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第1光『光の魔法少女』

「あ゛ーもうッ!ぜんッぜん頭に入らんのじゃ!」

 今日こそ本当に遅刻ギリギリだった。急いでまとめたお団子髪はボサボサで、どうにか形を保っているけれど、そのことすら気にしている余裕はなかったのだ。

「なんでこんな分厚いのぉぉぉ……」

 レジカウンターの端には、山のように積み重なった参考書が置かれていて、ページをめくる手が止まった。ブツブツ文句を言いながら、勉強の範囲を眺めるが、一つ一つの問題に対して、必要な知識が広すぎて、ただただしんどい。眉を寄せながらもう一度ページをめくり、深くため息をつく。

「あーやばい……頭が……」

 目の前の文字がどんどんぼやけて、集中力が切れていく。高校入学の祝いとしておかーちゃんに買い替えてもらったメガネを時々掛け直しながら、なんとか勉強を続けようとするが、今日はもう無理みたいだ。頭の中がごちゃごちゃして、文字がただの模様に見える。

 カウンターに突っ伏して、少しでもこの重たい気持ちから逃れようと目を閉じる。その日は快晴で、空は青く澄み渡り、新年の陽光が地面を温めていた。ウチはいつものようにコンビニのレジに立ちながら参考書に目を通し、時折店外の日差しに目を細めていた。

 このコンビニは、街の端に位置しており、その外観は時代を感じさせる古さがある。その名は「すみれ文具店」。もはやコンビニではない名称の看板は色褪せていて、文字の一部が剥がれかけているが、それがかえってレトロな魅力を醸し出している……とウチは思っている。

 店内には、イチゴの旬を迎えたこの季節にちなんで、特設のイチゴコーナーが設けられていた。鮮やかな赤いイチゴが並べられ、その甘い香りが店内に広がっている。ウチは都会に行ったことがないので分からないが、こういう特設コーナーは、地方のコンビニあるあるなのだろう。店の奥にある木製の棚には、地元の野菜や手作りのジャムが並び、その中でもイチゴジャムは特に人気で、その自然な甘さが評判だった。

 この日も、地元の常連客が次々と訪れ、快晴の気持ち良さを共有しながら、新鮮なイチゴを買い求めていた。ウチはいつも通り、商品の補充や陳列の整理を手際良くこなしながら、訪れる客に明るく挨拶を交わす。

 その時、店のドアが古い鈴の音を立てて開いた。入ってきたのは、いつもの笑顔をたたえた老紳士改め、山本のおじいちゃんだった。彼は身なりが整っており、古風なツイードのジャケットを着こなし、頭には柔らかなフェルトの帽子をかぶっていた。その温和な眼差しと、白髪交じりのひげが彼の温かみある人柄を物語っている。

「こんにちは、ララちゃん!今日も元気かい?」

 山本のおじいちゃんはこの地域の長老であり、若い頃は海外で多くの事業に携わった経験を持ち、退職後は地元で静かに暮らしている。彼は地域の人々から敬愛されており、ウチにとっても慈父のような存在だ。ウチは照れくさそうに笑いながら返事をする。

「……かくかくしかじかで中退しちゃったから……せめて高卒認定くらいはもらっておかないと、おかーちゃんに申し訳なくてさ」

 ふと商売っ気を出すウチは、こっそりと彼に耳打ちをする。

「それよりも旦那……いいブツが手に入りましたよ。」ウチの声には少しのわくわくが含まれていた。

 山本のおじいちゃんは目を細め、好奇心を隠しきれない様子で、「ほほ……確かなものなんじゃろうな」とウチの提案に興味を示す。ウチは得意げに笑いながら、「ふふふ……なんと!魔・法・少・女・き・み・ミ・ラ・のコンビニ一番くじじゃあ!」と続けた。

