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お酒だけが私にやさしかったから。

お酒が飲めなくなったら、人生がどれほどつまらなくなるだろう。
ずっとそう考えていて、そんな人生がふいにやってくることが怖くてたまらなかった。
それくらい私の人生は、酒と共にあった。「友」でもあった。

若い頃、夫と出会う前まではいろんなことがうまくいかず、半ばやけっぱちのように生きていた。
社会性ゼロ、情緒不安定、そのうえケンカっぱやい、というどうしようもない女。
夫に出会った頃、主成分「優しさ」の夫にまで「この、誰にでも噛みつく野良犬が~!」と言われたことがある。

でも、お酒だけはいつも私にやさしかった。
食道楽だったから、「酔えれば何でもいい」なんて思ったことは一度もない。とにかくおいしい日本酒とウイスキーを求めて街をさまよっていた。
北新地のビルの店も、ごちゃごちゃした立ち飲みの店も、ウイスキーがずらりと並ぶ小さなバーも、気になればどこでも一人で入った。
「お酒が好きなんです」ということが、そういう店に入るパスポートみたいなもので、どこでも歓迎してくれた。

一人暮らしの時は、どんなに疲れて帰って来ても、取り寄せた有機野菜とこだわりの調味料で、ちゃっちゃと3品ほど酒のアテを作った。
そして、大好きな日本酒を、これまたこだわりの酒器についで飲む。
至福の時だった。豊かな時間でもあった。
この時間があるから、またがんばれた。

人と一緒に飲むのも好きだった。
誘われればまず断らないし、初対面の人にもすぐついていく。酒飲みの“あるある”で、いつも何か「飲む理由」を探していたようにも思う。
幸い、中学・高校からの長い付き合いの親友たちも多くはお酒好きだったから、サシで、グループで、家族ぐるみで、とにかく集まってはよく飲んだ。
中にはまったく飲めないという友達もいるが、それはそれでお酒抜きで何時間でもしゃべれるから、決して「お酒がないと付き合えない」というわけではない。

ただ、お酒は新たに知り合った人と仲良くなるのには便利かつ効果的なツールだと思う。
「飲みに行きましょう!」
その一言で距離が縮まり、「カンパイ!」で壁がなくなるのだから。
不思議なもので「良い飲み方をする人」しかまわりには集まらないから、飲みの席で嫌な思いをすることもなかった。
みんな「酔いたい」のではなく、「おいしいお酒」が好きな人たちだった。だから楽しい最高の時間を共に過ごしてきた。

お酒を飲めなくなってきたのはいつ頃からだろう。
記憶を絞りだしてみると、昨年の今頃から徐々に飲む量が減っていった。
家ではほぼ飲まない。誘われて人と飲んでも、量が飲めない。無理して飲むと帰りの駅のトイレで必ず吐いた。

そう話すと、「私も飲めなくなってきたよー」「年齢だよー」といろいろな人に言われた。
「1合飲めるなら十分」
そう言って慰めてくれる人もいる。

でも、そういうことを言われるたびになにかモヤモヤしていた。
私は、私自身が以前と同じように飲めなくなったことが、本当に辛くて、本当に悲しいのだ。それくらいお酒は私と共にあったから。
年齢だとか、みんな同じだとか、もともと飲めない人に比べたら飲めているほうだとか、そういう比較や相対的な話ではないんだけどな、と少し悲しく思っていた。

何よりも、みんなガンじゃない。
飲めなくなった理由がガンではなく、年齢や更年期、胃腸の不調だとしても、ガンという病気を抱えた人間が、何かひとつできなくなる、以前とは同じように暮らせなくなる、明らかに調子が悪くなる、そういうことがどれほどの恐怖とストレスをもたらすのか、それも誰にも理解されない。
仕方ないことだけど、淋しいなぁと思うし、いつもモヤモヤがとれない。

私だってもしガンじゃなければ、お酒が飲めなくなったとしても
「最近、あんまり飲まれへんねん。もう年やね~!更年期かなぁ」と笑って言える。
でも、いつだって自分の身体を蝕んでいくような恐怖がついてまわっているから、単純にそう思えないのだ。
だからこの間、友達と京都の割烹に行った時、「お酒飲めないのは辛いね、淋しいね」と言ってもらえた時は、本当に救われた。誰かにそう言ってほしかったんだな、と思った。

今は家ではほぼお酒を飲まない。
たまにおちょこに1杯くらい。ビールを半缶だけ夫からもらうこともある。
1年前まで想像もしていなかった暮らしだ。
この3年はご時世的なこともあったけど、自分から誘う気力がないので(どうせ飲めないから)、飲み会もほぼなくなった。
たまに誘われたり、取材先で飲んだりすることはある。いろいろ試してみて、3時間かけてゆっくりゆっくり飲めば、1合半までなら飲めることがわかった。今はそのペースを守っている。(ただし、これくらい飲むと夜は地獄だ)

晩酌という習慣がなくなると、料理もあまり気合を入れなくなった。
夜は紅茶やハーブティーを飲んでいる。
「健康的でいいじゃない」と思う人も多いだろう。
でも、ちゃんと造ったお酒は、魂のこもったお酒は、一口で震えるほどおいしいし、料理を何倍もおいしくしてくれるし、何よりその瞬間を幸福で満たしてくれるのだ。
それが自分の生活からなくなるということは、人生が空っぽになったような気さえする。
また、常に飲む機会を探していたから、もっと人と会えていた。一人でふらっと店に入って隣り合わせた人と盛り上がるなんてこともなくなった。
人との関係が希薄になった気もする。

あの頃、辛い夜も、お酒だけは、私にやさしかった。
お酒を飲めなくなった今、大事な恋人が、親友が、そばから去っていったような、そんな気分で毎日を過ごしている。

もうたくさんでなくていい。また少しでも楽しく飲めるような体調になればいいのだけど。

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