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「人生の記念品」から「誰かのための本」へ

エッセイ集の自費出版に向けて動こうと思いながらも、毎日の「やらなければならないこと」をなんとかこなすことで精一杯。それすらままならず、何も進まない日々が続いていた。
これではいけないなと感じ始めていた時、ある出版社のワークショップが大阪で開催されることを知った。自分で本を出したい人がどうやって出版までこぎつけるのか、企画書の書き方から出版までのノウハウを教えてくれるという。
どんなもんかなとも思ったが、とりあえず「何か」を無理にでも始めなければと思い、申し込んでみた。
それが2月初めのこと。

▼ワークショップを開催されたUTSUWA出版さま

結果から言うと、このワークショップに行ったのは正解だった。今までぼんやりとしていたことが明確になったからだ。
また、今まで「お金をかけても本格的なハードカバーの本にしたい」という思いがあったので、POD出版(Amazon)にすることは考えていなかった。PODだと装丁がペーパーバックになるし、紙質なども選択肢が少ない。素人が作った同人誌みたいなものになるのが嫌だった。でも、PODのメリットをいろいろと聞き、サンプルを見せてもらうと、「これでも十分かな」という気持ちが芽生えてきた。

何より良かったのは、「本を出版すること」に対する意識の変化だ。
これまで私は、退職後のおじさんが自己満足のために自叙伝を自費出版するような感じで、とにかく「生きている間に何かを形にして残したい」という気持ちが強かった。簡単に言えば「人生の記念品」のようなものを作りたかったのだと思う。
ありがたいことに夫が費用は出してくれるというからお金の心配もいらなかったし、自己満足の記念品作りだから「売れる・売れない」も関係なかった。まあ、この記念品を一緒に読みたいと言ってくれる人がいるなら読んでほしいし、うれしいなぁと……。その程度の意識でいた。

でも、そのワークショップで、「本を出版することはゴールではなく、スタートだ」という意味のことを言われ、目から鱗だった。
たとえば、何かの講師をしている人なら、本を出すことで生徒を増やすとか、講演の仕事につながるとか。その本が自分の本職の営業ツールになることがあるし、出版によって得られるものがある。いや、あるべきなんだ、という話を聞いた。確かに「本」は自分をアピールするのに最適なツールかもしれない。

そんなこと、考えてもみなかった。
だって、「記念品」だと思っていたから。
でも、意識を変えてみたら、私も本を出すことでライターの仕事に幅が出るかもしれないなと思った。自分の経験をもとに、他の人の出版のお手伝い(編集や校閲も含め)の仕事ができるかもしれないし、エッセイやコラムの案件だって出てくるかもしれない。
そうか、自分でこれをゴールにしていたけれど、その先があってもよかったのだ、と気づいた。初めて出版の先に新しい未来が見えた。
PODでもいい、と思えたのも、その意識の変化が大きい。

それから、実際に「企画シート」なるものに、出版の目的などを書いてまとめる作業をしたのだが、これも役に立った。
本を出す「目的」、具体的には「その本を誰に読んでもらって、読むことでどうなってほしいのか」、それを明確にすることが一番大事なことだと教わった。
今まで、「ライターとしての生き方」と「がんサバイバーとしての生き方」の2つのテーマが自分の中にあり、それをどうやってうまく融合させるかということを悩んでいた。どちらに重心を置くべきか、いっそのこと2冊に分けるべきか、など。それについてもその場で個人的に指導してもらうことができ、なんとなく輪郭が見えてきた。

最後は皆の前で企画の内容を発表して終了。
言葉にして人に話すということで、現実味が深まって、一歩進んだ気がした。
ただ、私の企画シートは完成はしていなかった。輪郭は見えたが、もう少し考えてまとめる必要があると思った。
「その本を誰に読んでもらって、読むことでどうなってほしいのか」という一番大切なことがまだあやふやだったのだ。
ライターを目指す人?書くことが好きな人?生活を豊かにしたい人?がんサバイバー?病気の人?単純に私の文章を読みたいと思ってくれる人?
「記念品」から一気に「意味のある本」に昇格しようとしている私のエッセイ集。まだ自分の中でこの本を出す意味付けができずにいた。

