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物事を諦めてきた理由。

私はわりかし臆病な人間だな、と思う。

物理的に高いところに行くのが怖いし、一人旅も怖くて初海外一人旅はタイ(本当はインドとかミャンマーとか行きたかった)だし、怖気付いて日本ばかり回ってたし。渋谷に足を踏み入れるのも、東京生活4年を経過した今になっても怖い。

実質、人生で高みにチャレンジしたことがないんだなってことに気付かされた。

それは、「やりたい」ことより「やれる」ことを思考してきたからだ。

その結果、あまり自信がない人間になった。

ちょっとここで、私が諦めてしまった理由は何故なのか整理してみようと思う。

1、お金がない


私が海外経験がそこまでない理由。それは、「お金がなかった」からだ。

一つ、私は大学生の間に死ぬほど留学がしてみたかった。しかし、できなかった。

親に「留学したい」と言った時、即答でこう返ってきた。

「出すお金がない」

その次に、「文学部なのに何故留学するんだ」「一ヶ月の留学なんてお遊びだ」と言葉を並べられた。

しかし、文学部の友達も留学に行っていた。私は"お金持ち"の友達が羨ましかった。

私はアメリカに行ってみたかった。

理由は、飲食店で働いていた時に「お客さんに大学生の間に一度はアメリカに行け」と説得されたからだ。(見知らぬおじさんに説教されて、とても面白かった)

しかし、その留学費用はとても高い。

安価に行けるカナダやフィリピンでも三桁はゆうに超える。大学時代に貯めた貯金では、せいぜい旅行かボランティアを行くだけで精一杯だった。

私は行かなかった(行けなかった)ことをとても後悔しているし、追い討ちをかけたのはこのコロナ禍で、時間は有限ではないと思い知らされた。

就活の履歴書にある「留学経験」の欄が白紙で出さなければならなかったのが辛かった。周りが当たり前のように「海外経験」をしているのが羨ましかった。皆、親にお金を出してもらうのが当たり前な世の中だった。そのコンプレックスで海外に行きたい欲が物凄いことになってしまった。(以下参照)

しかし、最近「貧乏で苦労をした」人に出会って、この後悔がちょっとだけ救われた。

苦労をした人間の方が、尊敬できる。そう思って自分を励ましている。

2、妥協したから


私は中学の時、「部活」を選ばなくてはならなかった。

その時の思考回路はこれだ。

「部活は熱中してやりたい」→「でも体育ができないしな」→「無難に文化部にしよう」→「でも週5でそこそこ人数のいる部活にしよう」=吹奏楽部

"吹奏楽部"は、この世の大多数の女子が所属していた経験があるだろう。

これを選んだ理由の一つは、私は「浮く」のがとても怖かった。だから大勢の女の子がいるこの部活にしてしまった。

あと、運動に自信がなかった。(この理由は3に書く)

これを後悔したのは、やはり就活の時だった。

就活は人生最大の「個性」を発揮しなきゃいけないタイミングだ。

私は運動経験が全くなかった。

この時、自分をがんじがらめにしないことの大切さを知った。あらゆる方向の経験をしておくこと。それをしていなかった自分を後悔した。

私の家は「普通であれ」というような固定概念もあった。だから、人より目立たなければならないような就活には苦労した。

これからの時代は「個性」が重要視される。そんな時代に私のような人間は遅れていると思った。

私は数多くの妥協をしてきた。(友達や恋人に関しても)

妥協が幸せに繋がることは何一つなかった。

3、周りが反対するから


運動部が「できない」と思った理由は、この記憶が残っていたからだと思う。

昔、自宅近くの体育教室に通わされていた。

体が硬い私が何故そこに入らされたのかは疑問であるし、クラス分けのテストで下のクラスになったのは想定範囲内だった。

それを見た私の親は私にこう言った。

「お前は私に似て運動が苦手だ。運動は諦めろ」

親は運動が苦手だった。万年文化部だった。

それを見て、私も「その通りだ」と思った。だから、自分は「運動ができない」という固定概念が身に付いて育った。(その後、運動は全くしない人生を送った。というか、嫌いになってしまった)

私はこれを思い返すと「思い込みだったな」と思う。

テニスの授業中、体育教師に褒められても、担任に「バスケ部入ったら?」と言われても、何も心が動かなかった。通知表もいつも「3」だった。小さい頃に植え付けられた固定概念は強い。

(あと、うちの家では「女はおしとやかに」というような固定概念もあった。)

上記の留学の件も、体育教室の件もだが、全て親の反対があった。周りの人の助言は役に立つときもあるが、時に物事を阻む壁にもなりうる。そして、私は全て「親のせい」にするような人間になってしまった。

4、解決策


22年生きてきた私が思うのは、物事を「やめておけ」と言うような人間には話を聞かない方がいいと言うことだ。

山口百恵はかの有名な作詞家であった阿久悠に、「歌手はやめておけ」と言われたという。

その後、彼女は歌手として花開いた。

あの有名な阿久悠ですら判断を間違えるのだ。

オーディションや就活でも、上の人から見極めをされ、客観的に判断をされてしまうことは人生で何度もあるだろう。

しかし、私が言いたいのは気にするなということだ。

そして、頼るべきだと思うのはこういう人だと思うのだ。

「これに対して君はこれとこれが足りてない。それでも、努力できるのか?

と言ってくれる人。

人を無理だと決めつける人間とは縁を切っても良いと思っている。無理だ無理だの積み重ねは人を小さくしてしまう。

とりあえずやってみろ。無理だったら帰ってこい。

そう言える人に私もなりたいし、そういう人についていきたいと思う。

物理的に不可能なこともあるだろう。

例えば、お金、年齢、家族、見た目、才能とか。

しかし、お金は努力で何とかなる。最近、引っ越し屋バイトで3年働いてお金を貯めて、起業した人に会った。お金を貯める手段なんて、何でもありなのだ。そして、実績を残せば正当化できる。

年齢だって不可能なものはないと思う。70歳でも子供を作る人も、恋愛をする人もいる。科学技術が発展すれば何でもありになる。

家族は少々困難な問題だが、少なくとも若いうちは身軽である。また、歳を取って子供が成人したら、また身軽にもなれる。第二のチャンスだ。

見た目は努力、もしくは整形でもなんとかなる。現に私は高校生の時と今と驚くほど見た目が違う。(整形なしで、だ)結局、心持ち次第だと思う。

才能はない人もいる。しかし、死んでから報われる人だっている。(ゴッホがそうだ)歌手でも歌の上手くない人もいるし、芸人で面白くない人もいる。

努力とやる気、継続。それだけでなんとかなると信じている。

あともう一つ。それは、色んな人に話を聞いてみて欲しいということだ。

私は最初から無理だと諦めてしまうことが多かった。しかし、不可能を可能にできる人間はこの世の中に沢山いることを大学生になってから知った。私の見ている世界は狭すぎた。

だから、自分のなりたい像を探しに旅に出て欲しい。それはSNS上にだって、海外にだっているだろう。自分のなりたい姿をしているメンターを探す、というのが若い内には大切なことだろうと思う。それが一番わかりやすく、一番真似しやすいからだ。

長々と書いたが、大切なのは情報を集めるということなのだと思う。世界にはあみだくじのように沢山の生き方がある。だから、昔の私のように自信がなくて諦めている子がいたら、背中を押してあげたい。

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