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自分年表(自己紹介)


昨年の今頃、何をしていたか振り返りたくなり、見ていたが一番古いnoteはこの記事だった。

私は自己紹介なるものをしていなかったらしい。

ということで、年表形式で書いてみる。
(細かい年はあえてかかない。)

1970年代(昭和)

この頃に生まれる。
冬生まれ。
そのせいなのか夏より冬が好き。

絵が好きだった子供時代。
幼稚園でもよくお絵描きをしていた。

父方の祖父母、父の兄と弟も絵を描く。父の伯父は画家だったからその影響かもしれない。

1980年代(昭和〜平成)

小学校〜中学校〜高校がこの時期。
今振り返っても楽しい時代だった。

夏もまだ30度超えがあれば、暑い日という感じ。
もちろんスマートフォンなどもなくて、友達とはリアルのみのお付き合い。

遠くの友達とは文通。
この頃に冒頭の『絵葉書』の根っこが育まれたのだと思う。
当時は絵葉書よりお手紙を書いていた。

交換日記もしていたし、同級生とのミニ手紙のやり取りもたくさんあった。

私は最低限の協調性は持ち合わせていたから放課後も遊ぶ友達はいたが、今思うと(大人になり気づいたこと)、
・集団行動が好きじゃない
・みんなとご一緒が好きじゃない
ので部活はしなかった。

正確にはみんなと一緒はともかく、決められた時間に同じことを毎日するのが嫌なんだと思う。

だから、普通に学校に行ってサラリーマンとして社会人もしてきたけれど本当はフリーランスが向いていると思う。

そういう意味では大学時代が最高だった。

自由が好き。

そんな自分にまだ気づいていない時代。

⭐︎小学生の頃は、朝だけ部活みたいなものがあり4年生から参加できた。
入りたかったブラスバンドは、5年生からだったので、4年生の時だけバスケットをして、5年生からブラスバンドでフルートを吹いていた。

これは放課後の自由が奪われなかったから2年間続けた。

中学生になり、吹奏楽部はただ吹けばいいのではなく、マラソンとかうさぎ跳びがあって、それが嫌で続けなかった(!)

真面目な日本人に怒られそうだが、私の辞書に『努力・根性・忍耐』はない。
あったとしても意味は『できるだけしたくないもの。』だ。

1990年代(平成)

この頃に大学生〜社会人になる。
美術館通いが本格的にスタート。

何も考えていない大学時代。
自由気ままに過ごす。
楽しかった。

ここで大事な人と出会う。
大学3年生からのゼミで。
その後社会人になってから付き合って以後私のことをずっと支えてくれたが、数え50歳で急逝し帰らぬ人となる。

大学時代にはそんな先のことを知る由もないが、この出来事は私の人生観を大きく変えた。

年表に戻る。

大学3年生の秋。
就職活動の頃にはバブルがはじけ、就職浪人はまぬがれ、いわゆる世間評価では『いい会社』に入った。

大学も就職も『運がいい』と周りは思っていたと思うし、当時の私もそう思った。
(就職は浪人をまぬがれ、ちゃんとした会社に入れたという観点で)

でも、社会人のスタートは今でも覚えている。
『私に合わない』と思った。
親にも言われていたがその時は就職活動をやめたい一心で決めてしまった。
(一応人気の企業だし周りからもその会社の何が不満なのかと言われていた)
今思うと、それが最大の誤ちだったと思う。

私には向かない、と言った親は正しかった。
入ったその日から毎日『辞めたい』と、思っていた。
しかし、『就職氷河期時代』にあったし、今みたいにインターネットもまだまだの時代。
転職自体もまだ特殊な感じだった。

昭和の『石の上にも3年』
すでに平成になってはいたけれど、この考えはまだまだ根強く、私も例外なく、『とにかく3年我慢しよう』と耐えた。

そして今に至る。
結局は何とかやってきたのだった。

社会人になり、私は集団行動が嫌いだと自覚するようになった。
会社という大きな集団の中で、号令に従いながら動くことが苦痛(というと大袈裟かもしれないが)だった。


ここで1,000文字を超えたから、続きは次のnoteに続ける。

ここまで、お読み下さりありがとうございました。

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