blue but green

時代に左右されない音楽作品を紡いで行きたいと考えて活動しています。 主な作品は各種スト…

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時代に左右されない音楽作品を紡いで行きたいと考えて活動しています。 主な作品は各種ストアで配信中、YouTubeでは「blue but green Official YouTube Channel」という堅苦しいチャンネル名で活動中です。 よろしくお願いします!。

マガジン

  • tribute 2022/05

    • 7本

    音楽をシェアするマガジン tribute の2022年5月号です。 tributeに記事をシェアしてくださる方を募集しています。

  • tribute 2022/04

    • 5本

    音楽をシェアするマガジン tribute の2022年4月号です。 tributeに記事をシェアしてくださる方を募集しています。

最近の記事

YouTubeでの音楽活動149

一昨日位でしょうか、最近YouTubeの自分のページにあまり行かなくなった話。 あまり活動をしていない方が増えたのと、活動している方。同じような曲ばかり出していることが多いのでなかなか聴く気になれない。 で、当たり前と言えば当たり前ですが、寡作な方の方がいい作品を出すことが多いから、なおさら聴かなくなる。 なのでYouTube Studioを見にいくためのログインがほとんどです。 実際にフォローしている方でも聴く方は極めて限られています。 面倒くさいからフォローを外

    • YouTubeでの音楽活動148

      昨日書いた、なんでYouTubeで押しても何も損しないのにコメントだけ書いて高評価押さない方がいるのかちょっと考えてみました。 妬み? 一人押したか押さないのかなんてどうでもいいような気がするのですが。 でも音楽の世界、こういうことって結構多いんですよね。 音楽って客観的に評価する指標がないものだから、こういう数字が良し悪しを決める指標として考えてしまう。 それは音楽の良し悪しとは関係ないものなのに。 そういうの、あまり好きじゃないんだよな…。

      • YouTubeでの音楽活動147

        それほどのネタではないのですが、一応。 昔は必ず自分のチャンネル、毎日見てたんですよ。 最近は行かない日も多い。 なんていうか、チャンネル登録している方にはやたらと作品を出す方もいますが、そういう方ほど実際には見ません。 出来たものをとりあえずアップしているだけ、だとなかなか聴く気が起きない。 で、昔からの知り合いでも投稿しなくなっている方、かなり多いんですよ。 たぶんですが、やはり手応えがないんだと思います。 自分は運よく聴かれるようになってきたけど、結構厳し

        • YouTubeの画質

          最近宇多田ヒカルさん、4K版をアップしてますね。 「First Love」を見ると確かに画質は遥かにいい。 でも視聴数も高評価も上がってこない。 YouTubeに画質なんて求められていないんでしょう。画像メインのコンテンツならともかく、MVですら、なんでしょう。 静止画、しかもジャケットそのまんまの画像でも高評価の多い曲、ありますからね。 それこそ良くコード進行で取り上げる「Just the Two of Us」なんて高評価154万ですから。しかもYouTubeで制

        YouTubeでの音楽活動149

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        記事

          音楽の足し

          昨日書いた通りnoteって音楽活動にとって何の役にも立たない。 お一人だけYouTubeに上げてない曲を購入していただいた方はいらっしゃいましたが…。 でもほとんど役に立たない。 じゃあTikTokでもやる、という気も起らないし。 各国で規制が入り始めているのはともかくとして、やはり自分の曲は馴染まないでしょうね。 踊れないし(笑)。 静止画入れても誰も見ないでしょう。 静止画なのはYouTubeも一緒だけど(汗)。 でもYouTubeでも静止画は多いからまだ

          音楽の足し

          note

          まんまのタイトルですね。何が書きたいのかさっぱり分からない。 音楽活動の役には全く役に立たないのに。 頭の整理のため、とは思ってますが、それなら別に投稿する必要があるとも思えない。 メモ帳代わり? でも記事が多すぎてどこになにがあるんだかさっぱり分からない。 なんでこんなことやってるんだろう。 意地?(笑) 何だか毎日続けてるから日課化? まあいいか。別に止めてもいいんだけれど、会社に行く時暇になってしまうし。 こんな感じかな…。

          バンド

          月曜日のカウントダウンTV見てたのですが、最近バンドが増えているような気がします。 でも、聴いていて、どこがいいんだか分からないのがほとんど。 あれってライブに行くと、盛り上がるんでしょうね。 でもライブから切り離されるととてもじゃないがどこがいいのか分からない。 これって音楽なんですかねえ。 単なるお祭りのような気がしてなりません。というかお祭りなんでしょうね。 だからテレビじゃ分からない…。

          当面の記事に関して

          なんだか大袈裟なタイトルですみません。実際の内容は大したことはありません。 今日は出勤日なのですが、明日から在宅勤務+連休で、次回の出社が5月2日となります。 だから何?、という話ですよね。普通に考えると。 ただ、自分の場合、noteって電車での移動時間に書くものなんですよ。 だからこの間は記事を書いている時間がありません。 なので、いつものように長文の記事を書いている時間がありません。 書いてもたぶんつぶやき程度、書かない日もあるかもしれません。 まあ今日は音

