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【ガンはメッセンジャー 3】初めての検査入院はまだ余裕があった。

大きな大学付属病院への紹介状をもらったが、検査日は2月5日。まだ2週間もあった。「ガンだったらもっと急ぐでしょ。こんなに待たせないんじゃないのかな」と考えて、ちょっと希望を持ってみる。ただ、この2週間ですらハードな生活は続いていた。当時の日記(ブログ)を読むと、こう書かれている。

23日は新年会で、24日~26日は山形出張。27日が大阪で取材。29日~31日まで島根の酒蔵で酒造りの勉強。2月2~3日が九州出張。ようやく今日落ち着いた。これで15日までは出張はない(15日~は静岡だ)。

ちょっとはゆっくりしろよ……とツッコミたくなるが、逆に、仕事をしている間は病気のことを考えなくて済んだのでよかったのかもしれない。やはり、少しでもぼんやりすると、つい「最悪」のことを考えてしまっていたからだ。

ネットでなんでも調べられるということは、良い面もたくさんあるけど、悪いこともある。ネット上に書かれている「最悪」の症状や状況が、あまりにも自分に当てはまりすぎて、怖くて時々泣いてしまった。「もう読むのをやめよう、精神的に悪い……」と思うのだが、もしかしたら何か「いい例」が見つかるのではないかと、救いを求めて検索ワードを変えて、また調べて落ち込んで。その繰り返しだった。

そんな日々を送り、ようやく2月5日が来たが、結局その日はMRIの画像を見てもらい、エコーと細胞診だけで、次の検査日を予約しただけに終わった。何の結果もわからず、また悶々として日々を過ごす。

2月18日~19日、子宮鏡で子宮内膜の組織を採取する検査で入院することになった。かなりの痛みを伴うので麻酔が必要とのことだった。

これまでの人生、私はとにかく健康だった。熱を出したのも記憶にあるのは7歳の時。あれが最後だ。かなりハードに働いても飲み会が続いても、「しんどい」「疲れた」と思うことがまずなかった。だから余計にむちゃくちゃな生活をしてきたのだろう。普通に「しんどいなぁ」と思ったり、無理をした時に風邪をひいたり熱を出したりしていたら、もう少し体を休めて、まともな生活を送れたんじゃないだろうか。

そんな病気1つしたことのない自分が、いきなり入院してガン検査。何もかもが初めてで戸惑っていた。が、今思えばまだその「初めてのこと」を「良い経験」くらいには感じる余裕があった。

まだガンの知識も何もなく、何より「自分がガンになる」というリアリティがないものだから、検査結果を聞きに行くのも一人で行った。もちろん夫は「ついていく」と言ったが、頑なに断った。いい大人がなんで病院に行くのに人についてきてもらわないといけないんだと、そんな気持ちだった。

そして、検査入院から1週間後の2月26日。主治医ははっきりと私に言った。「子宮体ガンです」

ああ、これが世に言う「ガン宣告」ってやつか……。やっぱり夫についてきてもらわなくてよかったと思った。誰かそばにいたら、泣いてしまいそうだったから。

▼これまでの話はこちらから▼

連載【ガンはメッセンジャー】について
2016年にガンになり、手術と抗がん剤治療3クールを経て根治した。……と思ったら、3年後の2019年に再発。もう「根治」の可能性はなく「延命治療」しかできないと言われ、それから抗がん剤治療を9クール受けた。そして今は何も治療をせずに1年以上経つ。よく「闘病記」や「治った」人の話は聞くけれど、私はまだガンが骨盤リンパ節や腹膜に散らばっている。ステージ4だ。定期検診は受けているが、治療は一切していない。仕事もするし、お酒も飲むし、キャンプもするし、痛みなどもない。この奇跡の話をこれから少しずつ書いていこうと思う。日本人の二人に一人が生涯でガンになると言われている時代。<治療法>ではなく、私のような新しい<ガンとの付き合い方>が、ご自身や周りの人の参考になれば、うれしいです。

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