見出し画像

実用本位の夢|黒鳥社の新刊『編集の提案』編者・宮田文久による「まえがき」を、書籍発売に先駆けて特別公開!

社会のなかにはきっと、「編集」がなしうることがある。そのヒントは、 伝説の編集者・津野海太郎がつづってきた文章にひそんでいる──。
晶文社での活動をはじめ出版文化の重要人物でありつづけた津野海太郎による未来を見すえる編集論集『編集の提案』。3月15日からの書店・ECでの発売に先駆けて、編者によるまえがきを特別公開!

編集の提案_cover

『編集の提案』
津野海太郎(著)宮田文久(編)
発売日:2022年3月15日 定価:2200円(2000円+税)
四六版/256P+カラー口絵32P 発行:黒鳥社
書籍の購入はこちらから

実用本位の夢 編者によるまえがき

宮田文久

本書におさめられた、「編集」という営みをめぐる文章の数々は、逆説的ではあるが、「編集」の外──ひろく社会にむけられている。そう、編者は感じている。

収録されているのは、かつて編集者としてひとつの時代を築いた津野海太郎さんが、一九七七年から二〇〇一年のあいだに書いた文章だ。しかし、その文章は、まったく閉ざされていない。ひろく、開けはなたれている。
「編集」をめぐる本というと、いわゆる回顧録のたぐいか、あるいはノウハウをつたえる本というのが常だろう。ある時代のなかで格闘した編集者(たち)の記憶。一方での、実用的なテクニックの伝授。双方ともに魅力的であるし、実際にそうした要素は本書にもふくまれている。
 
ただ、そうした既存の「編集本」におさまらない何かが、ここにはあふれている。それはつまり、「編集」という営みのポテンシャルが、狭義の「編集」というジャンル(?)におさまらないことを意味している。

あれも編集、ひょっとして、これも編集?

書籍や雑誌、ウェブメディアといった既存のかたちはもちろんのこと、私たちの日常のあちこちに、編集という営みがもたらしうるものがある(かもしれない)。本書を読むうちに実感されるのは、そうした越境的、いや、もっといえば越権的な可能性だ。

社会にむけて、そろそろと流れでていく編集──。

当然といえば当然だ。編集という営みは、この社会のなかでなされている。バラバラに見える社会の断片をつなげるとき、そこにパイプが通される。編集という行為に秘められた可能性もまた、そのパイプを通ってどこかに届く。流れでたものが、見知らぬ誰かの手にわたる。手にした者は、ふしぎな夢を見る。本書のある箇所にちらりと登場する表現をかりれば、「実用本位の夢」である。「実用本位の夢」。著者の津野海太郎さんは、そのことばを、自らの背中を押すものとして表現している。

単なる夢や、まるで雲をつかむような理想といったものではない。かといって、一瞬で立ち消えてしまうような激励でもないし、説教くさい薫陶のたぐいでもない。しごとのリアリティに裏打ちされた、しかし同時に、せばまった視野を開放し、見果てぬ彼方へと目を向けさせる、「実用本位の夢」。

そんな「実用本位の夢」を読者の皆さんと、本書を通じて共有したい。津野さんがかつて、自身の無二の仲間へ書いた一文をかりよう。「これは私たちの共同の未来に属する」。

近年知られている津野さんの姿は、評論家としてのそれが主だと思われる。博覧強記の読書家が、老いる日々のなかで本を読む。老いながら読む道程をつづる文章が、多くの読者の心をつかんできた(編者もまた、そのひとりである)。一方で、この『編集の提案』に収録した文章の多くは、あまり顧みられることはなかった。

収録された文章が書かれた主な時期は、一九七〇年代後半から、一九九〇年代半ばにかけて。津野さんの年齢からすると、三十代の終わりから五十代後半の原稿である。

一九七〇年代後半。四十歳になろうとしていた津野さんが、晶文社を中心にしたそれまでの旺盛な編集活動と、全国を巡演する劇団「黒テント」での活動にくわえ、アジア文化を報じる新聞『水牛』の立ち上げメンバーとして動きはじめる時期にあたる。一九六〇年代から、ジャンルをまたいで展開されてきた無尽蔵のエネルギーが、また新たな場へと向けられていく。そんなタイミングだった。