 すると、山本のおじいちゃんは信じられないと言わんばかりに目を丸くした。彼は長年の『魔法少女きみミラ』の熱烈なファンで、そのコレクションは町で有名だった。

 彼の声は興奮を隠せず、「まさか……こんな田舎の個人店に一番くじが? しかもA賞は……ッ!描きおろしBIGアクリルスタンドじゃとぉ!?」と驚き混じりに高まる。

 彼の家には、『魔法少女きみミラ』のグッズでいっぱいの棚があり、新しいアイテムが出るたびに、彼は若いファンに交じって購入に走るほど。このたびの一番くじも、彼にとっては見逃せない大イベントだったのだ。

 ちなみに『魔法少女きみミラ』は、ウチと同じような女子高生が主人公の王道ファンタジーアニメで、異世界を旅しながら事件を解決し、悪の魔法使いを倒す物語である。そのシリーズは10年以上に渡り、世代を超えて愛され続けている超人気作品だ。ウチは彼の肩にそっと手を置き、ひそかに耳打ちをする。

「本当は明日からなんだけど、特別に引かせてあげますよ……」

 彼の目がさらに輝くのを感じながら、ウチは陰謀に加担するような小さな悪戯を楽しむ。

「お主も悪よのぉ……」

「げっへっへ!山本様ほどじゃございませぬよ」

 山本のおじいちゃんが、その場で悪代官のようにけたたましく笑い出す。その笑い声は小さな店内にこだまし、まるで小さな時代劇場のような雰囲気を醸し出した。ウチはカウンターの上に一番くじのボックスを置き、悪代官がくじを一枚引き上げて見せると、その表面には「A賞」の文字が金ピカに輝いていた。

「おおおお!」

ウチらは驚きの声を上げる。悪代官が景品のBIGアクリルスタンドを手に取ると、ウチらは一緒にポーズをとり、「星の光り、悪を払い、正義を照らす!魔法少女きみミラ、参上!」と推しキャラの決め台詞を楽しげに言い合った。


その時突然、店の外から耳障りな笑い声が響いてきた。その笑い声は大きく、何かがぶつかるような音と同時に店の入り口に響き渡った。

「何やつ!?」ウチが驚いて顔を上げると、悪代官が冷静に「いやお客さんじゃろ。」とツッコミを入れる。

 ケラケラと笑い声を上げながら、騒々しい一群の若者たちが店内に入ってきた。彼らはやんちゃな風貌で、髪型も派手な色に染めていた。自分たちのいる空間を誰もが許してくれると思っているかのように、店内の棚の間を大胆に歩き回り始めた。

 一人の若者が、棚に並んだジャムの瓶を手に取りながら大声で言った。「おい見ろよ、このジャム、農家のおっさんの手作りだって。ほら裏見ろよ、特別な加齢臭の香り、だってよー!オェーーー!」と大袈裟に吐き気を表現した。

 その発言に、取り巻きの少年たちが大声で馬鹿笑いし、「んなはずねぇだろ!」と彼のジョークに加わった。彼らの行動は明らかに周囲を不快にさせており、店内の空気は一気に緊張感を帯び始めた。

 ウチは心の中でため息をつく。「よく来る三人組……ほんと迷惑」と思いながら、彼らにあだ名を付けていた。ジャムをバカにした少年はいつも冗談を言って周りを引っ張っている様子から「ギャグ男」と名付け、一際目立つ派手な服を着た少年は「カラー君」。そして、ギャグ男のジョークで笑い転げる太鼓持ち役の小柄な少年を「スネア」とした。

 この三人組は、店に来るたびに何かしらの騒ぎを起こし、ウチにとっては扱いにくい客だった。今回も、彼らのはしゃぎ声と笑い声が店内に響き渡り、他の客もちらちらと彼らの様子を伺いながら買い物を続けていた。

 ギャグ男が大声で叫びながら、手にしたジャムの瓶を振り回していた。ウチはその様子を見て、カウンター越しに眉をひそめ、内心で溜息をついた。カラー君がぼやく。

「おっさん手作りはきついって!せめて可愛い子の手作りじゃねぇとー」

「おい、だったらお前のタイプ教えろよ。」

 ギャグ男はジャムの瓶を片手で軽くジャグリングしながら挑発するように質問をする。

「そりゃー魔法少女きみミラみたいな?」

「きんもッ!まだそんなん見てんのかよ」

 ギャグ男はカラー君を冷やかし、スネアはそれを指差しながら爆笑している。

「きみミラをバカにして……聞こえない聞こえない」

 ウチは店の中で他の客に聞こえないように小声でつぶやき、心の中でまたため息をついた。なんでこんなにうるさいんだろうと。よく人の好きなものを平気でけなせるなと。怒りが込み上げてきたが我慢する。

