某地方文学賞の最終選考で落選した小説です。どこを直したらよくなるかをぜひ教えてください。よろしくお願いします。#小説 #文学 #文学賞 #短編小説

 徳島に帰ろうと決めたのは、病院の検査の結果が思いのほか悪かったことと、入院までの空き時間がまとまった日数あったためである。
 故郷に帰ると言っても、生まれ育った実家はもうなく、高齢の母が一人市内のマンションを借りて住んでいるだけである。
 夜、電話をすると、詳しい事情を話さなくても、なんとなく察しているらしく、「ほなら帰って来」と言うだけだった。
 高校を卒業し、一浪して県外の大学に進学し、そのまま帰郷せずに就職して三十年以上働いてきたので、人生の半分以上は県外暮らしになる。子どもが小さい頃は夏休みに連れてよく帰省したが、久しぶりとなった。
 車を母の住むマンションの来客用駐車スペースに停め、数日間の着替えが入ったボストンバッグと手土産の入った紙袋を下げてインターホンを押した。

 翌朝は晴れて、久しぶりに一緒に山歩きに行こう、と母が言うので、車で勝浦方面に向かった。市内からバイパスに乗り、南に向かう。休日なのに反対車線の徳島方面に向かう車の多さに驚く。

 勝浦川に架かる橋の手前を左折して、川沿いの狭い道を上っていく。やがて勝浦川から支流の立川に沿う道になる。
ヘアピンカーブになった曲面の道幅が広いところに車を寄せ停めた。何度か採集に来た場所だ。母は車から降りて道沿いに山草を探すと言って歩いて行く。後ろ姿を見送り、リュックをしょって急傾斜になった沢を登り始めた。

 息を切らせて山頂の手前までたどり着くと、そこには先客がいた。ここでは人と出会ったことがなかったので、ぎくっとした。
「こんにちは 採れますか。」
私から声をかけた。採集地ではあいさつが欠かせない。同好の士なのか、地元の方なのか、どういう人なのかを知るためにも声をかける。
「いや、まだなにも」
振り返って帽子の下からのぞく顔はまだ若い学生のようである。
 大学に入ったばかりで、地学同好会に所属しているが、ここには一人で初めて来たという。
 勉強を続けて、できれば大学院に進み、研究者を目指したいという。
「若いときにやりたいと思ったことは苦労してでもやり続けた方がいいですよ。」
自分に言い聞かせるように言った。
 五十年あまりの人生を振り返って、自分は何かやり遂げたというものがあるのだろうかと考えると心許なくなる。中島敦の「人生は何事をも成さぬにはあまりに長いが、何事かを成すにはあまりに短い」という「山月記」の一節を思い出した。
 その時その時は懸命に生きてきたつもりだが、何かをやり残している思いが残る。これが生への執着心なのか、単なる死への感傷なのか自分にはわからなかった。

 このあたりは、白亜紀のおよそ一億三千万年前の地層で、恐竜やアンモナイトが栄えたことで知られている。この勝浦の山奥に当たる地域でも、恐竜の歯の化石が発掘されている。
「もう少し上の斜面を探してみようか」
「そうですね、少しきつい登りになりますが」
といって青年は、置いていたリュックサックを担ぎ、慣れた足取りで様々な大きさの岩石が転がる沢を登っていく。
「化石に興味を持ったのはいつからですか」と私が尋ねると、
「小学生の時に父によくつれられて。」と答えた。「そのあたりの岩石の表面を見て、へ文字のような白い筋があれば貝の化石。」私がそう教えると、青年は熱心に辺りに転がる岩石を見て回った。
「これですか。」うれしそうに声をかけるのを見ると、見事な二枚貝の化石だった。
一緒に探したのは四、五十分だっただろうか、ハンマーで石を割るのにも疲れてきて、
水筒の水を飲んでいると、
「もう一カ所みたいところがあるので、ここで失礼します。」
青年は丁寧に頭を下げて、荷物を担ぎ直して沢を下っていった。
その姿を見えなくなるまで見送った。

 採集した化石を含む母岩を手に持ち眺めると、幼かった頃の記憶がよみがえってくる。父や母に連れられていった夏祭りの花火や、磯で貝を拾い集めた時の潮の香り。時の記憶を再生する装置のような働きをする。
 私が病気で死んでしまったら、母一人が残されてしまう。父とは小学校高学年のある日分かれて以来、会ったこともない。長男は数年間引きこもりがちでほとんど家から出ない。妻や長女は、仕事を持っているのでなんとかやっていってくれるだろう。
様々な思いがわき起こり、なんともいえない不安が重い気分を押しつけてくる。

「若い男の子が通ったでしょう」
車の中で待っていた母に声をかけると、
「いや、誰もみんかったじょ」と母が答えた。
母が山草捜しに夢中になって青年が通ったのを見過ごしたのだろう。

 その夜、二十歳で死んだ従兄弟の夢を見た。私の二つ年下で、自動車運転中に事故に遭いあっけなく死んでしまったのである。
 昼間、出会ったあの若者が私の隣で石をたたいている。
「あっ、出ました」と言って貝の化石を見せる若者のが従兄弟の顔なのだ。
「えっ」と叫んで目を覚ました。

 生の中には、いくつもの死が積み重なっている。まるで地層のように。
地層の中にはいくつもの生物の痕跡が化石となって積み重なっている。
私は当たり前に生きてきたが、何かに生かされているという思いを強く抱いた。
死への恐怖は無になることと結びついているように思う。死んでも生物は何らかの痕跡を残すのではないか。それはあの化石のように。
堅い貝殻や骨格ではなくても、自分が生きてきたという想念のようなものが、目に見えない柔らかいものであっても、残り続けているのではないか。
そんな考えをぼんやり思い続けて、気がついたのはアラームの音であった。

 そういえば、現地の様子を何枚か写真に写したはずだが、その中に青年も写り込んでいないか、正面からは写していないが、後ろ姿は確か片隅に写り込んでいたはず。
そう思ってデジカメを確認してみたが、画面には人影は写っていなかった。

 病気を患って死を意識するようになったから、こんな不思議な思いをするのか、それとも、この土地に何か人をそう思わせる奇妙な霊力のようなものが備わっているのか。
 県外の大学に進んでから故郷と離れて生きてきたが、五十代半ばになって帰ってきてみると、この山河との結びつきを感じるようになった。それは一言でいえば、帰って行くところ、いや、包まれて溶け込んでいくようなところとでもいったらいいのか。

 布団から出てベランダに出てみた。
 遠く勝浦や上勝の山々が青いシルエットとなって眺められた。千メートルを超える山もあるが、荒々しさはなく、穏やかな感じを与える。かつては平家の落人が身を隠した里があるという奥深い山々である。私もこの大地に包まれていくのかもしれないと思った。

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