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老朽化していた地下通路をアートの力で華やかに再生 植田志保さん〈前編〉

 「おしゃべりラボ~しあわせSocial Design~」2024年4月27日の放送は、およそ100年前に作られ老朽化していた池袋駅北側の東西地下通路「ウイロード」を、アートのチカラで華やかに再生させた美術作家、植田志保さんの前編でした。

色と対話をしながら描き表わす表現活動「色のすること」

 私は4歳くらいの頃にピアノを習っていたのですが、奏でる一つ一つの音に色がついていると強く感じていました。まだうまく言語化できない年頃でしたが、「音には表情があって、色合いや質感をもっている」という感覚を「色たちと目が合う」「色が生きている」という言葉で親や先生に一生懸命訴えていたのです。すると、あるとき母親が固形水彩絵の具のパレットを持ってきて、「これでちょっと描いてみたら?」と言ってくれました。
 それをきっかけとして、頭の中のイメージを色で描き表わすことで「対象に触れ直せる」ことに気が付いたわけです。幼心に大きな喜びを感じ、初めの頃は色と自分との対話を重ねていくような感覚で、季節や味、いろいろなものを色として捉えるという制作を行っていました。
 
 制作が仕事につながっていった経緯としては、もともと自分が色と対話をしながら描く制作活動のことを「色のすること」と呼んで、多くの作品を作っていたところ、ある大阪のギャラリーの方が「これだけ作品があるのなら個展をしてみませんか?」とお声掛けくださったのが始まりです。そして、個展に来てくださった方から、例えば「iPS細胞のことを表現してもらいたいのですが、できますか?」とか、個人的な思い出やその人にしか分からないような意識を表現してほしいといったモヤモヤしたイメージを色で顕在化するような仕事の依頼をいただくようになりました。
 あるとき私の一連の制作過程を見ていた方が、「あなたって消しゴムをもっていないんだね」と声をかけてくださったのですが、私はもともと消しながら描くことはしていなくて、立ち現れた色と対話をしながら作品世界を広げていくという方法で制作しています。さらにその方が、「消しゴムを使わない制作方法を公開することで、見ている人が励まされるかもしれないから、ぜひやりなさい」と強くすすめてくださったのです。それをきっかけにして、徐々に対面や公の場といった、人とお会いする中で制作するスタイルになっていきました。

制作過程を公開し、住民と対話しながら地下通路を再生

 美術作家としての初期の仕事としては、カリモク家具の「カリモクニュースタンダードシリーズ」ミラノサローネ出展に際してのイメージ画の提供、スイッチパブリッシング社の雑誌『coyote』の挿絵、ファッションショー「東京コレクション」の空間演出デザインなどを手がけています。
 さまざまな制作やお仕事をさせていただいている中で、2017年12月25日のクリスマスの日に豊島区の道路整備課の方から連絡があり、「暗くて怖くてみんなが通りにくい地下通路を再生改修しようと計画しているのですが、なかなかいいアイデアがなく難航しています。植田さんの作品データをお借りして、パネルにプリントして通路の中を綺麗にできたらと思うのですが、ご協力いただけませんか?」とのご依頼をいただきました。
 このウイロードは1925(大正14)年、山手線の環状運行に合わせて建設された地下道で、年間1000万人が行き交う人通りの多い通路だったそうです。ところが、長い年月が経過する中で老朽化が激しくなり、イメージは悪化するばかりでした。1日の通行者約3万人のうち、女性は3割だけだったそうです。
 私自身、お話をいただいた時点ではウイロードのことを知らなかったので、一度現地に伺わせていただいたところ、トンネルの上を山手線と東武鉄道が通っていて「ドクン、ドクン」という電車の音が心臓の鼓動の音のように聞こえました。また、天井が低いこともあって、お母さんのお腹の中にいたときを想起させられるような親密なものを感じ、そのわななくような大きな命のエネルギーに涙がこぼれそうになってしまったのです。ここはただならぬ、かけがえのない場所だと思った私は、プリントされたパネルを使って改修するのではなく、手当をするように直接描画することで、生の原画の作品として「生まれ直す」方がいいのではないかと思い、当時の故高野之夫豊島区長に提案させていただきました。
 区長もすぐに「やろう!」とおっしゃってくださり、私も池袋にアトリエと自宅を移してウイロードの再生プロジェクトがスタートしました。
 
 このウイロードは皆さんの生活の中にある道なので、リニューアルした後に突然公開するのではなく、再生していく過程を一緒に見守ってもらうことでさらに愛着をもっていただけるのではないかと考えました。そのため制作過程をオープンにしています。
 制作期間中は、街の方々が毎日のように話しかけてくださいました。お供え物でもするように差し入れを持ってきてくださったり、私が「お花が好きなんです」とお話をしただけで「ここはお花屋さんかな?」というくらい、植木鉢やたくさんのお花を持ってきてくださったりもして、大変ありがたかったです。言葉を交わす中で思い出話に花が咲き、まるで自分の息子の話をするようにウイロードのことを語ってくださった方もいらっしゃいました。「ちょっと汚くてね」と言いながらも、やはりここが皆さんの生活にとってとても大事な場所なのだなと感じることができたのは、素晴らしい経験でした。

◆中村陽一からみた〈ソーシャルデザインのポイント〉

 「まちづくり」はソーシャルデザインの中で大変重要な分野であり、最近「まちづくり」と「アート」は結びつけて語られることも多い。植田さんの活動をうかがっていると、たんに「まちづくりを目的としたアート」というよりは、植田さんご自身がまちの中を回遊して、そこに溶け込むように生活をするなかで自然に立ち現れてくる色を表現していることがわかる。その結果、まちが色鮮やかに再生を遂げた、とても納得感のあるソーシャルデザインプロジェクトだったと言える。
 また、植田さんがウイロードを初めて訪れたときに「電車の音が心臓の音、鼓動の音に聞こえて、お母さんのお腹の中にいるように感じた」と語った感性そのものが、身体を恢復へとひらくような癒しの力をもっており、制作途中から大勢の人が集まる賑やかな場になったのも非常によくわかる。

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