「あっ……」

 その瞬間、ギャグ男は不注意でジャムの瓶を手から滑らせた。ビンは床に落ちて割れ、ジャムが飛び散った。彼は一瞬固まり、その場でジャムの散乱を上から眺めた。

「……お怪我はありませんか?」

 ウチはため息をつきながら、カウンターから声をかけた。やっぱりやったか、と思いつつも、怪我をしていないか心配する素振りを見せる。この店はいつもこんな感じで、ウチがこうして対応するのも日常茶飯事なのだった。

「おいおいおい危ねぇ店だな。こんな高いところにビン置いとくなんてよ」

 彼らの無礼な言葉に胸が痛んだが、表情にはそれを微塵も見せず、深く息を吸い込んだ。ウチは自らを落ち着かせ、内心で囁いた。「本(「受験ストレス解消法:心を整え、試験に臨むための実践ガイド」)に書いてあったでしょ。こういう時は乱されちゃダメ……冷静に、冷静に。」

「……すいません、そのジャムを楽しみにしている方もいますので、店内で先ほどのような発言を大きな声で言うのは控えてくれませんか。」

 ウチは立ち上がり、割れたガラス片を入れたちりとりを片手に、静かながらも堂々とした態度で頼んだ。一瞬、店内が静まり返る。彼らが驚いた表情を浮かべる中、ギャグ男が「は?」と不満げに応じた。

 その時、突然、彼はスネアをウチに向かって押した。スネアは不意を突かれ、その勢いで後ろへと倒れそうになる。そこにはレジ前で買い物を終えようとしていた山本のおじいちゃんがいた。

「ちょっ……!」

 ウチが反射的に箒を投げ捨てた方の手を伸ばすと、その指先から突如として金色の輝く光が溢れ出た。まるで時間が止まったかのように、スネアは一瞬静止した。山本おじいちゃんは何が起こったのかわからず、ただ目を丸くしていた。

 光がスネアを包み込み、不思議な落ち着きがその場に満ち、彼は無事に、しかし驚愕して自分の足元に着地した。ギャグ男とカラー君もその光景に目を丸くし、「今……なんか光った?」とお互いに顔を見合わせた。ウチも何が起こったのか全く理解できなかったが、事故を未然に防げたことにほっと一息ついた。ウチは若者たちに再び声をかけた。

「皆さん、もうお帰りいただけますか?ここはコンビニです。他のお客様に迷惑はかけられません。お願いだから、もう少し静かにしてください。」

 しばらくの沈黙の後、一人の若者がため息をついて言った。

「チッ……オラいくぞ」

 そうして若者たちは店を出て行き、ドアが閉まる音がした。ウチは彼らが去った後、胸をなで下ろした。


 深夜の帰宅途中、ウチは突然の雨に打たれていた。

「くっそー!今日雨なんて聞いてないんじゃがー!」

 嘆きながら、傘を忘れたのもあって仕方なく走って帰ることにした。バックパックの中には参考書に加えて大切なものがたくさん詰まってるため、前に抱えて雨に濡れないようにしながら走る。ジップ部分につけた魔法少女きみミラの2024年限定キーホルダーが、カチャカチャと音を立てているのが聞こえる。

 ふと目の前に何かを確認し、立ち止まった。

「お化け……?」

 住宅街の一本道を進むと、突然目の前に黒いモヤが現れたのだ。いや、現れたというより元からそこにあったという方が表現として近いかもしれない。

「違う……異世界へのポータルとか?いや、アニメの見過ぎか……」

 好奇心からそのモヤに手を伸ばして触れてみる。ウチは昔から度胸はある方だった。幼少期に、おとーちゃんとテコンドー教室に通っていたからだろうか。同年代の男の子くらいなら、喧嘩で負ける気はしない。そんなことを考えながら、黒いモヤに触れた途端、手がバチッと静電気のように弾かれた。

