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ハムスターすらまともに育てられない母に育てられた

幼稚園の頃、ハムスターを飼っていた。

最初につがいを買い、あっという間に繁殖した。総勢20匹以上はいただろうか。

ハムスターの本に、「ハムスターの子供を手で触ると、人間の匂いがついて食べられてしまう」と書いてあった。当時4歳の私は忠実にそれを守っていた。

でも、母は違っていた。平気で手で触って「あ、食べられちゃったね」なんて笑っていた。頻繁に命はいくつもなくなったが、母は笑っていた。ちゃんと葬ることもしてなかったと思う。そんな母の気持ちがわからなかった。



母は今もハムスターを飼っている。つがいを買い、あっという間に繁殖している。

そのハムスターを触らせてもらった時、お腹が異様に膨らんでいて目の輝きが異様に少ない、あまりにも可愛くないハムスターだと思った。

私は繁殖用に育てられている動物のドキュメンタリーを思い出した。毛並みが貧相で体も痩せていて、どこか悲壮な表情をして吠えているような。



物心ついた時から、母はいつも資格を取るため、勉強をしていた。

たまにパートの仕事に行き、いつも「疲れた」と口にしていた。手料理は作らなかった。昔から母と遊んでもらった覚えがなかった。テレビがいつもついていて、母の好きなサスペンスだかバラエティだかが流れていた。一人遊びが私の"いつも"だった。掃除もしなかった。部屋はいつも汚かった。

幼稚園の遠足の日、母が弁当を持たせてくれなかったのを覚えている。先生からお弁当を分けてもらった。母は遠足の日だと言うことを知らなかった。お箸がカビている、と父親が呼び出されたこともあった。しかし、母は子供を好きだったんだと思う。



母は私達を連れて別居した。



当時5歳だった。何も説明はされなかったが、母の話す「離婚」だか「調停」だかの言葉からなんとなく察した。

母と母の両親、すなわり祖父母と一年間一緒に暮らした。祖父母はとてもまともで優しかった。祖母は料理が上手だった。私が料理を手伝いたがるのを知って、子供用の包丁を買ってくれた。その間も母はずっと勉強をしていた。



当時7歳の私は父の元に逃げた。それは唐突だった。祖母は「もう二度と戻ってくるな」と怒鳴った。その2年後、癌で亡くなったという。年子の弟は母の元に残された。弟は小学3年の時、障害者認定を受けさせられ施設に預けられた。でも、施設に預けられてから口数が増えたし、友達もできた弟を見て、母に育てられるよりこっちの方が幸せだったんだなと気付かされた。



弟は特別支援学校を出て、就職した。私は上京し、大学に通っている。



母と結婚した父を恨んだこともあったし、弟のことを可哀想だと思ったこともある。それは一生消えない葛藤だろう。しかし、母は何もしなくても、母だった。これは一生変わらない。子供は生まれてきた場所を変えることはできない。親が結婚していない限り、私はここにいないのだから。


私は自分の力で母から逃れることができた。それは並大抵のことではできない。


近年の虐待事件や家族の心中事件。見ると痛烈に胸が痛む。子供が自分の力で自分の人生を変えることがもっと増えたらいいと思う。


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