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小さな奇跡を起こすのは、いつだって一歩前へ進む勇気。

気づけばフリーライターという仕事を始めて25年が経つ。
ただ、ずっと順風満帆だったかといえば、決してそんなことはない。請け負っていた案件がクライアントの都合でほぼゼロになったこともあるし、仕事量が増えるばかりで自分が書きたいものは書けないと悩んだこともある。

人脈も何もないところからのスタートだったので、最初の頃は「何でもやります!」のスタンスで仕事を請けてきた。
だから、あらゆる媒体でいろんなことを書いてきたが、30代も半ばにさしかかった頃、「いつまでもこんな”なんでも屋”でいいんだろうか」と思い始めた。
「何でも書ける」ということは、逆に言えば「専門性がない」ということだ。本当にこれでこの先やっていけるのだろうか?
がむしゃらに走り続けてきた20代と違い、30代は少し立ち止まって考える時期でもあり、悩みは深くなる一方だった。

そんな時、取材で一人の女性と出会った。求職者向けのセミナーで講師をされていて、私はそのセミナーの取材で彼女にインタビューをした。
取材後、何気なく会話をしていたら、お互いに「日本酒が好き」ということがわかり意気投合した。彼女も私も初対面の人と二人で飲みに行くということがまったく平気(むしろ好き)だったので、東梅田にある「玉乃光」の直営店を彼女が紹介してくれ、一緒に行った。

仕事帰りのサラリーマンに紛れて日本酒を酌み交わしながら、いろんな話をした。私が「今、悩んでいる」と、今後の方向性のこと、専門性がないことの不安などを話すと、彼女はこう言った。

「そんなに日本酒が好きなら、唎酒師の資格をとってみたらどう?」

唎酒師?!
そういう資格があることはぼんやり知っていたが、自分が取得するなんて考えたこともなかった。

「え?でも、それって、飲食店の人とか、専門的に勉強している人が取るものじゃないんですか?」

「そうかもしれないけど、取ってみたらいいんじゃない?実は、私のいとこが日本酒好きで、唎酒師の資格取ったんよ」

それを聞いて、急に「唎酒師の資格を取る」ということに現実味が出てきた。
「やってみようかな」
そう返事をして、お礼を言って、その日は別れた。

帰宅して唎酒師の資格について調べると、今年の試験に間に合うことがわかり、すぐに申し込んだ。
それから通知が来て、講義を受けて勉強し、試験を受けた。
結果は合格で、私は唎酒師の資格を取得した。
彼女にはメールで報告した。

取得できたことはうれしかったが、それからも日本酒のことを書く仕事にはまったく縁のない日々が続いた。
2~3年経つと、もう「唎酒師」は私の中で単なる「ネタ」だった。
初対面の人と会話している中で「実はね、唎酒師なんですよ」と言う。相手は珍しがっていろいろ聞いてくれる。話は盛り上がる。まあ、それでいいかと、そんな気持ちでいた。
それに、試験を受けるために初めて本気で日本酒について勉強できたこともよかった。それまではただ「おいしい~」と飲んで酔っ払っているだけだったが、日本酒の知識を得たことでますます日本酒を好きになった。
それだけでも自分にはプラスになっていると感じていたし、資格を取ったことは決して無駄ではなかった。

ただやはり、日本酒のことを仕事で書いてみたかった。
そんな気持ちを持ちながらも進展のない中、ある時、「みんなで通天閣に上ってみませんか?」というお誘いがきた。
ある人を中心に呼びかけられたもので、ライターで集まって親睦を深めるという会だった。
私は1対1で飲むのは好きだが、大勢で集まって何かするということが昔から苦手だ。なので普段は絶対にこういう集まりには参加しない。なのに、なぜかその時は「いつまでも引っ込み思案じゃダメだ。何か刺激になるかもしれないし、行ってみよう」と自然に思え、参加することにした。