「イヅッ!?」

 痛みに顔をしかめる。何かの自然現象?とりあえずスマホを取り出してその現象の写真を撮ることにした。

「……帰ったら、おかーちゃんに見せよう」

 ビリビリとした感覚を手に押さえながら、気味が悪くなり、モヤを避けて通り過ぎようとした。特に何も起こらず、ほっと一息ついたが、その時、突然昼間に遭遇した少年たちが現れた。こんな時間に……なんだか嫌な予感がする。中でもギャグ男が目立っており、彼はさっきの黒いモヤに似た何かで全身が覆われているようだった。

「……昼間の仕返し?それ以上近づいたら警察呼ぶわよ」と警告し、スマホを構えた。雨で視界が見えづらいが、カラー君もスネアも同じように黒いモヤで覆われているような気がする。

「ちょっと……あんた体おかしくない?」

 ウチは彼の異変に気付いた。彼の体つきは普段よりも明らかに大きくなっているような気がした。

「…ひ、か……」

 声も不明瞭で何かを言おうとしていた。

「なに?聞こえないんだけ……」

 聞き返そうとした瞬間、カラー君が獣のような勢いで襲いかかってきた。その動きは速く、雨を弾き、目にも留まらぬ速さでウチに迫る。一瞬の出来事に心臓が跳ね上がり、恐怖で体が硬直した。

「きゃあ!」

 ウチは咄嗟に身を守るために両手を前に突き出した。しかし、その急な動きで握っていたスマホが手から滑り落ち、地面に向かって飛んでいった。「やめて!」と叫びつつ、無意識のうちに両手を広げた。

 その瞬間、ウチの手のひらから驚くべき強力な光が突如発せられた。

「えっ!?」

 まるで日が昇るかのような眩しい輝きで、その光はカラー君を直撃し、彼を数メートル後ろに跳ね飛ばした。

「………………。えええ!?ごめんッ!え!?」

 驚きと同時に地面に転がるカラー君の姿を目にしたウチは、手のひらを見つめながら息を呑んだ。

「また出た……今度ははっきり」

 光が徐々に弱まりながらも、その感触と光の温もりを肌で感じていた。

 雨が冷たく肌を打つ中、ギャグ男が恐ろしい低音で唸りながら、喉からこもったような声で「……ご、ろ、ス」と言い放った。その声はまるで野獣のようで、ウチの背筋を凍らせた。もはやギャグ男なんて、冗談めいた名前は似合わない姿だと思ったが新しいあだ名を考える余裕なんてない。次の瞬間、ギャグ男はスネアを力強く掴み、ウチに向かって強く投げつけた。

「またソイツ!?」

 ウチは目の前に迫るスネアの姿に真剣な危機感を覚え、反射的に手を広げて防御の姿勢をとった。心のどこかで、さっきのような光が再びウチを守ってくれることを期待していたが、今回はその光は現れず、スネアの体重と勢いがウチに直撃した。

「いっだぁぁっぁい!」

 スネアの体重と勢いは予想以上で、ウチの右腕には鋭い痛みが走った。ふと腕を見ると、そこからは既に血が流れ出しており、どうやら腕を切ってしまったようだった。冷たい雨がその傷口に触れるたびに、痛みが増していく。雨に濡れながら血が薄まり、アスファルトに赤い痕を描いていく。

 ギャグ男は怒りに満ちた目でウチを睨みつけながら、腕を大きく振り上げた。その動きは異常に速く、彼の腕の筋肉が緊張し、勢いよく拳が空を裂くように振られた。

「ちょっと!?これ以上はギャグじゃ済まな……!」

 ウチは叫び声を上げたが、ギャグ男の振りかぶった拳が、その勢いで地面を砕いた。コンクリートが割れ、破片が飛び散る中、ウチは直感的に危険を感じて横に転がり、わずかながらもその一撃を避けた。しかし、ギャグ男はそこで止まらず、ウチの首根っこを力強く掴んだ。

