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日本酒専門バーのスタッフをやってみたら……

「好きなことを仕事にするほうがいいのか」という話題はいろんな人の間でよく挙がるし、noteでも何度かそんな記事を見かけたことがある。

少なくとも私は、25年もライターの仕事をしているけれど、ただの一度も嫌だと思ったことはないし(自分の才能のなさに打ちのめされることは幾度もあったが)、仕事はずっと楽しい。好きなことを仕事にできてよかったし、幸せだと思っている。

ただ、他の職業も経験してみたかったと、少しだけ欲張ってしまうことはある。学生時代のアルバイトも含めれば、飲食店、ケーキ屋、パン屋、家庭教師、塾講師はやったが、それくらいだ。
取材でいろんな職業の人の話を聞くたびに、世の中にはいろんな仕事があるんだなぁ、ちょっと他のこともやってみたいなぁと思っていた。
何か自分では思いもよらない才能が開くこともあるんじゃないかと、未知なる自分への小さな期待もあった。

そんなある日、京都・祇園の日本酒バーで働くという機会を得た。
今から3~4年前のことだ。きっかけは、ある酒販店を取材させてもらった時のこと。そこのオーナーが「この間、試験的に祇園に日本酒専門のバーを出してみたんですよ」と話し始めたのだ。
「わー、いいですね!私も一度日本酒のお店で働いてみたかったんですよねー」と言うと、オーナーが急に前のめりになって「今、スタッフがいなくて困ってるんですよ。Kaoriさん、週1でも2でもいいので、働いてくれませんか?」と言ってきた。

面白そう!と思った私は、「やります!」と即答。
1日4時間程度、週1か2回なら本業にもまったく支障がない。それに、「お客さんと日本酒の話ができるなんて楽しそう。私の知識も役立ててもらえるかも」と単純な私は思った。

そして、その翌週から実際に店に立つことになるのだが、2~3回オーナーと一緒に入って仕事を覚えたら、その後はずっとワンオペだった。毎回オープンからカギを閉めるところまでを一人でやらなければならない。

ワンオペだったのは、とにかくお客さんが来ない店だったからだ。客入りが悪い理由は明確で「祇園のバーにしては営業時間が早すぎた」。私やオーナー、他のメインスタッフも大阪に住んでいるので、終電に間に合わせようと思うと22時には店を閉めなければならず、営業時間は18時~22時(21時半ラストオーダー)だったのだ。

料理を出す店ならこの時間でちょうどいいが、ちょっとした酒のアテしか出さない日本酒バーがこの営業時間では厳しい。18時から日本酒だけを飲もうという人は世の中にほとんどいないし、21時を過ぎてようやくお客さんが来ても、すぐにラストオーダーだ。儲かるはずがなかった。

最初はその酒販店に通う常連さんが挨拶代わりに順番に来てくれたが、メインスタッフだった美しい女性とお客さんが仲良くなり、いつの間にか常連さんはその女性スタッフが入っている日を狙って来店するようになった。

こうなると、私の入る日は特に売上が悪くなった。お客さんが来ても新規が多く、常連さんのように長時間居座ってお金を落としてくれないからだ。
「待ち合わせまでの1杯」とか、「噂を聞いてちょっと1杯飲みに寄ってみた」とか、「最後に1杯」とか、そんなお客さんがほとんどだった。

そのうえ、美しい女性スタッフに聞けば、常連さんはいつも「○○さんも飲みぃな」と何杯もごちそうしてくれるという。それも彼女の売上につながっていた。
一方、私は新規客が多いこともあり、滅多にごちそうしてもらうことはなく、売上も微々たるもの。
そのことは結構辛く、肩身も狭く、「キャバクラで売上を伸ばせないキャバ嬢ってこんな気持ちなのかしら」と考えてみることもあった。
「こうなったら色仕掛けや!」と思うこともあったが、無い色は掛けられない。(それにそんな店でもない)

ただ、私が慣れない仕事に悩んでいると、「持つべきものは友」とはよく言ったもので、酒好きの友達が順番に10人くらいは来てくれた。
でも一周まわればそれで終わり。また閑古鳥の鳴く日々だった。もちろん繁盛する日もあったが、とにかく全体的にお客さんが少なかった。