2週間後にオンラインで無料の個別相談をしてもらえることになったので、これは宿題となった。それまでに企画シートをまとめて、できれば構成まで進めておきたい。
もうこの出版社さんにお任せしてもいいかなと思い始めていたので、個別相談の時に大まかなスケジュールと見積もりまで進められたらいいかなと考えていた。費用も当初、「記念品」と考えて作ろうとしていたものより遥かに安く抑えられる。そうか、「人生の1冊」と決めつけず、別に第二弾、第三段と書いて出していってもいいのだ。費用が安ければそれも可能だ。

なんだか一歩進めたことで、明るい気持ちになって会場のビルを出た。
やはり「行動する」って大事だ。いつもそうだけど、何かにつながるかどうかわからなくても、とにかく動けばヒントが見える。出会いがある。考えが大きく変わることもある。
ワークショップに参加してみてよかったと心から思った。

そして、その帰り道で、あやふやだった「目的」も明確になった。
地下鉄のホームで電車を待っている時、スマホを見たらLINEの通知があった。開いてみると、数年前までよく一緒に仕事をしていたデザイナーAさんからだった。彼女とは全部合わせれば何百ページにもなるほどたくさんのものを作りあげてきた。
どんなにややこしい内容やタイトなスケジュールの案件でも、打ち合わせが終わると必ず彼女が言う「なんか、いいものができる気がします!」という根拠のない言葉が、どれほど救いになってきたことか。魔法の言葉みたいに私は気持ちが楽になって、いつも本当にいいものができた。
残念ながら私はもうそこのデザイン事務所からの仕事を受けることはなくなったが、彼女と仕事をしてきた10年くらいは本当に濃密でハードで、何より楽しかったと、いつも優しい気持ちで思い返す。

彼女は数年前から、ガンではないが難病に罹っていて、私と同じように「痛み」に耐える日々を送っている。たまに会ってお茶をしながら話すことがあるのだが、同じ病気ではなくても同じように「痛みに耐える辛い日々」を送っているという共通点があるため、お互い話すことで少しラクになる。長い付き合いの親友がどんなに寄り添って考えてくれても理解できないような思いを、彼女は自然と理解してくれる。いつしか「仕事仲間」から「病気友達」みたいになってしまったが、時々会って話せることが私にとっては大きな救いとなっていた。

そのAさんからのLINEのメッセージを読み、私は地下鉄のホームで泣いてしまった。
そこには、最近の病状のほかに、私のnoteを時々読んでくれていることが書かれてあった。
「挫けそうな痛みに立ち向かいながら記事を書いている山王さん(←私のこと)に、本当に勇気をもらっています」
「山王さんが、まわりのみんなに勇気をもらっていると書かれていて、私にとっては山王さんに100倍勇気をもらっているよと、100回くらい、いいねとありがとうを押したくなってLINEしてしまった次第です」

それを読んで、涙を拭きながら、ああ、今、つながった、と思った。
その本を誰に読んでもらって、読むことでどうなってほしいのか?
私は、私が再発ガンという病気を抱えながらも書き続ける姿を読んでもらって、私がもらってきた勇気をみんなにお返ししたい。
ガンの人はもちろん、他の病気の人にも、健康でも生きる勇気を失っている人にも読んでもらいたい。明日少しでも明るい気持ちになって、一歩を踏み出せるように。
ガンになっても病気になっても、まだできることはある。私にとってはそれが「書くこと」であり、ライターという仕事だった。
人はひとつでもそういうものがあれば、前向きに豊かに生きることができる。自分に負けない強さを得られる。勇気を出せる。
そして、その姿を見せることで、誰かの明日の一歩につながるかもしれないのだ。
そのことがnoteを書き続けてきてわかった。AさんのLINEを読んで、それでいいんだと思った。

本を出す「本当の目的」がようやく決まった。
もう自己満足の記念品じゃない。
読んでくれる人のために書く。そんなのおこがましいと思っていたけど、今は書いていいんだと思える。
来週の出版社との個人相談に向けて、企画書と構成案を進めていこう。

ベストなタイミングでLINEをくれたAさんに心から感謝!どんな案件でも最高の道しるべとなるようなディレクションをしてくれていたことを思い出す。今回も結果的にそうなった。
そして、いつも彼女が言っていたように、根拠はないけど、私も言う。
「なんか、いいものができるような気がします!」

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