「お、マエ……消……えロ」

 断片的な言葉と共に、その強大な力でウチを後方に駐車されていた車に向かって投げつけた。その動作はほとんど反応する間もなく行われ、ウチは空中を舞った。

 大きな衝撃音と共に、ウチは何かに激突した。車のボンネットだ。車の金属部分が凹み、ガラスが割れ散乱した。ウチの身体はその衝撃で投げ出され、地面に叩きつけられた。髪は解け、頭からは血が流れ始めた。着衣も破れ、ズタボロになり、衣服からも血が滲み出ていた。

「やば……これって…死……」

 ウチは息も絶え絶えに、危険な状況の真っ只中で、自らの命の危機を実感していた。

 ギャグ男が力強く地面を蹴り、高く空中に飛び上がった。重く荒い呼吸を漏らしながら、ウチのすぐ前の車の前に着地する。その重さで地面が少し揺れるかのようだった。彼の呼吸が痛々しいほどに聞こえた。

 ウチは、自分の体中から痛みが走り、絶望が心を覆いつくす中で、どうにか目を開けた。その時、両親の温かい笑顔が思い浮かび、彼らに会えなくなることへの恐怖が心をさらに締めつけた。

「やだ……まだ、死にたく、ない………。おかーちゃんに……写真……みせ……て、ない……。おとー、ちゃんにも……もう一度……。それにまだ、高卒認定も………。」

 雨が激しく降りしきる中、ギャグ男が近くの電柱に手をかけ、その巨大な力で電柱を根元からへし折った。軋むような音が夜の静けさを切り裂き、へし折られた電柱を彼はまるで戦士が武器を振るうかのように、棍棒として構えた。その姿はまさに暴力の化身のようで、その脅威に空気が張り詰めた。

 ウチは一瞬怯むも、必死に自分を奮い立たせた。地面に手をつきながら、痛みと恐怖を抑え込み、ひざからゆっくりと立ち上がった。雨に濡れた衣服が体に重く張り付きながらも、ウチは一歩一歩と確かな足取りで立ち位置を修正する。その目は固い決意でギャグ男を捉えていた。

「ウチ……まだ…………」

 震えた声で自分に言い聞かせる。顔に冷たい雨が叩きつける中、目からは決意の涙がこぼれ、それが雨粒と混じり合った。ギャグ男が振りかぶった電柱を棍棒のように振るって近づいてくる。

 ギャグ男がその巨体を震わせながら、野太い声で何かを叫んだ。彼の手に握られた電柱が次第に不吉な黒いモヤで覆われ始め、その表面にはまるで生き物のように蠢く不気味な黒い結晶が形成されていった。それは闇の力が物質を侵食していくかのように、電柱全体に広がっていく様子がはっきりと見えた。ウチはその異様な光景に目を奪われ、

「……このシーン……どこかで見た気が……。走、馬灯?……違う。きみ……ミ、ラ……?」

 と独り言を漏らして、いつの間にか吹っ飛んだのだろうか、きみミラの壊れたキーホルダーが視界に入った。その時、突如としてウチの内にふつふつと勇気が湧き上がり、心の奥深くから力が沸いてくるのを感じた。

「そうだ…ウチの夢は………………きみミラに……なること……!」

 ウチは無我夢中でずぶ濡れのリュックを素早く開けて中から何かを取り出そうとしていた。それは、自分で丹念に手作りした魔法少女きみミラのコスプレ衣装だ。お世辞にも上出来とは言えないが、おかーちゃんに裁縫を教わりながら、毎日数センチずつ丁寧に針を通して作ったのだ。

 ウチはその衣装を丁寧に服の上から被るようにして着た。衣装の生地が水を吸い、少し重くなる感触があったが、それを着ることでウチの中に新たな力が宿ったように感じられた。その瞬間、まるで魔法がかかったかのように、恐怖が消えた。

