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【ガンはメッセンジャー 9】寒くて痛い。それでも明けない夜はない。

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手術の朝は早い。
5時に看護師さんが起こしにきたが、もう目は覚めていた。
渡された手術着に着替え、下剤を飲み、とりあえず腸の中を空っぽにしていく。

時間が来て、看護師さんと一緒に手術室へ向かう。
あまり実感はわかない。
「ああ、とっても悲劇的な気分だわ!」と心の中で赤毛のアンみたいにつぶやいてみた。
ふふ。余裕だ。

宇宙ステーションみたいなドアが開いて中に入ると、ドラマのような手術室が現れた。この病院はちょうど大々的な改装中で、この手術室もできて間がなかったから、本当にすべてがピカピカで近代的だった。

母がちょうど1年前にこの病院で手術を受けたところで、「すごいわよ~、ドラマみたいだから!」と嬉しそうに語っていたことを思い出した。

おかん、ほんまやな。ドラマみたいやん!

きょろきょろしていると、手術台に案内され、寝るように言われる。
そこでまた、ぷぷーっと笑いそうになるのをこらえた。
また母の言っていたことを思い出したからだ。

「手術台、めっちゃ細いから!え?これで途中で転げ落ちませんか?って心配になるくらい細いから!」

これか!マジで細いやん~(笑)
もう笑いをこらえるのに必死で、震えながら横になった。
「大丈夫ですよ。すぐ終わりますからね」と優しい看護師さん。
ごめんなさい、震えているのは笑いをこらえているのです。

すぐに麻酔医師が来て、麻酔の準備を始めた。
それで少し緊張感が戻った。
そこで思い出した。麻酔の説明と問診みたいなのを事前に受けにいったのだが、その時に私はバカな質問をしていたのだ。
一通りの説明を受けた後、「何か質問はないですか」と聞かれ、こう聞いたのだった。

「あの~、酒を飲みすぎている人は麻酔がききにくいって本当ですか?」

たまにこのバカ質問を受けているのだろう、医師はふっと軽く笑って「たまにね、それを心配される方いらっしゃるんですけど、まったく関係ないですから。安心してくださいね」とまともに答えてくれた。

その医師の顔を見て、これがいかにバカげた質問かということがわかったが、こちらは何もかもが初めてなのだ。ネットで見たちょっとしたことも気になって仕方がない。手術の途中で目が覚めるなんてことがあったら、たまったもんじゃないし、という思いで質問させてもらった。
(今では本当にバカだったと思う)

そんなことも思い出しながら、麻酔医師の話を聞いていた。
「はい。じゃあ麻酔しますね~」
ああ、これからいよいよ麻酔されて、手術が始まるんだなぁと思った。
注射された。

………

その次の記憶はもう病室だった。
全身麻酔というのは「眠り」とはまったく違うんだなと思った。そんな軽いものではなく、完全な「無」の状態になるようだ。
本当に、麻酔注射の瞬間から、数時間後にワープしたかのようだった。

意識が戻ると同時に襲ってきた感覚は、まず痛みではなく寒さだった。それもこれまでの人生で感じたことのない種類の寒さ。外からやってくるのではなく、自分の内側が冷えている。それもとんでもなく。恐怖を覚えるような寒さ。
ベッドの下のヒーターを入れてもらっていたらしいが、そんなものはまったく意味をなさず、ガタガタと震えていた。
今もよく思い出すのだが、この時が実は一番怖かったかもしれない。もう二度と味わいたくない瞬間と言えば、この時だ。「死」を見た気がした。死神に足を引っ張られ、地獄に引きずり落とされる、そんな感覚だった。

手術は開腹ではなく、腹腔鏡手術だったので、お腹にちょっと穴を空けるだけで済んだし、わりと軽いものだった。3時間で終わると聞いていた。
1aで転移もなく、切除すれば終わるはずだったのだが、後で聞いたところ、腹水にもがんがあり、大網も取ることになったらしい。それで5時間以上かかり、待っていた夫や両親は何かあったのでは?とひやひやしたようだった。

