(•Ӫ•)

子供のころ、学校の裏山の山道を少し外れたところに、“河童のマンホール”と呼ばれるものがあった。
河童のイラストが描かれているのだが、なぜか500円玉くらいの穴が開いていて、そこに本物の河童が住んでいるという噂があるのだ。

なんでも小石なんかを落とすと反響音が聞こえるのに、キュウリを落とした時だけ音がしないのだという。
それでたちまち本物の河童がいるという噂が立ったわけである。

少年はお小遣いでキュウリを買い、実験と称し友達を誘ってマンホールに出向いた。

試しに穴に入るかどうかの大きさの小石を落としてみる。
10秒ほどするとカラァンと音がした。
友達が拾ってきた木の枝を落としてみた。やはり10秒ほどするとカラァンと音がする。

では次はお待ちかねのキュウリだ。ポキリと折って、まずは半分。
サイズは部分的にギリギリだったがなんとか押し込めた。確実に落とした。
しかしなんの音もしない。

恐る恐るもう半分も押し込んでみた。
確かに手を離れ落ちていった感覚はあったが音がしない。

「本当に河童がいるんかなあ」

なんて興奮して口々に言い合っているうちに、一人がこんなことを言い出した。

「でも河童って相撲強いねん。負けたら尻子玉取られるで。尻子玉取られたら死んでまう」

尻子玉が何なのかは誰にもわからなかったが、確かにちょっと前の金曜ロードショーで観た妖怪映画に出てきた河童は中学生や高校生より大きく、とても敵わない気がした。

「河童が来る前に帰ろ!」

その日のマンホール実験はそれでお開きとなった。

瞬く間にこの調査記録は学年中に広まり、興味を持った他のクラスの男子や、時に女子までもが河童マンホール実験に興味を示した。

毎度来る者も居れば日替わりで一度きりな者もいる。
少年は暗黙のうちに主催者となって、とりあえず誰かがキュウリを持って来れるなら行く、というルールがいつの間にやら生まれ、その夏の子供たちのちょっとしたブームとなった。

夏休みに入り二週間が過ぎたころ、その日は総勢十四本のキュウリが少年たちの手元にあった。
二組の竹田が親戚から送ってもらったもので、あまりに数があったのでお裾分けすると言ってもらってきたのだという。

いつも通りキュウリ以外のもので落下音を確かめ、続いてキュウリを落としていく。落下音確認に使うものも、BB弾やシャーペン、使い古した文房具など、その時々の思いつきでバラエティ豊かになっていった。中には落下音評論家を気取るなど、個々に違った楽しみ方を見つける者もいる。

やがてキュウリを投入する番になる。いつものように二本、三本と押し込んでいく。
やはり音がしない。まるでプロレスの必殺技を見るように、あるいは戦隊ヒーローのロボットが合体するシーンを見るように、はたまた芸人の定番ネタに待ってましたと手を打つように、キュウリの落下音がしないことを確認してはキャッキャウフフとはしゃぐのが定番であった。
キュウリ投下は用意できた数だけ、一人一本がルールである。何かの儀式のように、列を作って順番にキュウリを落としていく。当然ながら“音がしないこと”を楽しむ遊びであるため、キュウリを落としている間は全員が無言になり、少しの足音や衣擦れにも気を遣う。それがまた裏山の山中に異様な光景と静謐を作り出していた。

問題はこの日の七本目だ。

「え」

桑野が入れに行った七本目のキュウリ、押し込んでいる最中に引っ張られるような感触を覚えた。
不気味になり、ひゃっと手を離すと、キュウリはひとりでにゴトゴトとマンホールを揺らしながら、穴に吸い込まれていった。

「なんか、引っ張られた…」

青ざめた顔で桑野が後退りをする。あたりが静まり返る。

その場にいた誰もが呼吸の速度を自然と緩めた。気道の形を感じられるほどに慎重に呼気を吸い、吐いた。

それを何度か繰り返した後の無限のような数秒の間に、マンホールから音がしていないことをその場にいた全員が個々に確認した。
事態は動かない。しかし次に何をすべきか、指先ひとつどのように折り曲げるものかすら分からずに皆が固まる。

やがて少年は硬直したままの体を不格好に動かしながらキュウリを手にし、おそるおそるマンホールに近付く。
桑野はマンホールと一定の距離を取り、先程までキュウリをつまんでいた右手を左手で覆っている。
何とも言い難い寒気がする。