 ギャグ男が、その黒い結晶で覆われた電柱を恐ろしい勢いで振り上げ、ウチに向かって全力で振り下ろした。雨が激しく打ちつける中、電柱が空を裂くような音を立ててウチに迫る。ウチは、すでに決意を固めていた。

「どうせ死ぬなら……きみミラになりきって、死んでやる!」

 ウチは雨に打たれながらも、力の限り叫び、ポーズをとる。左手は胸の前で拳を作り、右手は空高く指を突き上げ、脚は肩幅に開いて軽く膝を曲げ、魔法少女の変身ポーズを決めた。

「星の光り、悪を払い、正義を照らす!魔法少女きみミラ、参上!」

 ギャグ男は攻撃の手を止める気配なく、繰り返しウチを狙ってその黒い結晶で覆われた電柱を振り下ろしてくる。ウチは自分を鼓舞し、恐怖を乗り越えるために『魔法少女きみミラ』の名言を力強く連呼する。

「第三話!『本当の強さは、力の大きさじゃなくて、心の強さだよ。』」

 目に見えるものが全てではなく、どれだけ困難な状況でも決して諦めない心が、真の強さを生み出すということをこの言葉から学んだ。ウチはギリギリのタイミングで電柱をかわしながら前進する。ウチは再び叫ぶ。

「第五話!『やめたっていい!諦めなければ、絶対に勝てる!』」

 このセリフは高校を中退したウチにとって、プレッシャーを感じなくていいという救いのように聞こえて好きだ。攻撃をかろうじて見切り、ギリギリのタイミングで身をかわす。彼の振る電柱がウチの頭髪をかすめる度に、彼女の心臓は飛び出そうになるほどのスリルを感じた。一瞬の隙をついて、ギャグ男が疲れから一歩踏み出したとき、ウチはそのチャンスを逃さなかった。

「第十話!『信じないから信じてもらえないんだ!大丈夫!光を、私を、信じて!』」

 ウチは力を込めて叫びながら、全力で平手打ちをギャグ男の顎目掛けて振るった。彼に触れるその瞬間、信じられないことに、夜空を切り裂く稲妻のように途轍もない光がウチの全身から放出された。特に打ち付けた右手のひらからは、まばゆい光が強く輝いていた。

「でた……出た!」

 ウチは驚き目を丸くした。その光は純白で眩しく、辺り一面を照らし出すほど強烈で、周囲の暗闇が一瞬にして払われた。光が電柱に触れると、その黒い結晶がみるみるうちに剥がれ落ち、元の古びたコンクリートの棒に戻り始めた。光が全ての黒い影を浄化するかのように、周囲の空気さえも澄み渡る感覚がウチを包み込んだ。

 ギャグ男は吹っ飛び、民家の塀に激突、苦悶の声を上げる。彼の体が何か不浄なものに侵されているのが明らかだった。ウチが放った光がその黒いモヤを払いのけるにつれて、彼の体も徐々にその異形の形状から縮小し始め、普通の人間の姿に戻っていくのが見て取れた。

「なに今の……?たす……かった……けど」

 ウチは慎重に、まるで壊れ物に触れるかのようにギャグ男に近づいた。心配そうに彼の顔を覗き込む。

「い……生きてる……よね?」

 そっと彼の胸元に手を置き、彼の呼吸を確認した。その胸が静かに上下しているのを感じると、ウチはほっと一息ついた。その場に座り込むと、ウチは今までの緊張から解放されたかのように、深く息を吐き出した。ずっと張り詰めていた感情が一気に緩んで、疲労がどっと押し寄せてきた。雨が少しずつ弱まり始める中、ウチは空を見上げた。何とかこの一連の出来事を乗り越えることができたことに、ほんの少しの安堵した。


 そのとき、現実が一瞬歪んだような錯覚に襲われた。目の前の空間がぐにゃりと曲がり、突如として黒い巨大な何かが出現したのだ。

「……本?」

 思わず声に出してしまった。闇夜を思わせる黒い表紙が特徴的だった。だが、それ以上に驚いたのはその大きさだ。ウチが見上げるほどの高さだから、2メートルくらいだろうか。横に視線をずらし、住宅街の塀と比べると余裕で超えているので、おそらく間違ってはいない。

