見出し画像

【人生の100冊】7.高村光太郎『智恵子抄』

『智恵子抄』を初めて読んだのは大学生の時だ。
近代文学の「詩」の授業で、萩原朔太郎や北原白秋と共に高村光太郎を学んだ。
ちなみにこの「近代文学」の授業では、他にも横光利一、小林多喜二、宮本百合子などのプロレタリア文学、樋口一葉の『十三夜』、堀辰雄の『菜穂子』をかなり詳しく勉強した記憶がある。中でも『菜穂子』は半年くらいかけてゼミでやったので、その頃の私の文章は堀辰雄そっくりだった。(影響を受けやすい)

授業で使うテキストとして文庫の『智恵子抄』を買ったが、社会人になってから実家の本棚を物色していたら、写真のような朱色の『智恵子抄』を発見。本来は箱型のカバーがついていたようだが、それは見当たらず、残っていたのは中身だけだった。

画像1

母に「これどうしたん?」と訊くと、「結婚した時、友達にもらったのよ」と言う。母が言うには、昔は結婚する女性への贈り物の定番だったらしい。光太郎と智恵子のようにどんなことがあっても愛を貫いてほしいという願いを込めているのだろうか。

大事なものだろうから、おそるおそる「これ欲しいなー」と言ってみると、母は何の躊躇もなく「どうぞどうぞ。持ってって~。お母さんもう読まないから」と軽いノリでくれた。(ああ、贈ってくれた友人の気持ちは何処へ……)

そんなわけで私の手に渡った初版版と同じ装丁の『智恵子抄』。大学時代に初めて文庫で読んだ時から心惹かれる詩がたくさんあったが、この装丁の『智恵子抄』を開くと、また別のドキドキがある。
見返しに智恵子の切紙細工が施してあるのも素敵だし、歴史的仮名遣い(旧仮名遣い)も味があってたまらない。不思議と、現代仮名遣いで読むよりも、おもいが伝わってくる気さえする。

画像3
画像2

『智恵子抄』については、よく知られていると思うので、ごく簡単に。
これは、彫刻家・画家であり、詩人でもあった高村光太郎が妻・智恵子に関する詩や短歌、散文をまとめた詩集だ。
智恵子も芸術家だったが、光太郎との結婚後に統合失調症(当時は精神分裂病という言い方をしていた)を発症し、入院生活を送る。その間に、智恵子は光太郎が持ってきた千代紙を使い、切紙絵を始める。闘病中に作った切紙絵は千数百点。病床において才能をきらめかせた智恵子だが、統合失調症は治ることなく、肺結核のため亡くなる。光太郎は智恵子の死から3年後に『智恵子抄』を発表した。

収められている詩の中で、私が一番好きなのは「僕等」だ。長い詩なので、少し抜粋してご紹介。

僕はあなたをおもふたびに
一ばんぢかに永遠を感じる
僕があり あなたがある
自然はこれに尽きてゐる

もうこの出だしだけで、胸がきゅんとなる。
そして、中盤。私がこの詩に出会ってからずっと「これこそが私の理想とする夫婦(生涯のパートナー)のカタチだ」と思った部分。

僕は自分の痛さがあなたの痛さである事を感じる
僕は自分のこころよさがあなたのこころよさである事を感じる
自分を恃むようにあなたをたのむ
自分が伸びてゆくのはあなたが育ってゆく事だとおもってゐる

それからこの言葉。女性は自分の伴侶にこう思われたいと思うのではないだろうか。

あなたは僕に古くなればなるほど新しさを感じさせる
僕にとってあなたは新奇の無尽蔵だ

そして、感動のラスト。なんと崇高な関係の二人なのかと思う。芸術家で常に高みを目指してきた二人らしい。

僕等はいのちを惜しむ
僕等は休む事をしない
僕等は高く、どこまでも高く僕等を押し上げてゆかないではたまらない
伸びないでは
大きくなりきらないでは
深くなり通さないでは
――何といふ光だ 何といふ喜だ

ああ、私もいつかこう思えるような、そして思ってもらえるような相手と巡り合いたいと、大学生の私はため息をほうっとつきながら思っていた。

しかし、光太郎と智恵子の生活はがらりと変わる。統合失調症という病が智恵子を襲ったからだ。そして、死が二人を引き裂く。
その智恵子の最期の様子を書いたのが「レモン哀歌」という詩だ。私はいつもこの箇所にくると、どうしても涙を止めることができない。

かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた

病床で光太郎の渡したレモンをかじると、命の瀬戸際に、智恵子は一瞬だけ正気を取り戻すのだ。そして、その一瞬に光太郎への愛をすべて注ぎ込む。それが光太郎には伝わったのだろう。

この詩集には短歌も6首収められているが、最後の歌がまた私を苦しくさせる。

光太郎智恵子はたぐひなき夢をきづきてむかし此所に住みにき

二人で夢を抱いて住んでいた家。そこにはもう智恵子はいない。そんな光太郎の悲しみが伝わってきて、また私は泣いてしまうのだ。




この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?