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"書ける"場所は思った以上に沢山ある。

就活生時代、私は書ける場所を探していた。


幼少期、親に褒められたことは2つ。

歌が上手いことと、作文が上手いこと。


心の奥底にそれが残っていたのだと思う。

私は書く場所を二つ思いついた。それは新聞と本だった。

私は"書く"ことを学べる大学に入った。周りにも書ける人が沢山いた。文字に日々触れ、完全なる書く人間へと自分を変化させていた。

しかし、夢はすぐに崩れ去った。

体育会、明るい、リーダシップのある人間の方が社会から必要とされていた。別に書ける人間など必要とされていなかった。

私は仕事として"書く"ことは許されなかった。


最近、フリーライターの方に出会った。

彼は言った。「何を書きたいの?」

そう言われると、答えられなかった。私は自分のことをつまらない人間だと思っているし、ここに書くのは他愛のない日常話ばかり。

しかし、彼は違った。海外に行き、日本に帰ってきてからも秘書だかアイドルのライターをして、あまりにも破天荒な人生だ。

私は何も中身がない人間だった。


そして、仕事として書くのと趣味として書くのにも違いがあると語った。

会社に入ると、会社の指示に従って書かなくてはならない。

フリーライターは自分で書いたものを会社に持ち込む。

noteは誰にも何も言われることもない、書く義務もない。

ライターのみで稼ぐことは難しい。何故なら人に買ってもらえる価値がないといけないから。


どうしたら人に買ってもらえる記事が書けるのか。


それは二つあると思う。

一つは情報の価値だ。人の知らないことを教えていたり、経験したことのないことを描く言葉だったり。それは見ようと思う。人間の根本的な欲求として「知りたい」という感情があるからだ。

もう一つは、説得力だ。まぁ最近はSNSなど身分不特定の人物が書く言葉が書籍化し、売れたりする。しかし、それは紡ぐ言葉に魅力があるからだ。それがうわごとであったり、ただの綺麗事だった場合、それは誰でも書ける言葉になってしまう。

また、言葉に魅力がなくても求められるひとがいる。

それは本人に価値があるからだ。

著者が面白い経歴を歩んでいたり、キャラが立っていた場合、ファンがつく。ファンが例えばその人の書く書籍を買い漁った場合、買った人数はともかく売り上げは上がる。愛と売り上げは比例する。ファンは強し。


私は元々、紙の人間だった。

しかし、小学生の頃、親の持つパソコンを使い始めた。中学生の時、スマホが現れた。

時と共にネットの割合が増えていった。

私はまだ「書く」場所を決めていない。

色んな「書く」人の話を聞いて、全てやりたいし楽しそうだなと思う。


例えば、小説だったらフィクション

ノンフィクションはルポルタージュ

新聞だったら自分よりも人のこと社会のことを書かなくてはならないし

雑誌はゴシップによりがちだ

webはサイトによって変わる。情報を書き並べるだけの媒体もあれば、見出しを誇張してPV数を稼ぐ記事もある

メリットデメリットはどこにも存在している。


じゃあ、どう書く?何を書く?どこで?


それを考え直す大きなきっかけになった。


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