 そして、徐々に本が開かれると、そのページからは鏡のように光り輝く表面が現れ、それが液体のように波打ち始めた。まるで別の世界への扉が開かれるかのように見えた。

 その中から、一人の男性が静かに現れた。彼は非常に長身だが華奢で、どこか貴族のような落ち着いた風貌を持っていた。彼の深い緑の瞳と端正な顔立ちは、見る者に安堵感を与えるような穏やかさを湛えていたが、同時に存在全体からは圧倒的な威厳が感じられた。

 彼は白銀の美しい挑発を揺らし、無言のまま、ゆっくりとウチに近づいてきた。その動きはとても優雅で、まるで時間がゆっくり流れているかのように感じられた。彼がウチの側に到達すると、彼は膝を地につける姿勢をとった。

「誰?……幻覚?さっきからもう……ワケわからないよ……」

 目の前に現れたこの男性の美しさに一瞬見惚れてしまっていたが、彼が近づいてくるにつれて、ウチはふと現実に引き戻された。その瞬間、突如として痛みが増してきた。それはそうだ、ずっと血を流していたからか、頭がぼーっとしてくる。こんな経験は初めてだった。さっきまで何とか持ちこたえていたのは、おそらくアドレナリンが出ていたからだろう。

 彼の顔をじっと見つめながら、自分の体がどれほど衰弱しているのかを改めて感じ取った。息が浅く、急速に心拍数が上がっており、体全体が冷えて震え始めていた。薄暗い空の下、冷たい雨が肌を突き刺すようで、その寒さが骨の隅々まで染み渡る。

「やっぱりウチ……死ぬんか、な……」

 声は震えていて、自分の手を見ると、それは制御不能に震えていた。死が迫る感覚に心が塞がれながらも、彼の顔から目を逸らすことができなかった。

 その時、彼が無言で両手をかざす。すると、その手からゆっくりと柔らかな緑色の光が発せられた。彼の手から放たれる光は、神秘的で温かく浸透していった。

「暖かい……痛みが………」

 この光が傷口に触れると、痛みがすーっと引いていくのが感じられた。その光は徐々に広がり、体全体を優しく包み込むように流れた。彼の治療する様子は、まるで古の癒し手が古文書に記されているような、神秘的で荘厳な光景だった。光が次第に薄れると、彼はゆっくりと立ち上がり、厳かな声で語り始めた。

「闇の力に立ち向かうララの姿を見守っていた。手を差し伸べず、申し訳なかった。」

 彼の言葉に、ウチは戸惑いとともに、この男が先ほどの戦いを見ていたことを知り、一瞬怒りが湧き上がりそうになった。なぜ早く助けてくれなかったのか、その不満が心をよぎる。

 しかし、彼はさらに言葉を続けた。

「だが、ララは見事に自らの力を解放したのだ。」

 その言葉を前に怒るのを保留することにした。そして、同時に多くの疑問が心に浮かんだ。ウチは目を丸くして、「闇……?解放……?……はい?」と困惑の声を上げた。

 その瞬間、まるで天気が彼の言葉に反応するかのように、周囲の雨が突然止み、夜空が一気に晴れ渡り、明るく月が輝き始めた。その急な変化に、ウチは一瞬息をのんだ。彼の手の動きに目を凝らし、不思議がるウチをよそに、男は手を振ると、近くの水たまりから水滴が集まり始め、空中で鏡のように変化した。

「これは……?」

「ララ、全ては予見されていた。お前は世界で唯一の……」

 男の声が再び響く。ウチはその言葉を聞きながら、自分が映る鏡を見つめた。

「唯一の……?」

 鏡に映った自分の姿に、ウチは息をのんだ。鏡の中には、ただのコスプレ少女ではない、金と白の壮麗な衣装を身にまとった魔法少女が映っていた。

「……『光の魔法少女』だ。」

 その姿は、ウチがこれまで憧れてきた推しキャラ、”君乃ミライ”そのものだった。

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