DTM119

で、気が向いたので、昨日の続きを書きたいと思います。

「音楽が出来る人=歌が上手い人」ではありません。そしたら歌い手が足りない、なんてことなくなりますから。

特に最近はある種の「音楽の民主化」が起きているから、なおさら関係が無くなっている。

で、歌が上手いからといって曲が書ける訳でもない。

在ったとしても僅かな相関関係しかないでしょう。

あたかもそう感じるのは、どちらも出来る方がいるせい(笑)。

もちろん歌が上手いと言っても色々なレベルがあるし、作曲能力(何をもって「作曲能力」というのかも良く分かりませんが)のレベル感も様々です。

まあだから歌う人も必要だし、曲を書く人も必要、という当たり前の話です。

だから、作曲する側は歌モノであれば歌い手が必要だし。歌い手には曲が必要ということです。

ただそこにやはり自分の思惑というものが入ってきて、こんな方に歌ってほしいとかそういう話になる訳です。

でもそう上手くはいかない。

あくまでも相手のある話ですから。

昨日も書きましたが、有料の歌い手の方、必ずしも自分の思うように歌ってくれる訳ではありません。

だからボカロなりSynthesizer Vに歌わせるか、それとも自分で歌うしかない、という話になります。

まあどちらを選ぶか、と言えばどちらの方が得意か、という話になるでしょう。

もしかはどちらが不得手か。

自分の場合、歌は下手くそだと思いますが、それでもボカロとか使ったこともないし、やはりボーカルトラックの加工の方が相対的に得意だから、自分で歌っている訳です。

でも昔は編集とかしてなかったんですよね(笑)。

しかも投稿までしてるし(汗)。

なんだかんだ言って、やはり細かい部分の表現は下手は下手なりに歌を歌った方がまだいいような気がしていて、それで自分で歌うようになった訳です。

相当DTMレベルの高い方でもこういったツールでは、やはり人の声には敵わない部分がある、だからこそ、上手くなくてもそこには細かい表現に溢れている、だから自分の場合歌を自分で歌っている訳です。

まあ満足出来る方に巡り合えたらとっととやめるとは思いますが(笑)。



ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。