集まったのは7~8人だっただろうか。皆で通天閣に上り、その後は新世界で串カツを食べながら飲んだ。
お酒が入ると少しだけ引っ込み思案がなくなるので、皆とおしゃべりもでき、それなりに楽しい時間を過ごせた。
その時も「私、実は唎酒師なんですよ」を言うのを忘れなかった。
参加者の一人の男性が、「僕はお酒弱いんです」と、ビール1杯で真っ赤になっていたが、唎酒師の話には食いついてくれて嬉しかった。
まあそれなりに楽しく、ライターの横のつながりもできたのでよかったなぁと、それくらいでその日は終わった。

だから、2013年春、その時の酔って真っ赤になっていた男性から連絡が来た時、私は文字通り、びっくりして跳び上がった。
彼からのメールにこうあったからだ。

「あるところから頼まれて、日本酒の業界誌を発行する事業に関わることになりました。唎酒師のKaoriさん、ライターとして協力していただけませんか?」

何度も読み返した。息が苦しくなるほど興奮していて、体が熱くなるのを感じた。
唎酒師の資格を取ったのが2009年。
あれから4年経って、ようやく書く仕事につながったのだ。

もちろんすぐに「やらせてください!」と返事して、2013年の夏、打ち合わせからスタート。10月に初めて秋田へ酒蔵取材に行き、2014年4月に業界誌『酒蔵萬流』が創刊された。

私を誘ってくれた男性が、今もこの雑誌のデスクを務める。

あれから7年、つい最近まではライター2人で書いてきたから、かなりハードだったが(今は4人)、この雑誌だけで全国90蔵くらいは取材をさせていただいた。
これが今も私の代表的な仕事だと思っているし、あれほど悩んで、ほしいと望んだ「専門的なライティング」の1つにもなっている。

今でも時々思うのは、あの時の会話がなかったら……ということだ。
あの時、彼女に「唎酒師の資格取ってみたら?」と言われていなかったら……?
あの時、いつものように引っ込み思案の自分炸裂で、ライターの会に参加せず、デスクに出会って「私、唎酒師なんです」と伝えていなかったら……?
どちらの会話が欠けていても、私は日本酒のことを書くという仕事をできていなかっただろう。

改めてそう思っていた時、ふと思い出したことがあった。
それは、結婚して栃木へ行ってしまった親友からのメールだった。
おそらく、私が思うような仕事ができず、悩んでいたことを伝えた時だったと思う。
こんな内容のメールが送られてきたのだ。

「最近、庭にスズメがたくさん来るから、パンくずをあげてるねん。それを見てるとな、スズメにもいろんな性格があるんやなってわかる。
いつも前に出てきて、エサをいっぱい食べる子。反対に、全然前に出て来なくて食べられない子。
私は平等にあげたいから、後ろの子にもあげるんやけど、やっぱり積極的な子に食べられてしまう。
それで思ったんやけど、人間も同じなんかもしれへんなって。
もし神様がいるとして、神様は人間にいろんなチャンスを平等に与えようとしてくれてても、後ろにいたら届かへん。自分から前に出てくれないと、チャンスもあげられへん。
なんかな、スズメ見てたら、そんなこと思ってん。」

思い出して、ああ、ほんまにそうかもしれへんな、と思った。
神様は平等にチャンスを与えようとしてくれていたのかもしれない。なのに、私が何もせずにいたから、欲しい仕事が得られなかった。
でも、初対面の女性と飲みにいった。唎酒師の資格を取ってみた。それをいろんな人に話してみた。苦手な集まりにも頑張って参加してみた。そこでもちゃんとアピールしてみた。だから、チャンスがやってきた。

あの行動や会話がなかったら、今の私は絶対にない。

いつも自分を成長させてくれるのは、一歩踏み出す勇気。
怖いけど、努力も必要だけど、昨日より一歩前に進めたら、きっと小さな奇跡が起こる。
引っ込み思案な自分が出てくる時、私はいつもこのことを思い出して、自分を奮い立たせている。

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