キュウリを入れる。
五分の一。反応は無い。
四分の一。反応は無い。
五分の二。反応は無い。
二分の一。反応は無い。

一瞬、手を止める。緊張のせいか視界が二重三重にぼやけて見える。首筋を汗が滴り落ちる。
汗の雫が二滴、三滴とマンホールに弾け、ボタボタッと音を打つと、強ばった全身の目を覚ますように視神経に血が巡った。マンホールのイラストにピントが合い、二頭身の河童のキャラクターがにこやかに微笑みかける。

吐くときだけ息の音が大きい。
続けよう。

九分の五。反応は無い。
七分の四。反応は無い。
五分の三。反応は無い。
三分の二。ボリッパキュッカリッ

「うわあああああああ」

声を合図にみんなが駆け出した。
手を離し、背を向け、地面に手を着いて、膝のバネを伸ばそうとする刹那に、背後から「ケキョケケキョケケキヤケキョケキキョオ」というおぞましい笑い声のようなものが背筋を撫で上げた。

一目散に逃げて逃げて逃げて逃げて山道を下る。泣き出す者もいた。走れる者がその手を引いた。

裏山を抜けて一息つくと、誰ともなく学校近くの公園に歩き出す。いつもの集合場所だ。
公園の遊具やベンチに各々が腰掛け、それとなく全員がいることを確認すると、それからは皆一様にうなだれたまま、空の色が焼けだすまで誰一人として口を開かなかった。

「…帰るわ」
「俺も」

茜色と五時のチャイム。
息が整った者から一人、また一人と帰ってゆく。

「帰ろう?」
「…うん」

少年は未だ背中に残る怖気に震えてはいたが、なんとか水上の声かけに応じた。

彼女は二年前から同じクラスになった、少年の意中の相手だった。
方向が同じこともあり、しばらくは二人で歩いていたが、お互いに距離を詰めようとも思えず、血管が心臓に熱を運ぶことすらなく、けたたましい蝉の鳴き声に包まれながらも鳥肌がおさまらない少年は、自分でもよくわからない間に家の敷居を跨いでいた。

少年が河童実験の誘いに応じなくなるとあっという間にブームは去り、二学期を迎える頃には噂が広まったのか、誰も河童のマンホールの話をしなくなっていた。
話題の中心はといえば、山田が東京のイベントにまで足を運んで手に入れた珍しいポケモンと、柴崎がクラスのみんなへと買ってきたハワイ土産のマカダミアナッツチョコレートだ。

少年としてはマカダミアナッツチョコレートが衝撃的であった。こんなに美味しいものがこの世にあったとは!
クラスメイト全員と担任教師がひとつずつ食べたあと、余った数個を懸けたジャンケンに破竹の勢いで勝利を収め、至福の二粒目を堪能した。

こんな幸せ、そうそう無い………少年は幸せを“噛み締める”という行為を人生で初めておこなった。

柴崎には今度給食のヨーグルトを譲ろうと、少年は固く心に誓う。
まあ、それはお礼だからやらなきゃあ、いけない!な!と、少年はなぜか一人で勝手に自分に言い聞かせ「そうしたら、その次は、水上に譲ろう…」と傍に誰もいないことを確認してから、ぼそっとつぶやいた。

数年もすると裏山は再開発で切り崩され、あの河童のマンホールも所在は一切不明となった。
市のホームページや図書館の資料、あるいはマンホールマニアの個人ブログなどをいくら探してもあのマンホールについての情報は見当たらない。

一種の集団幻覚だったのではと思わなくもないが、すべてが確かな現実の時間だった。
あの日の少年は、今でもキュウリを見ると背筋を走るおぞましい声音と、体の芯から震えながら帰った夕焼けの中の蝉の声を思い出す。

ある日の国語の授業で、家であった出来事を作文にするという機会があった。水上が裏山にある庭付きの立派な家に住んでいることを、少年はその時に初めて知る。

庭の鯉がいつの間にかいなくなる、前に監視カメラにタヌキが映ったからおそらく食べてられているのだろう、しかし罠をかけても捕まらない、お父さんが困っている、といった内容だ。

そもそも裏山に家を構えるような場所があったのかという仄かな疑問や、水上の豪邸生活をぼんやりと思い浮かべながら、前に二つ、左に一つ前の席で原稿用紙を読む水上の、オレンジ色のワンピースと黒く長い二つ結びに見惚れていた。

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おわり。これを書いた人は小学校での給食の余り物ジャンケンで勝ちまくっていたものの、その後の人生でジャンケン弱者になりました。ジャンケンのコツをご存知の方はその才能を切り取って分けてください。

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