一九九〇年代半ば。還暦の足音が聞こえる年齢になっていた津野さんは、なお、未知なる領域に足を踏み入れていた。一九八〇年代の終わりから探究をすすめてきたコンピュータ文化と、長年携わってきた本という存在、その両者の関係性を探るようになっていたのだ。間もなく、編集長として『季刊・本とコンピュータ』を創刊することになる。

本書におさめられている文章は、こうした時代のなかで書かれてきたものである。

なんだ、昔の文章じゃないか。そんな声もあるかもしれない。二〇二一年の梅雨に入ったころ、津野さんへ書籍化の打診をした際、快諾の旨とともに届いたメールにも、これらの文章は「とうにお役済みだろうと思っていた」と書かれていた。しかし、決してそんなことはない。「実用本位の夢」は、時を超えて私たちを揺さぶる。

津野さんの「編集論」との出会い

ここで本書が成立する経緯、その一端を紹介するため、編者と津野さんの「編集論」との出会いを、すこしばかりお伝えしたい。

三十代半ば、フリーランスの編集者である編者は、二〇二〇年の春、ぽっかりと時間があいて暇になった。新型コロナウイルス感染症の流行は、編集業界のサイクルも滞らせた。水の流れがとまれば、水車は動かない。
さて、どうしよう。しばらくは、わずかに残った仕事をこなしながら、いそいそと蔵書の整理をしていた。そこで積読の山のなかから手にとった一冊が、津野さんの『おかしな時代 「ワンダーランド」と黒テントへの日々』(本の雑誌社、二〇〇八年)だった。開いたページには、随所に胸躍る記述があったのだが、なかでも目を引いたのが「テープ起こしの力」と題された一節だった。

「テープ起こし」。編集業にたずさわっていれば、人生を通じて数限りなくおこなうことであり、専門の業者さんに外注することもある。いずれにせよ、日常のワンシーンだ。その「テープ起こし」に、「力」がある。どういうことだろうか。

ときは一九六四年、津野さんが駆け出しの編集者として、『新日本文学』という雑誌の編集部に属していたころにさかのぼる。政治と文学がまだ結びついていた時代。雑誌の母体である新日本文学会は「文学運動」の団体だった。「おそらく戦前のプロレタリア文学運動のやり方をそのまま下じきにした」組織運営のもと、その年の三月にも大会が開かれた。各紙誌の記者たちもやってくる。

そこでの文芸評論家・本多秋五の発言が、大きく新聞で報じられたのだが、掲載内容が本多の記憶と違っていた。本多は自身の発言を確かめようと、新日本文学会に問い合わせる。

大会当日、舞台袖で書記、いや当人いわく「バカでかいリール式録音機のお守り役」をしていたのが津野さんだった。テープの再生機器が本多のもとにないので、まず津野さんが速記原稿をつくり、本多に送る。納得しない本多。改めてテープを借り、再生機器も手配。自宅でテープを聞いた。

すると、津野さんの速記原稿のすばらしさに気がつく。その出来栄えを、「よくも書き取ったり」と本多は褒めるのだった。

これが津野さんには「ほんとうにうれしかった」。「はじめて私はテープ起こしという作業がもちうる力にめざめた」とさえ書いている。「その後、私は編集者として、話されたことばを文字におきかえて、たくさんの本をつくった」、「もしも人あって、おまえが編集者としてほこれる技術をひとつだけあげよ、と問われたら、私はためらうことなく『テープ起こし』と答えるにちがいない」とも。

本多によればテープ起こしは、スモッグの底に沈んだ東京、それを上空の飛行機から撮影した写真から、町筋や建物を判別するように一語一語をよみ分ける行為だという。その尋常ではない「力」を讃えているのである。

これがコロナ禍、呆然としていた編者を揺さぶった。

編集とは元来、人と人の間隙に向けて、何かを投げかけるようなところがある。底の見えない井戸に小石を投げ入れるに等しい。その反響音をもとに、底の深さを推測して、次の行動を考える。そんなところがある。
その手がかり、社会的な距離感が、いまいちつかめなくなってしまった。そもそも社会において、編集者がなしうることも、よくわからなくなってきた。

