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京都旅行 2023.5 黄梅院(大徳寺)

大文字山ハイキングの翌日、大徳寺に行きました。前日の疲れが残っていたので、まったりと庭園を楽しむことにしました。

まずは定宿のある大阪から阪急電車に乗って西院駅へ。そこでバスに乗り換え、11時頃には大徳寺に到着しました。

バスは金閣寺道まで大混雑だったのですが、そこから先はガラガラに。

大徳寺の境内には南門から入りました。
写真の通り、人はまばらにしかいませんでした。

この大徳寺は、鎌倉時代末期の1315年、宗峰妙超(しゅうほう みょうちょう)禅師により開山した臨済宗大徳寺派の大本山です。

応仁の乱で荒廃したものの、かの一休和尚によって再興されました。

豊臣秀吉が織田信長の葬儀をここで行って以降、戦国武将による塔頭寺院の建立が相次いだそうです。現在、24もの塔頭寺院があります。一番多かった時にはどれほどあったのでしょうか。

この日は、塔頭寺院の黄梅院、龍源院、興臨寺、瑞峯院を訪問しました。

4つの寺院についてまとめて書こうと思ったのですが、どうも長くなりそうなので、まずは黄梅院を取り上げてみます。

最初にお断りしておきますと、残念ながらこの日は前庭以外撮影禁止。写真が少なく、いつも以上に物足りない内容となりますがご容赦ください。

なお、この後7月にもここ黄梅院を訪問しました。その時は撮影OKでした。時系列で旅行記を書いていますので、今後、その時の写真を載せたいと思っています。


さてこの黄梅院、織田信長が、父である信秀のために創建した小庵「黄梅庵」が始まり。

本能寺の変の後、豊臣秀吉が徐々に増築し、1589年に「黄梅院」と改めました。

そして、複数のお庭が楽しめます。

「直中庭(じきちゅうてい)」は豊臣秀吉の命を受け、千利休が66歳の時に作庭したもの。瓢箪をかたどった池を手前に配した枯山水庭園。

「波頭庭(はとうてい)」は、手前が白川沙、奥にはコケを敷き詰めた直線的なデザインが特徴的な庭園です。

その他にも坪庭もありました。
載せる写真がないのが残念です……。


前庭の写真です。表門から庫裡、唐門に至るまで苔とモミジに覆われており、とてもきれいなお庭でした。

どうも私が撮る写真は黄色っぽくなってしまいます。もっと深みのある写真を撮りたい!なんて思うのですがなかなかうまくいきません…


今日はここまでです。
お読みいただきありがとうございました。

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