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この「日常」がすでに奇跡。もう「楽しいことしかしない」と決めた。

3か月ぶりのCT検査&血液検査。
結果はといえば、腹膜や骨盤リンパ節にあるガンのうち3つはわずかに大きくなっていて、2つは変化なしだった。転移している肺も変化なし。腫瘍マーカー(CA19-9)は初めて100を超えた(基準値は37以下)。

2019年夏にガンが再発した後、9か月間抗がん剤治療をし、その後一切の治療をやめてから約2年半。少しずつ少しずつ進行しているものの、ほとんど変化は見られず、こうやってとりあえず元気に生きていることは、すでに奇跡なのかもしれないと思う。
とはいえ、毎回検査結果を聞く時は、本当の奇跡を期待している。主治医が目を輝かせて興奮しながら「ガンが消えてるよ!」と言ってくれることを。
だけど毎回、それは私の中の妄想に終わる。CT画像でわずかに増大しているガン細胞を目にした瞬間、現実に引き戻される。

4月と7月の検査結果を聞いた時は、その「わずかな進行」に対して、私は大きなショックを受けたし恐怖も感じた。それはその時期、これまでにないほど体調が悪かったからだと思う。痛み、食欲不振、倦怠感、不眠と、日々弱っていく自分を感じ、こうやって死んでいくのだと思い、ぞっとした。そのマイナスな感情に引っ張られ、よけいに体調が悪くなっていくという悪循環にも陥っていた。
また、今春から保険適用になった新薬(キイトルーダ+レンビマの併用療法)を受けるかどうかも悩んでいた。この薬は日常的に服用しなければならず、副作用も強いため、これを始めればおそらくこれまでと同じ生活はできないということはわかっていたから、決心がつかなかった。
そうやって悩み、悶々として過ごしていた。

その悪循環を断ち切ってくれたのは、セカンドドクターと瞑想の先生だった。7月、限界を感じて約1年ぶりにクリニックを訪れ、話を聞いてもらい、共に瞑想をし、ビワの葉温灸で全身を手当てしてもらったのだ。
この心と体のあたたかい「お手当」によって私は恢復し、もう一度希望を持てるようになった。
新薬はまだ使わないでおこうと決めてしまえばスッキリしたし、自分でできることはまだたくさんあることにも気づいた。調子が悪かった胃腸の検査をして「転移していない」とわかったことも安心材料になった。

8月、9月と、体と心のケアを自分自身で続けていくうち、私は少しずつ元気になっていった。だからまた今回も奇跡を期待して検査結果を聞いたのだが、やはりそれは妄想に終わった。

結果を見て、主治医と相談し、まだ治療はしないことにした。新薬を使っている人たちが強い副作用のわりに効果が出ていないこと、私が使える抗がん剤が心毒性や腎毒性の強いものしか残っていないこと(アレルギーがあるので)が理由だ。
今、元気であるならQOL(生活の質)を下げてまで効果があるかわからない治療を始めるより、いけるところまでこのまま過ごしたほうがいいという私の主張に、主治医も同意してくれた。
もちろん、私のガンの進行がとても遅いことが同意の一番の理由だ。次の検査は4か月後。少なくともそこまでは大丈夫だろうということだ。

「楽しく生活してください!」
主治医は最後にそう言ってくれた。
この先生で本当によかったと、心から思った。

診察室を出る時、不思議とショックを受けていない自分に気づいた。むしろどこかスッキリしたような気持ちだった。
この気持ちをうまく表現することはできないのだが、決して悪い意味ではなく、運命に対して「降参した」のだと思う。
「あきらめた」というのとはまた違う。生きることを投げ出したわけでもない。

毎日私は本当に時間とお金をかけていろいろなケア(ウォーキング、水素吸入、温灸、酵素風呂、瞑想、サイモントン療法など)をやっている。仕事も減らし、食事や睡眠時間など生活も根本から変えた。ガンに効くというもの(クエン酸、しいたけ菌糸体、紅豆杉茶、よもぎ茶)も摂取している。
これだけやって、それでもガンが進行していくなら、それはもう私の運命なんだ、降参しようと思った。「受け入れる」という表現が合うのかもしれない。
人がどんなに考えようが、どんなに悩もうが、1秒だって自分の力で寿命を延ばすことなんてできない。でも、生きているこの瞬間を、1秒1秒楽しむことはできるんだ。そう思ったら、自然退縮なんて奇跡を願うのではなく、今を楽しんで生きることだけ考えようと思ったのだ。

だから、この「降参」に悲観的な要素、マイナスな感情は一切ない。
それに、とっくに死んでいてもおかしくないのに、治療もせずに生きているということ。ほとんど進行しないか、進行してもとても遅いということ。それはもう十分に奇跡みたいなものだ。ありがたいなぁと思った。
これからも4か月ケアを続けていけば、また進行を抑えられるかもしれない。進行がギリギリまで進めば、今度は辛い治療を頑張ればいいし、そうやってなんとか生きているうちに新しい治療法が見つかるかもしれない。
悲観することなんてひとつもなくて、「よっしゃ!やったるで!」とさらに気合が入った。

病院を出て、「結果によっては仕事を請けられないかもしれない」と伝えていたクライアントにLINEした。「変わらず仕事できます。取材入れてください」と。すぐに返信が来て「よかったやん。そしたら、こき使います^^」と書いてあった。
それを読んで、またありがたいなぁと思った。まだ取材に行ける。まだ原稿を書かせてもらえる。変わらない日常生活が送れる。

この「日常」が、私には奇跡。
毎日生きていることに感謝して、とにかく楽しんで生きよう。もう私は「楽しいことしかしない」と決めたのだから。

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