          当面の記事に関して

          作曲・編曲156

          今日は予告通り、自分自身の作品制作のスタイルについて、その理由を書いていきたいと思います。 「個性」は作品の中に埋め込んで、分かる人には分かるけど、分からない人も聴けるというスタイルでの作品制作です。 本当に聴ける音楽なのかは自分には分かりませんが(汗)。 ただやはり単純に多くの「聴き手」は自分に心地よいものを求めています。 何度も書いている話ですが、音楽って「聴き手」なしには存在しえないんですよ。 だから言い方は悪いですが、「聴き手」に「おもねる」部分は必要です。

          作曲・編曲156

          作曲・編曲155

          最近「自分」と「他者」との関係性について書いていますが、そもそも「他者」が必要かどうか、という問題もあるんですよね。 「他者」の存在を前提として書いていましたが、自己完結で構わない、という考え方もあるでしょう。 実際世の中には「他者」を前提としていない音楽の方が多いでしょう。 特にこの国では。 実際はともかく、「同質性」が強調される社会だから、人と違ったことをやることが認められにくい。 「個性」ということも強調されますが、それは一定の枠内の「個性」であって、そこから

          作曲・編曲155

          作曲・編曲154

          今日こそは「自分」と「他者」との関係性について書くつもりです。 つもりなだけで、実際書いてみないと分からないのですが(汗)。 これまで書いてきた通り、「他者」とは「他の人」ではなく、自分では即座に理解出来ない異質な存在、「自分」とは「その本人」ではなく、自分と共通認識を持つ、それこそ「以心伝心」が通じるような関係性のことを指しています。 この事は音楽以外でも言える話ですが、基本的に音楽の話しかここでは書かないことにしているのと、ただでさえ広げすぎた風呂敷がこれ以上広がる

          作曲・編曲154

          作曲・編曲153

          今タイトルを見て感じたのですが、記事の内容を反映していませんね(汗)。 ただ今更変えるのも変なのでこのままいきます(笑)。 今日は改めて「自分」と「他者」との関係性について考えてみたいと思います。 ここでいう「自分」とは、自分の属する集団のこと、「他者」とは未知の定かではない集団のことを指しています。 そう考えると「内輪」と「外部」という言い方のほうがいいのかもしれません。 なので「自分」のサイズは人それぞれなんですよ。 それこそ名前はあげませんがメジャーなミュー

          作曲・編曲153

          作曲・編曲152

          昨日の記事を読み直して、やはりまたこの曲に戻ります。 The Policeの「Every Breath You Take」です。 いい加減しつこいけど(笑)。 あの有名なミュートギターのアルペジオの部分、前にも触れた通り、極めて単純な循環コードです。 でも聴くとぞくっとするんですよね。 理由はやはりあの部分全てに使われているadd9というコードです。 普通の感覚だとadd9を全てのコードで使う、ということはそうそう思いつかない。 というより、あのアルペジオが先に

          作曲・編曲152

          作曲・編曲151

          今日は昨日に引き続き「自分」の「スキ」と他者の評価について考えてみたいと思います。 と思ったのですが、昨日の記事、良く考えるとまずい部分があることに気付きました。 「自分」の「スキ」と他者の「評価」が同じであれば問題ない、という部分です。 これって裏返すと「自分」がないのと一緒だからです。 やはり「自分」と「聴き手」には差異がある、というより、自分と人は違う存在であり、同じ感覚を持つはずがない。 もし同じ感覚で聴かれるのだとすれば、その作品が「安易」な「紋切り型」に

          作曲・編曲151

          作曲・編曲150

          実は昨日記事を書きながら、少し引っかかっていることがあったので、今日も継続したテーマで書くことにしました。 本当に「自分」の「スキ」だけで音楽をやってよいのか、という問題です。 前言撤回みたいになりますが、やはりそれではダメなんですよ。 音楽はあくまでも「聴き手」あってのものです。 「自分」の「スキ」だけだとその観点が抜け落ちてしまう。 自分で聴くだけ、もしくは自分で制作することが目的ならそれでもいいのかもしれません。 でも、そういう方は少ないでしょう。他の方にも

          作曲・編曲150

          作曲・編曲149

          今日はミュージシャンが「オリジナリティ」との関係性の中で、どのように音楽制作を行えばよいのか、について考えてみたいと思います。 一つ言えるのは「何も考えない」のはまずいだろうということです。 極端な話「パクリ」やそれこそ「盗用」すらなりかねない。 やはり音楽制作にあたって、「何も考えない」でやってしまうと「何でもあり」になってしまいますから、さすがにこれはまずい。 ただ「過剰」に「オリジナリティ」を追求するのもやはり良くない。 これまで書いてきた通り、それで「オリジ

          作曲・編曲149