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【人生の100冊】6.村上春樹『国境の南、太陽の西』

自分の人生において大事な100冊を挙げていこうという、勝手に自分で始めたこのシリーズ。3年くらいで100冊までいけばいいと思っていたが、まだ6冊目ということに気づいた(汗。
とりあえず、年内に20冊まではたどり着くように書いていこう。(となると、最低でも週1冊?!いけるかなぁ……)

ということで、2か月ぶりに再開した100冊シリーズ。先日、『BRUTUS』の村上春樹特集のことを書いた ↓ ので、今日はこれにした。

村上春樹氏の『国境の南、太陽の西』だ。

「村上春樹作品で一番好きなのは何?」
この問いに、これまで何の迷いもなく、この作品を挙げてきた。しかし、改めて考えてみると、自分でもどうしてこれなのかわからない。説明が難しい。

ある意味、これは村上春樹作品の中で異色な作品のようにも思う。
冒頭から、主人公のハジメがどういう人物であるかすべて種明かしされているところも、結婚して二人の子供がいて、やや俗人っぽいところも。

*   *   *

ハジメは小学生の頃、「島本さん」という軽く左足を引きずる一人っ子の女の子と仲良くなる。中学が別になってから二人は会わなくなり、高校で新たに「イズミ」という女の子と親しくなり、何か違うと感じながらも付き合うことになるが、ハジメはイズミの従妹と何度も関係を持ち、結果的にイズミをひどく傷つける。

ハジメは大学を出て教科書会社に勤めるが、新たに知り合った「有紀子」と結婚し、会社を辞めてジャズバーのマスターとなる。
店は順調で、2人の子供にも恵まれるのだが、イズミが人生に失敗していることを同級生に聞き、イズミが店にやってくるのではないかと恐れる。
しかし、ある日、バーを訪れたのは、イズミではなく島本さんだった。

また二人は会うようになり、ハジメと島本さんは箱根の別荘で過ごすのだが、その夜を最後に島本さんは消えてしまう。子供の頃、一緒に聴いたナット・キング・コールのレコードと共に。
そして、ハジメはまた有紀子と元の生活を始める……。

*   *   *

こうやってあらすじを書くと、村上春樹作品にとって「あらすじ」というものが何の意味もないことを思い知らされる。
これだけ読むと、まるで不倫をするどうしようもない男を描いた三文小説のようだ。

もちろん、そうじゃない。
ストーリー云々よりも、作品の端々から感じられる空気感や登場人物のセリフ、言葉の選び方、そういうものが私にはたまらなくて。

特に、この作品を初めて読んだ頃の私(20歳くらい)は、ハジメの中の「欠落しているもの」に共感するところがあった。
たとえば、こんなセリフ。

ねえ、島本さん、いちばんの問題は僕には何かが欠けているということなんだ。僕という人間には、僕の人生には、何かがぽっかりと欠けているんだ。失われてしまっているんだよ。そしてその部分はいつも飢えて、乾いているんだ。

このハジメの「欠けたもの」は、こんなセリフでも表されている。

僕が抱えていた欠落は、どこまでいってもあいかわらず同じ欠落でしかなかった。どれだけまわりの風景が変化しても、人々の語り掛ける声の響きがどれだけ変化しても、僕はひとりの不完全な人間にしか過ぎなかった。僕の中にはどこまでも同じ致命的な欠落があって、その欠落は僕に激しい飢えと渇きをもたらしたんだ。僕はずっとその飢えと渇きに苛まれてきたし、おそらくこれも同じように苛まれていくだろうと思う。

何でもない平凡な日常の中で、欠落を抱えた人間が感じる飢えと渇き。
あの頃の私は確かにそれを感じていた。
だから、この作品に心惹かれてしまったのかもしれない。


<人生の100冊の趣旨>
昔読んでから長い時間が経っても、私の中でいつまでも色褪せない本を紹介しています。私が自分の人生で大事にしている本です。
一応、100作品を挙げるのが目標です。
私個人の便宜上、タイトルにナンバーを入れますが、「1が一番好き」「1番古い本」など、数字の持つ意味はありません。本棚で目についたものや、その日の気分で書いていこうと思います。
何か少しでも読んでくださった方の心に響く言葉があって、「これ、読んでみたいなぁ」と1冊でも思っていただければうれしいです。

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