そういうプラスの切除があったからなのか、それがなくてもこういうものなのかはわからないが、とにかく寒くて痛かった。下半身をもうどこかに捨ててしまいたいくらいだった。
夫と母があれこれ世話を焼いてくれるのだが、申し訳ないが、もう本当に帰ってほしくて仕方がなかった。
私は人がいたらその人に気を遣ってしまうのだ。でも、今はそんな余裕がない。とにかく自分の痛みだけに向き合いたかった。それなのに、2人が「痛くないか」「何かほしくないか」とあれこれずっと聞いてくる。酸素マスクの下から朦朧としながらそれに応えることがどれほど辛かったか。
でも、心配してくれているのがわかるので、無下にはできない。痛みに耐えながら、ただ時が過ぎるのを待った。

20時が来て、ようやく面会時間が終わり、2人が名残惜しそうに帰っていった。申し訳ないが、本当にほっとした。これでよけいな気を遣わず痛みだけに向き合えるのだ。
しかし、それからが長かった。担当医が来て「1日経てば楽になりますから」と言う。開腹手術だったらこんなものじゃないということも聞き、弱音を吐いてはいけないと自分を鼓舞する。
だけど、痛いものは痛いのだ。吐き気もする。
ナースコールで看護師さんに訴えると、「痛みか吐き気かどちらかの薬しか出せません。どっちにしますか?」と言われた。迷うことなく痛み止めをもらうが、あまり効いている感じはしなかった。

こんなにも夜が長いと感じたことはない。
先生の言っていた「1日」が本当にリミットなら、あと何時間だろうかと時計を見る。まったく進まない。
あまり呼んでは申し訳ないと思いつつ、何度かナースコールを押して体勢を変えてもらうが、痛みは少しも緩和されなかった。

それでも、朝は来るのだ。
先生の言っていた通り、「1日」経ったら痛みは嘘のようになくなっていた。ああ、痛くないってなんて素敵なんだろうかと、そのことだけで幸せすぎて涙が出てくる。
朝ごはんは、ほぼ水分みたいなおかゆだった。なんとか食べた。

それからは、いわゆる「日にち薬」みたいなもので、日を追うごとに回復していった。少しずつ物が食べられるようになり、歩けるようになり、ドレーンなど体の管や点滴が外され、普通にすたすたと歩けるようになった。
この病院はとにかく長く入院させたがるので、退院したのは12日だった。たぶん同じ手術をした患者としてはかなり長いほうだと思う。
でも、病院にいる間にすっかり回復したし、後半は友達や仕事仲間が何人もお見舞いに来てくれて、楽しい時間を過ごせた。

西加奈子さんの『サラバ!』も読み終えた。
とんでもない作品を読んでしまったなと思った。この人は、この作品で作家人生を終わらせてもいいと、それくらいの気持ちでぶつけたんじゃなかろうかと、そう思うくらい後半は凄まじい情熱を感じた作品だった。

退院して家に帰る頃、もう桜のピークは終わっていた。だけど、ひと仕事を終えた気持ちですっきりしていたから、悲しくはなかった。
これからゴールデンウィークが終わるまでの約1カ月、休暇をとる。
社会人になって初めての長期休暇。それも1カ月だ。なんだかそのことにわくわくしていたし、手術をしたことで生まれ変わった気分でもあった。

手術前は子宮や卵巣を取るということに抵抗があった。それはもう人生を終わらせるくらいきついことのように感じていた。だけど、手術を終えてみると、そんなことはもう「取るに足らないこと」に感じた。
私は、もっとそれはとても悲しくみじめな出来事だと思っていたのだが、あの手術前の恐怖と手術直後の壮絶な寒さや痛み、明けない夜の長さを思えば、取れてよかったという気持ちにしかならなかったのだ。

ふと気を抜くと死神に魂を持っていかれそうだった。
毎晩「生きるんだ」と強い気持ちを持ち続けなければ精神的にまいってしまいそうだった。
あの張りつめた気持ちは、たぶん、がん宣告をされた人にしかわからないと思う。
それがなくなったということだけでも十分だった。不思議なくらい、子宮や卵巣がもうないという事実が苦しくなかった。生きているだけで儲けもの、くらいの気持ちだった。

だけど、そんな開放感にひたれていたのは、わずか1カ月だけだった。
1カ月後、抗がん剤治療が始まるなんて、その時の私は夢にも思っていなかったのだ。

※これは2016年4月の記録です。振り返って書いています。

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