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なんで努力は報われるって思ってたんだろ

ミーニングノートコミュニティの読書会で「武器になる哲学」を読んでいます。

「世界は公平であるべきだし、実際にそうだ」と考える「公正世界仮説」というのを初めて提唱したメルビン・ラーナーの章でこんなことが書いてありました。

「努力は報われる」という主張には一種の世界観が反映されていて非常に美しく響きます。しかし、それは願望でしかなく、現実の世界はそうではないということを直視しなければ、「自分の人生」を有意義に豊かに生きることは難しいでしょう。

武器になる哲学

ここ2年半ほど、パートでありながら執行役員の上司と一緒にプロジェクトを立ち上げて一生懸命働いたんですが、時給は思うようには上がらなかったんですよね(リーダーに提言したり、社員の人を教える立場になったのに)。

ずっと、「本来はもっと上がるべきなのに、うちの会社の制度が悪いから上がらない」と思ってたんです。

でも、そもそも世の中が公平でないのだから、うちの会社の既存の制度だって、私より結果を出していない人がたまたま声の大きい上役の目に留まったりしたら、グンと時給が上がることもあるのだと思います(仕事を辞めた超絶美人の女子を秘書にするために「時給弾むから」とか言って勧誘してた上の人がいた事がある)。

どうして2年半、一生懸命頑張れば時給が気持ちよく上がるはずって思って、あがらずにモヤモヤしていたんだろう?

今の仕事も職場の仲間も気に入っているので、今すぐに辞めたいわけでもない、でも月収は増やしたい…と、考えていくと、今の仕事で身を粉にして働いていつか来る「時給が上がる日」がくるのは諦めて(来ない可能性も高いし)、今の仕事はそこそこに、別の道を探した方が良いのではないか?と思い始めました。

ワンオペ育児で2人の子供がいるし、私が仕事以外の時間は疲れ果てて死んでいるわけにはいかない。

そもそも、時間を切り売りするのは嫌だなとか思ったり。

「あ、そうか。世の中は公平じゃないんだ。」と腹落ちしたら新しい世界が見えたような気がしました。

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