち、トップチームでチームメイトとして再会。間近でドリブルの技術を学んできた。

しかしながら、昨季は主力に定着できず。出場機会を増やすべく、ボアルース長野への移籍を決意する。恩師である刈込をはじめ、両親やチームメイトにも相談しながら熟考。期限付き移籍とはいえ、13年間過ごしたチームを離れるのは、簡単な決断ではなかったようだ。

「まさか自分が移籍するとは思っていなかった。ベルマーレは小学生からいたチームなので、すごく愛着がある。オン・ザ・ピッチだけではなくて、オフ・ザ・ピッチでの振る舞いも教えてもらった。離れるときは寂しかったけど、人として成長して恩返しできるように移籍を決めた」

F1からF2へ。カテゴリーを一つ落とす形となり、「少し抵抗はあった」と吐露する。長野がしながわシティとのF1・F2入れ替え戦を戦う際には、すでに加入が決まっていた。「勝ってくれ…」と固唾を呑んで見守ったものの、2戦合計で4-8と及ばず。願いは叶わなかった。

それでも長野というチームに魅力を感じていた。昨季の対戦を振り返ると、長野のホームでは3-2と辛勝。湘南のホームでは4-1と快勝を収めたものの、開始1分で先手を奪われて苦しんだ。「長野は本当に諦めないチーム。点差が開いても諦めない姿が印象的だった」。

環境面も一つの決め手となった。湘南も環境に恵まれていないわけではないが、屋外のフットサルコートで練習をすることもあったという。長野はホワイトリングや南長野運動公園など、さまざまな拠点を有しており、「毎日体育館で練習できるのはありがたい」。試合会場のことぶきアリーナ千曲についても「お客さんとの距離が近い。キックインとかになると目が合ったりするので、モチベーションが上がる」と声を弾ませる。

いざチームに合流すると、同年代は誰もいない。それどころか、21歳と最年少である。知り合いすら一人もいない中で始まったが、「僕はやんちゃというか、気を遣うような性格じゃない。それで仲良くしてもらえた」。とりわけ渡辺大輔、上林快人と過ごす時間が長いようだ。

No.6 渡辺大輔選手、No.66 上林快人選手

幼少期に憧れた“レジェンド”もいる。37歳の田中智基だ。2009-10シーズンから2季にわたって湘南に在籍。当時小学生だった籔内は、田中のプレーに魅了されてユニフォームを購入したという。そんな先輩とチームメイトになり、「(ユニフォームを)寝巻きで着ています」と伝えたところ、「飾っておけよ」と言い返されたそうだ。

No.81 田中智基選手

自身の背番号は『8』。湘南時代に刈込から受け継いだ、思い入れのある数字だ。それを再び背負って戦う今季は、開幕前から軽傷に悩まされた。「良いコンディションで臨める試合は少ない」と嘆いたものの、「自分の特徴であるドリブルからのシュートは多くできている。そこをもっと出していけたら」と手応えも得る。

「去年の途中からなかなか試合に出られなくなくて、試合勘がなかった。長野に来てからはずっと出続けていて、試合勘が戻ってきている。いまは長野に来て良かったと思う」。チームの絶対目標であるF1復帰に向けて、「F2からF1に上がるのはなかなか経験できない。ここに来たからには、昇格したメンバーの一員になりたい」と意気込む。

移籍もそうだが、生まれ育った神奈川を離れるのも初めてだ。景色が海から山に変わり、「夏は海があったほうが…」と苦笑いを浮かべる。その上で「本当に自然が豊かで、良いところだと思う。誰もが知っている善光寺にも行った。人が多くてにぎやかだった」と、この街を気に入っている様子だ。人生初の一人暮らしにも「親のありがたみを感じる。帰ったときに誰もいないのは寂しいけど、人として成長できている」。

心身ともに充実感を覚える中、それを結果に反映できるか。チームは終盤戦を迎え、ヴォスクオーレ仙台との熾烈な優勝争いを演じる。「練習の雰囲気も良い。僕らは残り試合に勝つしかない」と語気を強める。

その先に見据えるのは、日本代表入りと、湘南への恩返しだ。湘南は昨季開幕前に『5年計画』を掲げ、5年後のアジアチャンピオンを志す。「自分が成長して、5年後のアジアチャンピオンの中心選手になりたい」。若き才能は、そう目を光らせる。まずは長野をF1復帰に導き、階段を一歩ずつ駆け上がる。


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