89歳の「酒造りの神様」から学んだこと
「次の取材は農口尚彦研究所に行ってください」
クライアントからそう言われたとき、ついにその日が来たのだと思い、武者震いした。
「農口尚彦研究所」は、杜氏(製造責任者)である農口尚彦さんの匠の技術・精神・生き様を次世代に継承することを目的として2017年に設立された酒蔵だ。杜氏の名前を冠した酒蔵など、全国を探しても他には存在しない。
では、「農口尚彦さん」とはどういう人なのか。
「能登杜氏四天王」や「酒造りの神様」と呼ばれている、いわば「杜氏界のレジェンド」だ。ご年齢はなんと89歳。
16歳で酒造りの道に入り、28歳で石川県の「菊姫」醸造元に杜氏として抜擢され、山廃ブームを巻き起こし、「菊姫」の名を全国に轟かせた。JALのファーストクラスに初めて導入された日本酒も「菊姫 大吟醸」だ。それから65歳で定年退職するまで、名杜氏として「菊姫」を世に送り続けた。2006年には杜氏として唯一「現代の名工」に選ばれ、2008年には黄綬褒章も受賞している。
定年退職後も引き合いがあり、2社の酒蔵での酒造りを経た後、引退。しかし、農口尚彦研究所の社長との出会いによって、もう一度酒造りをすることを決意された。その時、すでに85歳。
こういった経歴は取材などしなくても、ちょっとググるだけで出てくる。それくらい日本酒業界では有名人なのだ。
「ついに農口杜氏の取材か……」
こんなすごい人を取材できるチャンスが巡ってきたことに、私はただただ興奮していた。
取材当日。
現れた農口杜氏は確かにお年は召されていたが、背筋はピンと伸び、いかにもお元気そうだ。厳しい人だと聞いていたが、挨拶をすると優しくニッコリと微笑んでくれる。こういう表現は失礼かもしれないが、酒造りをしていなければ、普通の「優しいおじいちゃん」という感じだった。
この人が「酒造りの神様」なんだ……。
70年以上も第一線で酒造りをしてきた人。数々の伝説をつくり、全国に多くのファンを生み出してきたレジェンド。
最初は様々な肩書きの重みに圧倒されていたが、取材が終わる頃には、レジェンドがレジェンドたる理由がわかったような気がした。
まず印象的だったのは、昔ながらのやり方に固執しないこと。
杜氏に限らずどんな仕事でも、何十年もやっていると、新しいことを採り入れることに消極的になるのが普通だ。人は変化を嫌うものだし、新しいことを覚えること・定着させることは大変な労力だから、できれば同じやり方を続けたいと思ってしまう。
それが農口杜氏は違った。新しい設備、新しいやり方をどんどん積極的に採り入れる。お酒を発酵させるタンクの温度管理もiPadと連携した自動制御装置を導入していた。決して「機械任せにする」という意味ではなく、単純に時間や労力を減らせるところは機械の力を借り、その分をクリエイティブなところで使いたいという考えなのだ。
これは簡単なようで、なかなかできることではない。経験が豊富な分、自身の経験値や勘に頼りそうなものだが、まったくそうではないことに驚いた。
また、農口杜氏が機械や他人に任せず、必ず自分自身で行うことが3つあるという。
①米の浸漬時間をストップウォッチで測る
②蒸米を食べて状態を確認する
③麹菌を振る
なぜなら、米の状態はその年によって違うので、毎年同じようにやればいいというわけではないからだ。この3つはすべて米の状態を知り、微調整するのに重要な工程で、1日でも他の人にやらせてしまうと微調整ができなくなってしまうのだという。
そして、その微調整に役立つのが「ノート」だ。農口杜氏は40年以上も「酒造りの工程で数字になるものはすべて」ノートに書き留めてきた。そのデータと照らし合わせながら、微調整や軌道修正を行うのだという。
この話を聞いたときのこんな言葉が印象的だった。
「米が毎年違うから、一生やっても『これでいい』ということはない。同じなら『酒造りはわかった』と言えるんでしょうけど」
70年以上も酒造りに携わりながらも、まだ「酒造りはわかった」とは言えない、というのだ。そのうえ、今でも酒造りの期間は眠れない夜があるという。うまくいっているか、ちゃんと良いお酒になるか、いろんなことを考えて不安になるのだとか。
常に上を目指すのなら、ものづくりというのは、そういうものなのだろう、きっと。
また、農口尚彦研究所にはテイスティングルームが設けられており、誰でも酒蔵を見学し、農口杜氏のお酒を試飲することができるようになっている。実はこれも農口杜氏の希望で、試飲後に感想を書いてもらえるようなノートも置かれている。農口杜氏はアルコールに弱く、ほとんどお酒を飲めないので、昔から飲み手の意見をお酒造りに反映してきたのだ。
「お客さんの好みも知りたいし、欠点があれば言ってほしいから」
そう言うのを聞き、なんと謙虚な「酒造りの神様」なんだろうかと思った。
そして、今、農口杜氏の目は「世界」を見ている。
世界中の人においしいお酒を飲んでもらいたいと、輸出に力を入れているのだ。
「世界中の人に、この日本酒は美味い!と言ってもらって、ニッコリ笑って飲んでもらいたい。それが今の夢です。夢や目標がないと退屈でしょう?」
そう夢を語る農口杜氏の目は輝いていた。
取材の最後に私は訊いた。
「70年以上も酒造りをしてきて、よかったことは何ですか?」
すると、迷うことなく、農口杜氏はこう答えた。
「お客さんに美味いと言ってもらうこと。ニッコリ笑って飲んでもらうこと。それが何とも言えない喜びです」
それを聞いたとき、この取材で知った農口杜氏のさまざまな行動が、すべて「もっとおいしいお酒を造りたい」というとてもシンプルな思いによるものだということを実感した。
経験や勘だけに頼らず、工程をデータ化すること。
無駄な労力や時間を削り、クリエイティブなことに力を発揮すること。
新しいものを採り入れることに消極的にならないこと。
「ここ」という重要な工程は自身で確かめること。
飲み手の意見に、謙虚に耳を傾けること。
これらすべての行動の先に農口杜氏が見ていたのは、いつも飲み手の姿だった。
「おいしいね」とニッコリ笑って、幸せそうに飲んでいる人たち。
どんなにベテランになっても、89歳になっても、「酒造りの神様」と呼ばれても、目指すのはただそれだけ。
そう在り続けることができるから、レジェンドはレジェンドなのだ。
私も仕事をする時は、いつも取材相手や読者の姿を思い浮かべたい。
その人たちがニッコリ笑って読んでくれるように。
89歳の「酒造りの神様」から多くのことを学ばせてもらった取材だった。
この取材記事は、2022年10月20日発行『酒蔵萬流』34号に掲載。
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