また、久しぶりに「時給」で働いて、「時間が過ぎるのを待つ」自分に気づき、それはとても新鮮だったが、苦痛でしかなかった。
ライターの仕事はいつも時間に追われているから。
「あと何時間で書き終わらないと!」と、いつも時間に追われてきたのに、店では時間が過ぎるのをじっと待っている。それがもったいなくて、本当に耐えがたい時間だった。
誰も来ない時は掃除をしたり、日本酒の勉強をしたり、イベントの企画を考えたりして、なんとか仕事を見つけて過ごしていたが、それでも限界がある。

そして、お客さんが来たら来たで、接客は取材ほど楽しめないことにも気づいた。取材なら、最終的に「記事にする」という目的があるので、相手の話を聞くのは楽しいし、いくらでも質問が湧いてくるが、一人でカウンターに座って日本酒を飲んでいるお客さんに対しては何を話していいのやら、さっぱりわからなかったのだ。
もちろん仲良くなったお客さんはいたし、「それなり」の対応はできていたと思う。だけど、「接客の正解」はまったくわからないまま日々が過ぎていった。
あー、飲食店の人ってすごいなぁ、スナックのママとか、ほんとすごいよ……。そう思うことが増えた。

そのうち一人で居酒屋やワインバーで飲んで帰るのが楽しみになった。
私の家は大阪でも京都寄りなので終電は23時半くらいまである。なので、店を閉めると祇園の街をふらついて、その日の稼ぎをほとんど飲み代とタクシー代に費やしてしまっていた。
こうなると一体何のために働いているのかわからず(いや、自分のせいなんだけど)、いよいよやりがいを感じられなくなっていった。

そして、最終的に思ったのはこれだった。
「酒はつぐもんじゃない。つがれるほうが100倍楽しい!」

この結論に辿り着いてしまった人間は、バーで接客などしてはいけない。そう悟った私はオーナーに辞めることを申し出た。入って9ヶ月目だった。
その頃には新たなスタッフも2名増えていたので(4人でまわしていた)、私が抜けることは何の問題もなかった。

あまり良い思い出のない9ヶ月だったが、最後に店でイベントを企画してやらせてもらったのは楽しかったなと思い出す。やっぱり自分は「ものづくり」――ゼロから何かをつくって、人を楽しませること――が好きなのだ。

「滋賀酒の会」として、滋賀県のお酒をセレクトし、酒のアテを作るのだけは得意なので、1本1本に合う料理も自分で作った。日本酒の説明を書いたレジュメを用意し、配って解説し、12人ほどの参加者に飲んで食べて楽しんでもらった。(会費制)

▼その時セレクトした滋賀酒▼

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▼お出しした手作りおつまみセット▼

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こういう楽しいことをすると、もう少し続けたいという気持ちも出てきたが、この日を最後に辞めてよかったと後で知る。
というのは、私が辞めた翌月にこの日本酒バーは閉店したからだ。
もともと試験的なものだったので、オーナーがこれは違うと判断されたのだ。ちなみに、その後は大阪で本格的な料理と日本酒のお店を2軒出店されて、そちらは成功している。

また、この店で知り合ったお客さんやスタッフの女性二人と今でも仲良くさせてもらっていることは、私にとって大きな収穫だ。
年に何回か一緒に飲みに行くし、去年はGoToを使って一緒に新潟へ行き、酒蔵めぐりを楽しんだ。貴重な酒友だ。

だから、働いてみたことは後悔していない。自分が飲食店で働くのに向いているのかどうかを判断することもできたし、良い経験だったと思う。
自分はもっといろんなことができる人間だと思っていたが、「どうやら私は文章を書くくらいしかできないらしい」ということを身をもって知ったのは、よかったのか悪かったのかわからないが……。

なんにしろ、私はもう死ぬまで書いていくことを決意した。これを天職だと信じるしかない。
仕事選びは「好き・嫌い」も大事だが、「向き・不向き」も絶対にある。今私が仕事が楽しいのは、きっと「好きな仕事」だからというだけでなく、多少は「向いていた」からなのだろう。
まあ、少なくとも、日本酒バーのスタッフよりは、ね。

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