そんな折。私たちがこれまで日常的におこなってきた営みに、思わぬ「力」があるのだと、遥か前に気づいた人(たち)がいた──。

津野さんが書いてきた文章に何かヒントがあるかもしれないと、徐々に惹かれていった。近年の読書論中心の著作を経て、やがてたどり着いたのが、一連の「編集論」。自分のもとに流れこんだ「実用本位の夢」が、また水車を動かす、ギッという音を聞いた気がした。

本書の冒頭に置くことになった「テープおこしの宇宙」という原稿とも、そうして出会った。編集という営みをさかのぼったときに見えてくる「力」が、より精緻に分析されている。そこから展開されていく編集論のひろがりを、ぜひ目の当たりにしてほしい。

津野さんと、ご協力いただいた関係者の方々に感謝申し上げたい。

宮田文久(編者)
1985年、神奈川県生まれ。フリーランス編集者。博士(総合社会文化)。2016年に株式会社文藝春秋から独立。WIRED.jp、i-D Japan、CINRAといったウェブ媒体でポン・ジュノ、タル・ベーラ、一柳慧、細野晴臣、坂本龍一らへインタビューするほか、伊藤亜紗・渡邊淳司・林阿希子『見えないスポーツ図鑑』(晶文社)や各文芸誌をはじめ、対談の構成や書籍の編集協力などを担う。本書が初めての編著となる。


画像3

画像4

画像5

画像6


『編集の提案』津野海太郎(著)宮田文久(編)
耳にしたことはあるけれど、 何をしているのかはよくわからない。
本や雑誌づくりで体現されてきた、謎めいて、不思議で、
奥深い「編集」という営為の、知られざる正体。
伝説の編集者・津野海太郎の実践と思索に、その新たな可能性を探る、
「編集者以外の人」のための編集論アンソロジー。

◉書籍の購入はこちらから

【目次】
実用本位の夢 編者によるまえがき

第1章 取材して、演出する
テープおこしの宇宙/座談会は笑う/初歩のインタビュー術/雑誌はつくるほうがいい

第2章 人とかかわる、固定観念を脱する
太い指とからっぽの部屋/植草甚一さんの革トランク/編集者としての植草甚一/雑誌のロンサム・カウボーイ

第3章 テクノロジーと歩む
シロウトがつくったマニュアル/フランケンシュタインの相対性原理/パソコン通信で対話できるか

第4章 変化を編集する、編集することで変わる
本の野蛮状態のさきへ/森の印刷所/「世界の書」──アジアの髄からマラルメをのぞく

第5章 複製技術は時を超える
印刷は編集の敵にあらず/子ども百科のつくりかた/晩年の運動/編集者というくせのゆくえ

鼎談・星座をつくりたい  津野海太郎×若林恵×宮田文久

【著者プロフィール】
津野海太郎
1938 年、福岡県生まれ。評論家・元編集者。早稲田大学文学部を卒業後、演劇と出版の両分野で活動。劇団「黒テント」演出、晶文社取締役、『季刊・本とコンピュータ』総合編集長、和光大学教授・図書館長などを歴任する。植草甚一やリチャード・ブローティガンら の著作の刊行、雑誌『ワンダーランド』やミニコミ『水牛』『水牛通信』への参加、本とコンピュータ文化の関係性の模索など、編集者として多くの功績を残す。2003 年『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』で新田次郎文学賞、09 年『ジェローム・ロビンスが死んだ』で芸術選奨文部科学大臣賞、20 年『最後の読書』で読売文学賞を受賞。他の著書に、『したくないことはしない 植草甚一の青春』『花森安治伝 日本の暮しをかえた男』、『百歳までの読書術』、『読書と日本人』など。

【書籍情報】
書名:編集の提案  (ISBN978-4-9911260-8-6 C0095)
著者:津野海太郎
編者:宮田文久
装幀・デザイン:藤田裕美
表紙・口絵写真:川谷光平
発売日:2022年3月15日
定価:2200円(2000円+税)
四六版/256P+カラー口絵32P
発行:黒鳥社
販売代行:トランスビュー

◉書籍の購入はこちらから

編集の提案_cover